08
「わかるか鏡水」
「……」
頭を小泉に抱きかかえられている新月は、天井を見たまま反応しなかった。
一方、木村かなえは、階段を上ってきた悪霊を攻め立て、階段の際まで追い込んでいた。
このまま突き続けて悪霊が足を踏み外しても、それなりにダメージを与えられそうだった。
「とどめ!」
かなえはそう言うと渾身の突きを繰り出した。
しかし、一瞬早く悪霊は腕を振り上げ、体を回した。
かなえも一度やられた技は喰らわない、という自信があった。突きかけた竹刀を、身体の捌きで水平に振り払う動きに切り替える。
突きから変化した、かなえの『胴』が悪霊の腹に決まった。
悪霊は体を『く』」の字にして悶絶……
そうならずとも、階下に落ちて大ダメージ。
と、なるはずだった。
「?」
曲げた体に当たった竹刀を、悪霊の両腕が下がり、押さえるようにガッチリ掴んでいた。
「ぬ、抜けない」
かなえは竹刀を押したり、引いたりするが、ビクともしない。
何度か揺すっていると、制服を着た悪霊の髪から、ホコリのように真っ黒な煙が発生した。
「かなえ、悪霊から何かが出ていますわ!」
「分かってる!」
悪霊は微動だにしなかったが、かなえは竹刀を壁に向かって動かそうとしているように見える。
そのまま壁に向かって押し付け、竹刀と壁で挟んで切るつもりなのだろうか。しかし竹刀は刀のように鋭くとがっている訳ではない。知世には、かなえが力で悪霊を押し切るのは不可能に思えた。
「えっ……」
言葉にならない雄叫び、いや獣の咆哮というべきものがかなえの口から発せされると、竹刀を掴んでビクともしなかった悪霊の足が震え、少しずつ動き始めた。
知世はかなえの身体から、太陽のフレアのような、炎の間近で空気が震え歪むような、白い気が発せられるのを見た。
もしかしたら、かなえも晶紀と同じように霊力を自らの力に加え、人智を超える力を引き出すことが出来るのかも知れない。
知世は、期待と不安で震えた。
「!」
ついに悪霊は耐えきれず、体が壁に向かって飛ぶ。
悪霊の体が壁にぶつかった瞬間、竹刀にかなえの気が移ったように、一直線に白く光った。
竹刀は体を押し切り、校舎の壁に当たる直前で停止した。
制服を着た悪霊は、体を真っ二つにされ、髪から発していたホコリのように、細かく分解していくと、分解した小さい粒子は一つ一つ発光しながら消えていった。
先に動かなくなっていた悪霊たちも、同じように煙のようなホコリのような、小さな粒子に分解していき、小さい光を発すると消えていく。
「なんだろう、今の感覚」
かなえは自らの手の平を見つめて、そう言った。
「今の、晶紀さんと同じ力かもしれませんわ」
「そうなのかな」
知世が佐倉先生を振り返ると、かなえも佐倉の言葉を待つように見つめた。
「儂もそう思う」
「鏡水、鏡水」
新月は目を開けたまま、小泉に抱きかかえられながら天井を見つめている。
佐倉が新月と小泉に近づくと、膝をついてしゃがんだ。
そして新月の手を取って、自らの胸に近づけた。
「な、何をして……」
驚いたように小泉がそう言った瞬間、佐倉の胸と新月の手のあたりで何かが光った。
「えっ?」
佐倉は目を閉じ、軽くうつむいていた。胸のあたりから、雪の結晶のように小さい光が降り注いて、新月の手の甲に落ちると消える。
そこにいた全員がその光を見て、言葉を失っていた。
降り注ぐその小さな光は、やさしさに溢れていて、『いやしの光』とでも言うべきものに思えた。
その光の流れが止まると、佐倉が目を開けて、立ち上がった。
新月が急に小泉の手を離れ、自ら起き上がった。
「すまん。せっかく敵の戦法を教えてくれたのに、反応が遅れて喰らってしまった」
新月がかなえに向かって頭を下げた。
「意識もどったのか」
小泉が言うが、新月はなんのことか分かっていなかった。
「?」
小泉は、新月に抱き着いて泣き始めた。
晶紀の制服は、黒い獣の体液を浴びて、赤黒く変色していた。
黒い獣は、仰向けに倒れている晶紀に襲いかかる。
