38
「ん? 開かない」
扉を押したエスタが戸惑った。
「次の間にまだいるんだろ」
と俺が言う。
「ああ、それで。あ、開いた」
扉に寄り掛かったエスタが、ちょっと焦る。
開くと男が倒れていた。
俺「死体遺棄か。しかたないな」
チリリ「この迷宮なら、持ち帰ってもよかったように思うけど…」
ジーネ「見えない」そりゃきみ後ろだからな。
ビルト「いや、瀕死だがまだ息があるぞ」
「こいつウヒョウじゃん」
一歩先んじて中に入ったエスタが、顔を覗き込んでそう言った。
見るとそうであった。
背中から致命の一撃を食らって、深い刺し傷からトウトウと血が溢れている。
「いかん」
走り寄ったビルトソークが躊躇いもなく手持ちの蘇生薬を使った。
確か等級20とか、けっこう高価な薬のはずである。
「う、…くぅ」
「大丈夫か」
意識が戻ったウヒョウに対し、ビルトソークが声掛けしているので、その間周囲の警戒をする。
運がなければここで魔物が出るかと思ったのだが、幸い出現しなかった。
「また【治癒】使おうか?」
とジーネが言ってるので
「いいんじゃね」
と我ながら雑に返事する。
チリリ「生きているのに置いて行かれたの?」
エスタ「蘇生薬がなかったとか?」
俺「だけどすぐ右の扉から外に出て、他のチームに呼びかければ、あれば売ってくれそうだが」
また三度めで、ジーネに《3:6》が出た。
「あ、 治った。助かった」
シャンとしてウヒョウが普通にしゃべった。
「ホントに人相見さんに見てもらおう。お金貯めて」
ジーネが何やらウンウンうなずいている。
「お前さん、毎回死にかけて登場するなあ」
おもわず、そう言ってしまう。
チリリ「むしろ毎回助かって、強運よ」
エスタ「なにがあったんだ?」
ウヒョウ「たぶん、リーダーに刺されたんだ」
俺「やっぱそっちか」
まーた厄介ごとではないか。
ジーネ「えー? 喧嘩でもしたの?」
ウヒョウ「うーん、心当たりがないんだが」
俺「仕事に関して不満を言ったとか?」
チリリ「仕事?」
ウヒョウ「補強した樽の中に入るんだ」
エスタ「さっきの酔っ払いも言っていたやつか?」
ウヒョウ「中に入って、強い敵が来たときには『嫌われ者』と呼ばれる薬を使うんだよ。
リーダーの判断で使うんだが。
そうすると魔物の敵意が俺に向くんだ。魔物が樽を割ってる間に、他のメンバーが後ろから狩りをする」
エスタ「えぐいな…」
ウヒョウ「だけどそれに関しては文句は言っていないよ。
加入するときに、『しばらくこれをしてもらう』と言われたわけだし、どうしようもなく危ないというわけでもない」
チリリ「分け前を出すのを嫌がったのかしら」
エスタ「裕福そうだぞ、あのチーム」
ウヒョウ「昨日は山分けしてくれたし、別段ケチな
あ、ない」
ジーネ「何が?」
ウヒョウ「財布。なんてこった。全部盗まれた」
死んだ仲間から持っていくのは普通だが…
ウヒョウ「チームの目印だから、財布にしろって渡されたんだ。派手な模様の腰袋」
エスタ「あんたらのチーム、みんな付けてたね」
ウヒョウ「掏られても分かりやすいぞ、って言われてなるほどと思ったんだがな」
死んだあと、すぐ持って行きやすいな。そういえば。
ビルト「人を殺すほどの金額か?」
俺「それ以外の装備は外していない。腰袋は彼らのチームの一員と分かるのがいやで、とっさに持って行ったのかも」
エスタ「装備剥していたら、時間過ぎて、確実にウヒョウ死んでたな。まだ運がよかった。でもなんでそうしなかったんだ?」
俺「早く立ち去れば、早く遺体が消えるからなあ」
チリリ「私たちがすぐ後ろに追いついていたのは、運がよかったのね」
俺「それもあるけど、ビルトソークがすぐ動いたのが大きいよ。俺なら見捨ててたかもしれない」
ビルト「少しの会話しか交わしていなくても、知人は助けたいだろう」
エスタ「そうでもないよ。鎧剥ぐ奴のが多いぞきっと」
俺「剥いだ鎧持って歩いたら、そいつらが一番の容疑者だ。騒ぐわけない。
犯人が装備を剥がずに立ち去るのは、第一発見者への口止め料だ」
ジーネ「世知辛いねー」
ビルト「君らな…」
名家の出で治安維持に関心のあるビルトソークは不満そうだが、迷宮での犯罪なんて大体迷宮入りである。短時間で犯罪の痕跡は消えてしまうからだ。
明確な根拠があるなら、当局も動かないわけではないが。
俺「で、やっぱり何か向こうの癇に障ることがあったんじゃないか。思い出してくれ」
ウヒョウ「う…うーん。
昨日今日とズロイというおじさんが、あのチームのそばに来て『子供殺し』と悪口を言うのだけど」
エスタ「ズロイ?」
ウヒョウ「酒飲みで、垢だらけ髭だらけだけど、素顔は良さそうな」
あの呑兵衛の名前、ズロイというのか。
ウヒョウ「聞き流しちゃあいたんだが、気にはなるから、迷宮に入ってから尋ねたんだ」
ビルト「ほう。それで?」
ウヒョウ「『もちろん根も葉もない』と言われたんだが、じゃあ神に誓えるね、といったら、笑ってごまかされたな」
ビルト「それだ」チリリ「それよ」
俺「え? それ?」
ジーネ「ん? マショルカわかんない?」
エスタ「神に誓えって、相当無遠慮だぞ」
俺「む。そうか。そうだな」
そうかな?
