03
「お、おうっ!」
男は急に足を開き、肩を揺するように歩いて、部屋の中に入ってきた。
人差し指を伸ばして高く掲げ、次第にカレンに近づいてくる。
カレンは覚悟したように目を閉じた。
晶紀は男の指がカレンに触れないように男を捕まえようと後ろに回り込む。
「なんだ、なんだ、なんだ、何をする気だ!」
男振り返って騒ぎ出す。晶紀は、作戦を変更して、足枷のない方の足で、足を払うように水平に蹴り込んだ。
「えっ?」
晶紀の蹴りは空振りしてしまう。
男はバック宙をしたかと思うと、紙切れになってしまった。
「……」
目を開けたカレンは、ひらひらと宙を滑りながら部屋の外に出て行く紙切れを見て言う。
「ど、どうしたの?」
「式神だ」
「式神? あの陰陽師とかで有名な?」
「そう」
男は紙に戻ったが、鍵が床に落ちていない。つまり鍵自体も、式神と同じくこの紙で変化させていたものなのだろう。部屋の扉は開いたままだが、足枷が部屋に繋がっているために、逃げ出せないことには変わりなかった。
「食事は?」
「……」
晶紀は無言で、扉の方へ進んでいく。
足枷の鎖が伸びきったところで、足を開き、床を這うように体を部屋の外へ伸ばした。
「あった!」
式神が運んできていた食事のトレイを見つけた。
晶紀は目を閉じて手を伸ばし、霊力でトレイを引き寄せようと念じる。
ズルッと音がして、食事が乗ったトレイが動く。
あと少しで指に触れる…… 晶紀はさらに霊力を振り絞る。
「!」
伸ばした手が、尖ったピンヒールに踏みつけられる。
痛みで声も出ない。手を引っ込めると、ヒールは逃げるように後ろに下がった。晶紀はヒールの先を見上げる。
「児玉先……」
言いかけた晶紀の顔面に蹴りが入る。
足枷の鎖がねじれて高い音を立て、続けて転がった晶紀の頭が扉に当たる鈍い音がした。
「ほら、部屋に戻りな」
ヒールで頭をグイグイ押され、血だらけの顔を手で押さえながら、部屋の中へ這い戻る。
カレンにも児玉先生の顔が見えた。
児玉先生がカレンを睨み返すと、部屋の中に入ってくる。
「まったく、触ったって減るもんじゃないのに。おとなしく触らせとけば食事にありつけたんだよ」
そう言いながら児玉先生は、カレンの髪を引っ張り、揺すった。
変わらないカレンの表情に、今度は平手打ちする。
「なんか言い返しなよ」
よろよろと晶紀の手が伸び、先生の足首を押さえる。
抑えられた足と逆の足の踵が、晶紀の手を踏みつけた。
踏まれた腕を引き戻すと同時に、足首を掴んでいた手を離した。のたうつように体を曲げ、晶紀は痛みをこらえる。
「立場をわきまえな」
先生は晶紀に向かってそう言った。
「バカは死ななきゃ治らないってのは本当だね」
部屋を出て行き、先生の姿が見えなくなる。
ずるずると音がすると、扉のところに食事のトレイが見えた。
先生の足が見えた。トレイを足で押して動かしたのだ。扉に先生の姿が見えると、さらに足でトレイを部屋に押し込んだ。
カップに入っているスープがこぼれ、ボウルに入っている豆などが、トレイに落ちる。
「バカが治るように、すぐに殺してやるから」
そう言うと先生は扉を閉めた。
晶紀は手の甲を押さえながら、天井を見つめて黙っている。
カレンはすすり泣いていた。
しばらくそうした後、カレンは泣きながら言った。
「さっきの、本当に児玉先生なの」
「……」
晶紀は児玉先生の姿を思い出していた。
カレンがそう思うのも無理はない。ビビッドな赤のピンヒール。目の大きな黒い網タイツを履き、下着が見えるかと思うくらい短いスカートに、胸元が大きく開いた黒の上着。メガネもどこか縁の尖り方が違う気ように感じた。すべてが日常の児玉先生の姿と真反対なのだ。
