第二話 グミだと!
太陽が燦々と降り注ぐある日の昼のことだ。
女はたくさんの荷物を抱え、川の側の土手を行く。荷物の中身は主に食材。
両手で持ってみても、か弱い乙女では楽々な持ち運びとはいかない。数歩進んではふらつく。それを何回も繰り返して長い一本道の先にある自宅を目指すのだ。
「お~いヨウコ~」
遠くからヨウコを呼ぶ声がする。男はヨウコを見つけて大きな声を上げた。
後方から聞こえる声に女は振り返った。その時、重い荷物に体の自由を持っていかれた。女は荷物の重さでバランスを崩し、後ろに倒れそうになる。
「あ!」
まずいと思った男はまた大声をあげる。
バランスを崩して後ろに下がると、女はもちろん荷物も土手を転げ落ちてタダでは済まない。
「おっとっと!」
こういう時にはついつい「おっとっと」が口をついてが出がち。女は「おっとっと」の呼吸で何とか体勢を立て直しにかかる。
男はやっと見つけたヨウコがすぐに土手下へフレームアウトすると困るので、急いで彼女に駆け寄る。自分が支えることでこの場をなんとかしようという考えがあった。
「ヨウコ!」
男の足は速い。ヨウコが倒れる前にしっかり受け止められるポジションにつけると自分でも確信があった。
がしかし、ここでヨウコと呼ばれた女は、男のイメージとは違うアクションに出た。
「ほいほい、よっと!」
体勢を立て直す呼吸を完成させた女は、倒れることなく安全な姿勢の維持に成功した。
「えっ!」
倒れると思った女が体勢を立て直したことで、偶然にも駆け寄った自分がかわされる形になった。その事に男は驚く。
もうひとつ驚く事があった。女が避けたことで草を踏むことになったが、その中にズルリと滑るトラップが潜んでいた。
「バ、バナナン!」
バナナの皮だった。
それを踏んだことで男はブレーキをかける未来を失った。踏んだ勢いのままバナナの皮ですってんころりん。土手の下まで派手に転げ落ちてしまった。
「あ~れ~~」
だんだんと小さくなって行く声、姿。女はそれを土手の上から見るばかりだった。
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「それが君だよ」
彼女は俺を指差して言った。
先程の説明に出て来た土手下へと落下した間抜けが後の俺である。いや、当時から俺だったんけど、記憶の有無を言えば今の俺ってことね。
「ダセェ~。にしてもダセェ~」
俺の事なんだけど、客観的に見ればこの感想が一番に頭に浮かんだ。で、すぐに口に出た。
「まぁ、お話しした通り、私が何かした訳でもないんだけどさ。でも私を助ける必要があって、それで私のために動いてくれたわけでもあるから、一応ちょっとは責任を感じてここにいる」
「そうか、その助ける必要ってのが実は全然なかったわけだが、それでもこうして訪ねてくれるとは、すまないなヨウコ」
俺が土手下に落ちてだいたい半日だという。その間、情けないことに気を失っていた。そして、土手をコロコロと転がる内に、記憶もどこかへ飛んで行ってしまったらしい。
「あっ、それなんだけどさ。私、ヨウコじゃないよ」
「え?だって今の話に出てきたのは、俺とヨウコ……」と言いながら俺は自分とヨウコを順に指差す。
「うん。ヨウコと呼ばれたのは本当。でも私はヨウコじゃない」
「え?ヨウコじゃないヤツをヨウコと呼んで駆け出して、転げて……え?」
「そうそう、君は人違いをしたのさ。私は後頭部がヨウコ似なだけでヨウコではない」
「え……」
えっ、なにそれ。怖いんだけど。じゃあ目の前のこいつは一体誰よ?
「じゃあ、お前は、誰なんだ……?」
俺は聞くしかないことを聞く。
「私は山田グミ。グミと呼んでくれて構わないよ」
グミ!何!グミだって!
グミとはあの噛めばくちゃくちゃする愛しいあんちくしょうか。あ、グミが好きだって事は覚えているらしい。
「グミ……あの、仲間を複数人抱える山田のお嬢さんが社会に向けて名乗る名義として便利なそういう、山田組の方じゃなくて?」
「いいや違うよ。私にそんなに仲間なんていないよ。私一人だけ、単体でグミなのさ」
「……へぇ~なんていうか、美味しそうな良い名前だね」
「おいおい、記憶を失って早々女子を食べたくなるような衝動に駆られるのは止してよ。まだ少し日も残っているし、ここは病院というパブリックスペースだよ」
グミは笑って言うのだった。
そうか、グミか。
記憶を失ったと同時に始まる俺の新しい記憶の物語開始一発目に登場した運命のヒロインになるのはこいつなのかどうか。過去もそうだが、先の未来も何も見えないなぁ。
やれやれ、頭を悩ます青春がスタートしちまったぜ。