俺「いやちょっとまて。いくら無遠慮でも、殺すまではないだろ」
チリリ「じゃなくて、誓えないからよ」
ビルト「人に嘘をつくのはできるが、神につくわけにいかないだろ」
そう…なるのか。ここの住人だと。
俺なんか「誓えよ」と言われて「ハイハイなんぼでも」となりそうだ。
エスタ「ああ、そっちか。安易に誓いを求めるのは、クッソ失礼だからキレたのかと思った」
いづれにせよ、誓いの押し付けは無礼なことらしい。
ジーネ「子供を殺してる、ってのはホント、ということ…?」
ビルト「さもなくば、殺してでも誓いを拒否する、とまではいかないだろう」
ウヒョウ「いや、俺も無礼ではあると思いはしたんだ。
しかし子供の命が掛かっていると考えると、確認は必要だろう。
彼も信心深い人間だから、嘘の誓いはするまいと思ってさ」
俺「訊く場所考えろ。密室になる迷宮で尋ねてどうする。死体も消えるのに」
ウヒョウ「事実でないなら、人目のあるところで尋ねては向こうが困るだろ」
エスタ「なんという糞真面目」
ジーネ「事実でも相手は困るよ」
俺「子供を殺すのに信心深いのか?」
ビルト「信心深い山賊というのも珍しくないよ。
世界は争いに満ちている。それを作ったのは神だ。だから殺し合いは御心に適うとね」
俺「でも誓いはできない?」
ビルト「それは全然意味が違うだろう。している行いを神が許していると思うことと、偽りの誓いが許されると思う事では」
俺「嘘を禁じてない神殿に通っているなら」
ウヒョウ「君の発想はあまりにずれすぎてる。
ほとんど異端だぞ。今度ちょっと話し合おう」
見るとウヒョウが怒りだす寸前の顔をこちらに向けていた。
おっと、うかつな意見を言っていたようだ。
チリリ「ねぇ、マショルカ。
さっきカリテイモの話が出た時、急に 『あいつか!』って叫んで考え込んだわよね。『証拠はない』とか。
なにか知ってるんじゃない?」
む。この流れは乗るべきか。異端審問よりましだわな。
俺「別名のほうで聞いた覚えがあったんだ。
縄張りのうちで子供を拷問にかけると出てくる魔物。子供を守ろうとする性質がある。
それ自体は非常に素早く、容易に攻撃が当たらないけど、子供を狙って撃つとかばうので殺すことができる」
エスタ「なんだそれ? その魔物の子供をまず手に入れるのか?」
俺「あ、ちがう。そのへんの人間の子供だ。その魔物自体が、自分の子を失い探す親のナレの果てと言われているんだ。そして他人の子供を自分の子と間違える」
チリリ「なら子供の守り神のようなものね」
俺「そうでもない。手に入れた子供は攫って行くし、育てられずにゾンビにしてしまうから」
ジーネ「おそろしい…」
ビルト「よくそんな話を知っているな」
俺「臨時雇いであちこちのチームに属してきたからな」
ウヒョウ「ではそれが、クルベルトワがやってきたことだと?」
俺「いや、伝聞からの類推であって」
エスタ「でもその程度のことがないと、ウヒョウが刺されないだろ」
ジーネ「あの酔いどれおじさんの言うことにも合致するしねー」
まあそれはそうかもしれない。がなあ。
俺「ウヒョウがあっちのリーダーに刺された、というのだって、ウヒョウの証言しかないわけで」
ウヒョウ「いや待ってくれ。神に誓うが嘘は言っていないぞ!」
俺「かもしれんけど、証拠がない。
傷も魔術で治してしまったしな。何が原因の傷か分からない」
チリリ「どういう状況でやられたの?」
ウヒョウ「あの改造樽には、背中の部分にリーダーからの指示が聞こえるよう、穴が開いているんだ。たぶんそこから突きこまれた」
ビルト「僕が見た傷の角度も、その証言に合うな。というより、殺意がない限り、パーティメンバーを瀕死で放置はあり得ない」
エスタやジーネも、うんうんと肯いている。
チリリ「初めて会った時のウヒョウを思い出して。そこまで信じられない人だったかしら?」
ビルト「君、単に、揉め事を嫌ってるのではないか?」
相変わらずビルトソークは直球だな。
俺「正直言うとそれ。当たり前じゃないか。追及すれば戦争だぞ。
それに証拠がないってのも嘘じゃない。
ここのメンバーがウヒョウを信じたとして、世間を納得させるのに使える道具がまるでない。
面と向かって追及しても水掛け論だし、手が出たときには、ここでは俺たちの方が新参だ。部外者なんだ。ほかのパーティまで敵になるかもしれない。摺りつぶされて終わりだ」
その言葉にウヒョウが怯んだ。
ウヒョウ「…そうだな。いや、命を助けてもらった上に、そんなことに巻き込むつもりはない。俺のことは気にしないでくれ」
チリリ「でも子供を道具にしてるというなら、それは止めたいんだけど」
彼女は相当腹に据えかねているようだ。可愛い顔なのに目がマジだ。
俺「とりあえず…
次の部屋に行かないか。そろそろ何か起きそうだ」
いったん精神もリセットするため、そう声をかける。
皆もそれは納得して、扉をくぐった。