何か憑いているのかも知れない。いや、普段の姿が仮の姿だったのかも知れない。
どちらにせよ、今の児玉先生は、晶紀達の敵に違いなかった。
「私たち、本当に殺されるの」
今の状態ではどうにもならない。この鎖を外し、この扉の鍵を開け外にでたとして、ここがどこかも分からないし、どこに逃げればいいかも分からない。
晶紀には、カレンを勇気づける言葉が見つからなかった。
一つだけ言えることを思いついて、晶紀は体を起こして言った。
トレイにこぼれてしまっているとは言え、十分に食べ物がある。
「とりあえず、食べるだけ食べて、それから考えよう」
いつもなら朝のホームルームで静かに担任教師の話を聞いている時間帯だった。
しかし現状はいつもと違っていた。教室に担任がやって来ず、教室は待ちくたびれた生徒の私語で騒がしくなっている。
知世は誰も座っていない晶紀の席を黙って見つめていた。
「晶紀、どうしたんだろ」
かなえの問いに知世は答えを持っていなかった。
「心配だね」
知世はかなえにうなずくしかできなかった。耐えきれずに閉じた瞼から、涙がこぼれる。
想像していた以上の反応に、かなえが驚いてしまう。
「えっ……」
もしかしたら…… 悪い方へ悪い方へ人の思いが流れていく。
教室の扉が開く。
生徒は口を閉じ、一斉に扉に注目する。
児玉先生ではない姿に、小さいささやき声が広がる。
知世は見たままを口にする。
「佐倉先生」
佐倉はそのまま教室内に入って来て、教壇の前に立つ。
「今日、児玉先生はお休みです。受け持ちの一時間目も自習になります」
思わず『やった』と声を上げる生徒もいた。
「今から呼ぶ人を除いては」
今度は、低いどよめきのような声が広がる。
「宝仙寺知世、木村かなえ、山口あきな、阿部真琴、石原美波、小泉メアリー、仲井すず」
「えっ、なんで」
仲井が声を上げた。
「呼ばれたものは立って、前に出てください」
ガタガタといすが引かれ、音がする。
「彼女たちには、課外授業を手伝ってもらいます。時間が伸びる場合もありますので、次の時間まで延長していたら教科の先生に伝えてください」
「それでは行きましょう」
佐倉が教室を出て行き、扉の外で待っている。
知世、かなえ、あきな、小泉、仲井、石原、阿部…… と順に教室を出て行く。
「鏡水じゃないか」
仲井が廊下にいる新月鏡水に気付き、声を掛ける。
佐倉が扉閉めると、小泉が口を開く。
「課外授業って、何するんだ」
佐倉は教室に聞こえないよう、小さい声で、かつ、教室側に背を向けて言った。
「天摩晶紀がさらわれた。我々で天摩を捜索する」
「はぁ? なんでそんなこと」
と大声を出すと、扉の窓を通して、いくつかの視線が注がれる。
「晶紀に関わった者の力が必要なんだ。頼む」
佐倉は廊下に膝をつき、頭を下げた。
「せ、先生そこまでしなくても……」
「わかったよ」
「けれど、どこから探せば良いのでしょうか」
知世が首をかしげる。
佐倉は立ち上がると、指を差した。
学校の防犯カメラで不自然な画像が映っていた、この教室の先の廊下だった。
「なんだっけ、そこの教室」
佐倉が訂正する。
「違うんだ小泉。廊下のことだ」
「廊下? 見たまんまだろう、何もないぞ」
佐倉は首を縦に振る。
新月が、さっそく動き出す。
「本当だ。晶紀の匂いを感じる」
「鏡水、冗談はよせ」
小泉が苦笑いを見せて、そう言うと、新月は言い返す。
「すみません。本当なんです」
小泉の横で、仲井が手を広げて、肩をすぼめて見せる。
「匂いなんて。犬じゃねぇんだから」