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「阿部」

 新月が、言った。

「頼む」

 と佐倉先生が言うと、小泉が阿部を指した。

「お前しか」

 阿部は左手にリボンを右手に棒を握って、リボンを強く張った。

「やるよ。やります!」

 鼠男の顔が、阿部の方を向いた。

 下半身のものも、少し遅れて阿部の方を向く。

「やっぱり、いやぁ!」

 阿部は鼠男に背を向けた。

 鼠男の動きが止まったかと思うと、今度は、おもむろに下半身を両手で握り込んだ。

「なにを始めるのじゃ」

 佐倉が言うと、その声が聞こえたかのように鼠男は手を動かし始めた。

 表面をなぞるように手を往復させる。

 教室にいた佐倉をはじめとする四人は、その仕草に注目していた。

「こ、これは……」

「えっと、これね」

「な、ナニじゃね。ナニーって伸ばした方がぽいかな?」

「そんなことは後回しじゃ! ほれ、また飛んでくるぞ」

 佐倉の声を聞いて、新月は阿部に『逃げろ』と言った。

 どうみても鼠男が狙っている方向が、阿部だった。

「掛かったら、攻撃できなくなる」

「キャー!」

 阿部が叫ぶと、鼠男は射出した。

 慌てて逃げようとした阿部は、机に脚を掛けて転んでしまう。

 万事休す。

 間に合わなかった。これで『攻撃が出来る者』がいなくなったと思った、その時だった。

「?」

 阿部には一滴もその液体が掛からなかった。

 鼠男との間には、新月が両手を広げて、射出された液体を防いでいた。

「一度浴びたんだから、どうせ何度浴びても同じだ」

 顔面を袖で拭いながら、新月はそう言った。

「阿部、頼むぞ」

 阿部は立ち上がると、明らかに表情が変わった。

 怒りなのか、憎しみなのか、決意なのか、意味は分からなかった。

 立ち上がると、阿部は鼠男の方へ机を蹴り飛ばし、動きを規制した。

 リボンを頭上で回しながら、鼠男の隙を探す。

「絶対倒します」

 新月も小泉も、机を押し出し、周囲に机を詰めることで鼠男の動きを封じた。

「頼むぞ」

 鼠男は相変わらず股間のあたりで手を動かしている。

「はっ!」

 阿部のリボンが、空中を生きているように動く。

 鼠男が威嚇として開いた口を、ぐるりと回って絞り込む。

 阿部がリボンを引くと、口が閉じ、鼠男の前に詰められた机に頭をぶつけた。

 さらに引き込むリボンの力で、机からさらに下へと引き込まれると、鼠男の頭は床に叩きつけられた。

「このまま頭を引き千切ってやる」

 張ったリボンを阿部が『グイ』と引くと、鼠男の手足が痙攣するように動く。

 鼠男は抵抗出来ないのか、リボンに引かれるまま、床を移動した。

「!」

 小泉は何かに気付いて、机を避けながら阿部の方へ移動する。

「これだけ強くリボンが巻かれていれば、息も出来ないだろう」

 阿部は言いながら、リボンを引っ張り続ける。

 鼠男は、阿部の足元に近づいてきた。

 床を引き摺られた状態でも、鼠男の手は股間で動いている。

 小泉は、それを確認すると、さらに急いだ。

「それ以上、引っ張るのはやめろ!」

 その声に反応したのか、鼠男は膝を曲げて立ち上がり、リボンの力に逆らった。

 阿部はいきなりリボンに引かれた為、鼠男の方へ倒れてしまう。

 鼠男の股間から、強制射出された液体が発射される。

 至近距離、崩れた態勢。

 避けきれない。

 阿部は目を閉じてしまった。

「!」

 何も感じない。

 阿部はゆっくりと目を開いた。

 鼠男の股間は見えない。

 変わりに銀髪の頭がそこに見えた。小泉だ。

 小泉が身代わりとなって、顔面でその液体を受けたのだ。

「なにをやっている、止めを差せ」

 阿部は、涙を浮かべながら、リボンを動かすと、膝をついた状態の鼠男の首に巻いた。

 足で鼠男の頭を押さえ、リボンの両端を引いた。

 閉じられていくリボンで、鼠男の首が斬れる。

 落ちていく大きな鼠の形をした頭。

 阿部は言った。 

「勝った」

