第二十七話 CASE 北見南:大は小を兼ねて小より良きものなり 2
それからというもの、太郎は私の周りをうろちょろするようになった。鬱陶しい反面、結構面白いし、ちょっと可愛い。だから子分の感覚でうろちょろするのを良しとしていた。
太郎と関係して気づいたのは、自分が女であるということだった。
別に大した関係性ではない。それでも近くに男がいることで、男から見た自分は異性、つまりは女なのだと実感する時がある。また、実感したい瞬間もあった。
小学校5年の後半に迫った時、同級生の女子達が色めき立つようになった。当時は胸がキュンキュンするようなラブを扱ったドラマや少女漫画が世間的に流行っていた。世間的な流行りは、こんな田舎学級の中にもしっかり浸透した。幼い乙女達にも遂に恋や愛にときめく時期がやって来たのだ。
私はそういった事にはあまり興味が向かず、皆のような願望がいまいち沸かなかった。そう、恋がしたいという願いが。
学校には「三変人」という括りの変な人間が三人いた。内の一角が六反田舞愛だった。太郎の実の姉貴で私より1つ上の六年生だ。
ある日の学校の帰り道、変人舞愛と遭遇したので女の事情についてちょこっと聞いてみた。彼女は仮にも年上だし、中身はともかく外見的には男子から人気があった。ならば、少なくとも私よりはそこら辺の事に詳しいのではなかろうか。
「女らしさとはなんだろう?」
胸の内にあった確かな謎だが、言葉にして尋ねるには随分と抽象的な形を取る事となった。私はここ一番で不器用なようだ。加えて、かの有名な三変人を前に少なからず緊張もあったのだろう。
「何ですって?女らしさとは?」
舞愛は取り合ってくれ、考えてくれているようだ。
「それはね、いかに男を惹き付ける事が出来るかってことよ。男は女を、逆に女も男を求めるもの。となれば男も私を、私はさて誰を……てね」
何が「てね」なのだろう。
「男と女の関係ってのを分かりやすく例えると、まるで昨日のお風呂の湯を抜いた瞬間のようなものね」
何故汚れた昨日の湯の話を引っ張り出したのだろう。
「お風呂の栓を抜けば、脂が浮いてすっかり冷たい水になってしまったかつての湯は、栓の中央目掛けて流れ込む。それは渦になってやがては全部下に流れて消えていく」
私だって風呂の栓を抜いて水が流れていく瞬間なら何度と無く見てきた。我が家のお風呂掃除当番が毎週回って来るもの。
「さしずめ抜けて行く水が男、吸い込む穴が女、つまりあなたね。多くの男共が、あなたが起こす渦目掛けて群がってくる。いや渦を生むのは水自体なのかもね。穴が吸い込むのか、水がそこを目指して行くのか。先手を仕掛けるのはどちらかしらね。ふふっ、如何にエネルギーが働くかって理屈までは、今の私には分からないわ」
ミステリアスで不気味さもあった。だが彼女の例え話は、自分の日常生活にスムーズにシフト出来たので具体的にイメージ出来た。なんとなく話の流れも見えてくる。
「さぁ、どれを吸い込んでどれを吐き出すのか。それは渦の根っこから全体を見上げているあなたが判断すれば良い。とにもかくも、渦なら吸い込む力、あなたなら惹き付ける力よ!」
びしっと私の顔を指差して舞愛は言うのだった。
なんだこの人。たった11、12年生きただけで、性という世界の果てを見て来たかのような達観ぶり。でも意見としてはどうなのか、まだ疑いの余地がたっぷりだ。
「あなた、そんなデカい図体して、女としての目覚めは随分ゆっくりノロマなのね。でもそれはあなたのペースでいいのよ。他人のペースに合わせていたら自分を見失うわ。あなたはあなたのペースで女を、ひいては自分を探しなさい。それが完了してこそ、私のような激マブ女になれるのさ!」
舞愛は両手の親指を立てて、自分の胸を指差した。その胸の内には、覚醒した女の全てが詰まっているとでも言っているかのようだった。
それだけ話すと、彼女は夕方のドラマの再放送に間に合うよう激走して帰って行った。とても足が速い。再放送にはどうしても遅れる訳にはいかないとも言っていた。
後日、弟の方と一緒に帰る。
「あんたさぁ、私のこと好きなの?」
何を思ったのか、私はそれまで知りたいとも思っていなかった事を聞いてしまった。
「ほぇ?好きだよ」
いつの間にか指先にトンボを乗っけて、太郎は馬鹿面で答えた。季節は秋だった。
「それってどういう?」
「『好き』って女に子って書くんだよね」
「はぁ?」
こんな具合に、結構高い頻度でこいつとは会話が噛み合わない。
「で、まぁ女の子のことだから、男は大抵好きなんじゃないかな」
「え?なにそれ?そんだけ?そこから何かこう有意義なお話へと発展とかしないの?」
「それがしないのだ。まぁ今日の漢字テストで出てきたから、なんかお利口な感じで言ってみただけ」
思いつきで生きる。それが太郎という命だった。
「私は、女らしいのかな?」
ポツリと呟く。
太郎は足を止めた。
「な~んだ。そんなことかよ」
太郎はニコッと笑う。
「南ちゃんはすっかりしっかり女の子だ。だからくっつけて『好き』だな」
当たり前のラブとは違うのかもしれない。こいつの中で出した「好き」の言葉は、恐らく中身がスッカスカなおバカなロジックで成り立ったものだ。
それでもだ。それでも私は屈託ない笑顔で太郎が言ったその言葉に妙にときめくものを感じた。
「大丈夫さ。男子を圧倒する強いデカ女でも、南ちゃんは格好良いし可愛い。自分の可愛いに確証を持ちなって。女の事ならまかせろの俺が言うんだから、それが世界の見解ってことさ」
姉と一緒で言う事が大げさで偉そう。そして大した根拠がない。でもそれが勇気になった。
面白いのは、普通なら自分の可愛いに自信を持てって言いそうなものを、太郎は「確証」と言った。それは自分の拙い感性を、そして私に見る女の部分を信じ切っているからだ。
「そうかそうか。あんたはそんなに私が好きなのか。じゃあ見る目があるよ」
照れたのだ。それを隠すため、かなり乱暴に太郎の頭を撫でた。
「今はちんちくりんのバカでスケベなガキだけど。時間を待ってイイ男になったら、その時は子分から昇格させる事も考えてやるよ」
「え!てか俺ってば子分だったのか?確かにそっちがデカいけど、子分はちょっとどうだろうか」
「はっはっは!太郎はおかしい奴だな~。私も好きだよ」
物の良し悪しではない。ただ男である。それだけを備えた人間からでも、正統に女として評価されてしまえば、女は自分の女に自信が持てるのだ。
その日から私は、自分の大きな体と大きくなって行く心を手放しで愛せるようになった。