前足で腕を押さえられると、獣は大きく口を開いた。
「晶紀ちゃん!」
カレンが手を突っ張って獣を突く。獣は晶紀ではなくカレンに牙を向ける。
その一瞬の隙をついて、腕を外し、晶紀は獣の首を両腕で締め上げる。
足をばたつかせて抵抗する。カレンは、慌ててその場を離れた。
完全に腕で首を極めているので、獣の動きが弱ってくる。
足の動きがゆっくりになったところで、晶紀が言う。
「これで倒せたら、何度目?」
「五度目かな」
「なんでこいつ、何度も再生するんだろう」
晶紀の背中に、獣の爪が突き立てられている。これがなんともないはずはない。痛いはずだった。それを我慢しているのだ。
「……」
カレンに答えられるはずもなかった。
晶紀は自分の考えを口にする。
「私たち、獣が『いるんじゃないか』と思ったらそこにいて、『再生するんじゃないか』と思ったら再生している。何かこっちの思っていることを実現しているような気がしない?」
「……」
「さっきから、考えを読まれているような気がするの。カレンはそんな気がしない? きっと、私のイメージが見えたでしょう?」
「あっ……」
カレンは晶紀が考えたイメージを見ることが出来た。カレンが襲われる時も、天井に頭を突っ込んで獣が死んだと思った後も、晶紀から復活してくるイメージが入って来ていた。そして、その通りに現実が動いた。
カレンには晶紀の霊力による予知のような力だと思っていたが、何者かが『嫌だ』と思うことを読み取って実行しているのだとしたら。
「饅頭怖い」
カレンが言った。
晶紀の腕の中で、獣が息を引き取ろうとしている。
「晶紀ちゃん『饅頭怖い』って知ってますか? 怖がらせようとする人に『おばけより饅頭が怖い』と言って饅頭をださせて、見事それを食べてしまうという落語です」
「……そんな風に考えろってこと?」
「そう。けど、早くしないと悪いイメージをくみ取って獣が再生しちゃうから」
「やってみる」
晶紀はそう言って、腕を締め上げ、獣に止めを刺した。
力を失う獣を見て、晶紀は立ちあがる。
晶紀は無言で考えるより、声にだしてみることにした。
「このまま動かないのが一番怖い。いつ動き出すか、まだ動かない。まだ、動かない、と恐怖が延々と続く。復活したら倒せばいいわけだけど、死んでるやつは倒せないもん」
カレンは晶紀の手を引いて地上への通路の方へ誘導する。晶紀はずっと黒い獣の方を見ながら、『饅頭怖い』作戦の為に話し続けた。
「ほら、動かない。もう怖くてたまらない。いつうごくって、考えるだけでゾッとする」
晶紀の言葉通り、黒い豹のような獣は動かないまま、横たわっている。
「動けばまだましなのに。このままが一番怖い」
通路がカーブしていて、だんだん黒い獣が見えなくなる。
「見えなくなったら見えなくなって怖い。いつこの物陰から出てくるか、と想像する方がずっと怖い」
またしばらく進むと、地上に出る為の階段になった。
晶紀はまだ獣のいる方向を見つめながら、ボソボソと『饅頭怖い』セリフを口にしている。
「この作戦を止めたらどうなるのか、考えるのが怖い」
「あっ……」
とカレンが言った。
晶紀はカレンを振り返る。
「ごめん…… 考えちゃった」
晶紀は、カレンの顔越しに階段の上を見た。
そこには、目の大きな黒の網タイツにピンヒールを履いた児玉先生が立っていた。
カレンも階上に振り返る。
「やっぱり」
腕を組み、階下の二人を睨みつけている先生が口を開いた。
「思ったより遅かったわね」
腰を捻るようにして、体重を左足から右足に移すとつづけた。
「低レベルの相手と戦うのは退屈なの」
「何を……」
児玉先生が二人に向けて手をかざす。
その瞬間、広げた五本の指から、雷が放たれる。
様々に広がる強力な白い光は素早く、右も左も、上に下にも広がった。
時間も場所もなく、二人には避けようがなかった。
晶紀は両手を開いて、カレンの前に出る。
「!」
放たれた雷すべてを受け止めた後、晶紀は声もなく倒れた。