 誰もがそう確信していた。




「知世!」

 かなえが言うと、知世は竹刀に光る刃を与えた。

 同時に『大蛇がどうやってこの刃を受け止めるのか』を観察する。それが今回の目的なのだ。

 かなえの腕が止まる。

 大蛇の鱗にめり込んだように、表皮が、鱗が歪んでいる。

 もっとはっきり見ないと…… 知世は大きな瞳を、さらに見開いて凝視した。

 分かった。

 鱗が寄って密度を増している。そして、竹刀が当たる箇所の鱗は、複数枚が盛り上がったようになり、刃を挟むように抑えているのだ。

 当たる部分の表皮が凹み、代わりに立ち上がった鱗が、漫画でしかありえないような『真剣白刃取り』をしている。

 弱点…… 弱点はないだろうか。知世は考える。

「見えた」

 かなえが言った。

「知世も見たか」

 横目で問うかなえに『はい』と答える。

「けど、対策が……」

「後二回、竹刀に光る刃を付けてもらう」

 大蛇の舌を、噛みつく牙の攻撃を、竹刀で巧みに避けながら、かなえは言葉を続ける。

「あと、石原! 力を貸してくれ」

 後ろにいる石原に聞こえるように、大きな声で言った。

 かなえの後ろに知世、その後ろに呼ばれた石原がやってきた。

「一回目の刃を止められたら石原さんが大蛇を『停止』させて。同時に、知世も刃を一度消す。もう一度振り込む時には、光る刃を付ける。止めるのも、消すのも、再び付けるのも、どれ一つ遅れたら勝てない」

 かなえが何をやろうとしているのか、二人は頭に描いた。

 簡単に言えば、鱗が白刃取りした状態で大蛇の動きを止め、竹刀だけ打ち直す。

 二人は同時に理解し、顔を見合わせ、返事をする。

『はい』

 かなえが大蛇の攻撃をかわしながら、タイミングを計る。

 かなえが撃ち込む時に、離れていては力を使えない。動き回るかなえの後ろを、息を切らしながら知世と石原が付いていく。

「次だ!」

 かなえの竹刀が鋭く撃ち込まれる。知世は遅れないよう、光の刃を送る。

 大蛇の表皮は波打つように歪んで、竹刀を避け、そして、立てた鱗が刃を捕まえる。

 知世が石原にタイミングを出すと、石原が叫びながら大蛇の動きを止めた。

 一度、光の刃を消し去り、かなえが竹刀を引き戻すと、再び刃を与える。

 鱗が寄って、弱い部分が晒されている。

 鈍い打撃音。

 切れない。

 大蛇の弱いところを斬りつけているのに……

「知世!」

 宝仙寺は、木村かなえの背中に触れ、力の限りを竹刀に注ぎ込む。

 かなえも限界を超えて竹刀に力を入れる。

 石原は、息を止めて、大蛇が動かないように精神を集中した。

 三人の力が、限界に達しつつあった。

「いける!」

 竹刀が半分ほど食い込んだ状態をみて、仲井がそう言った。

「あと少し」

 だが竹刀はそこで止まってしまった。

 石原は、咳き込んで息を吸い込む。

 同時に大蛇は動きを取り戻す。

 知世が気を失って、竹刀の刃が消えてしまう。

 かなえの力だけでは、半分まで切った蛇の首を斬り落とすことが出来ない。

 加えて、竹刀を抜き取ることも出来ない。

 大蛇の大きく開けた口は、かなえとその後ろについている知世と石原をも飲み込まんと大きく開けられた。

「抜けろ、抜けろ、抜けろ」

 竹刀を必死に引っ張るかなえ。気を失っている知世。息苦しくて動けない石原。

 もうだめだ。仲井が諦めかけた時、大蛇に向かって影が走った。

「?」

 蛇を見るなり震えていた山口だった。

 平たく潰れた鞄の端に、鋭利な刃が付いている。

 山口は、体を回しながら鞄を投げた。

 鞄が飛んでいくと、竹刀が食い込んだ蛇の体を、反対から切り裂く。

 切り落とされた瞬間、かなえは竹刀を抜き、襲い掛かる牙を、開いた口を突いた。

 大蛇の頭は落ち、体から切り離された。

 傷口から霧のように分解され、小さい粒子は光り、そして消えていく。

 大蛇のしっぽの先まで消えてしまうと、鼠に食われた本の残骸が床に残っていた。




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