17
山口あきなが目を覚ますと知世や石原、仲井すずに校庭に晶紀と昭島カレンが捉えられていることを伝えた。
「A棟の教室で、佐倉先生の力でみんな回復しているところなの。早く合流して校庭へ」
「こっちはこっちで、校庭に出た方が……」
「知世、ここで焦ったら負けるぞ」
「かなえ」
「この世界ではどう考えても敵に分がある。力を合わせないと校庭にすらたどり着けないぞ」
知世は黙ってうなずいた。
力のあるかなえですらそう思うのなら、間違いない。知世は焦る気持ちを抑えることにした。晶紀さんが死ぬことはない。晶紀さんは私たちよりずっと強いんだから。
「OK。じゃあ、さっそくA棟に行こう。B棟を調べる意味はもうない」
仲井の言葉に、不思議とその場にいた全員、力が湧いてくるように思えた。
「うん」
「行こう」
渡り廊下を通り、A棟に入る時、知世はA棟側の人影に気付いた。
「何かしら」
「知世も気付いたか」
「はい。何か人影が、あっちへ」
「メアリーかな」
仲井の言葉をかなえは即座に否定する。
「確かに灰色ではあったが、違う。敵だ」
「鼠」
「……のように見えた」
知世の言葉にかなえも同意した。
「佐倉達の教室に向かったに違いない」
「行こう」
かなえの言葉に知世はうなずいた。
山口が急ぎ足で先頭に立ち、教室の方向を手で示した。
「こっちだ」
「待て、後ろ」
かなえの言葉に、全員が後ろを振り返る。
「鼠?」
良く見えないのか山口はそう言うと、知世は見たままを口にした。
「鼠が本を運んでいますわ」
「かわいい」
と石原。かなえは、即座に否定する。
「かわいいか? 気持ち悪いだろ」
「本を教室に入れてはいけない気がします」
「そうだな」
知世の言うことにうなずき、かなえは竹刀を構える。
かなえの竹刀を見て、鼠たちは止まった。
後ろからくる鼠は、前の鼠の背中にのり、抱えていた本をかじり始めた。
一匹、二匹、四匹、十六匹、二百五十六匹……
本にかじりつく鼠は増え、太り、大きくなった。
「本を食べてしまいましたわ」
本をかじり終えた鼠は、次々と最初の鼠のしっぽを、後ろの鼠が咥えるように繋がる。
つながった鼠の体は、溶けるように隙間が埋まって、一本の長い物体に変わっていく。
「へ、蛇?」
と言いながらビクッと震えると、山口は、知世の上着の裾をギュッと握った。
本を食った鼠が一列に並んで大蛇に変化したのだ。
色は変わらずグレーだったが、蛇特有の滑るような肌をしている。
「止めてよ。私蛇苦手」
「山口さん」
知世は背中の山口を落ち着かせようと、腕を回した。
七、八メートルはあろうかという蛇が、ぐっと鎌首を持ち上げる。
持ち上げると頭は廊下の天井に着きそうだった。
かなえの竹刀の切っ先が、正確に蛇の口を狙って動く。
蛇は威嚇するように、時々かなえの身体や、竹刀に噛みつこうとした。
かなえは都度切っ先を器用に回して、その攻撃をかわす。
隙を見て、竹刀で大蛇を叩くが、硬いうろこに阻まれ、ダメージが与えられない。
「知世、さっきのやつが必要」
かなえは防戦一方になる。
「光る刃が……」
知世は、おびえる山口に引っ張られ、かなえの竹刀に集中できない。
「仲井さん、山口さんをおねがい」
仲井が山口を背中からハグすると、山口の震えが収まった。
「知世、早くかなえをアシストして」
裾を掴む力が緩んだ。
知世は山口を振り切って、かなえの背後についた。
「知世、頼む」
知世は気持ちを集中させ、竹刀の『もの打ち』の部分、つまり刀の刃の部分に力を与えた。
力が加わった竹刀は、光り、真剣のように切れる…… はずだった。
かなえの鋭い振り、正確な太刀筋をもっても、大蛇の胴体を切ることが出来なかった。
「どうして?」
「もう一度!」
牙を見せ突っ込んでくる蛇頭を避けつつ、力のこもった竹刀を振るう。
知世も集中して、その竹刀に光る刃を与える。
「!」
まるで、当たる部分が最初から分かっているように鱗が密集し、光る竹刀を弾く。
「固い」
石原が、後ろから言う。
「動きのせいなら、私が動きを止めようか?」
「……」
かなえは何故この大蛇の切り刻めないのか、答えが出せない。
石原も怖いながら、懸命にそう言ってくれたのだ。
知世はかなえの後ろで、大蛇を見ながら考える。蛇の動き。動きのせいで、斬れないということはありうるが、大蛇が、ずっと動いていた訳ではない。確か、こう不思議な動きだった……
「かなえ、もう一度やってみて」
「けど、あれ以上の力は出せないよ」
「大蛇の動きを観察したいの」
「分かった」
蛇は何度も口を開き、牙で威嚇し、鋭く突くように頭を出す。
かなえは足さばきで避け、竹刀を使ってかわし、蛇を切る隙を探す。
大蛇が連続で首をだし、伸びきったところをかなえが避けた。
と同時に叫ぶ。
「知世!」
知世が手を伸ばし、竹刀に力を与えた。
同時に知世は観察する。どうしてこの刃を弾き返すのか。何が起こっているのかを、正確に、冷静に分析しなければ、この大蛇に勝てない。
かなえの太刀筋は早くて見えないが、蛇の胴体が切れないのは分かる。
竹刀が当たる前と、当たった後の変化を、違いを探すんだ。知世は目を凝らし大蛇を観察した。
夜。校庭の端にあるナイター用のライトが弱弱しく照らしている。
晶紀と昭島カレンは十字架に手足を縛り付けられていた。カレンは気を失ったまま目を覚ましていない。晶紀は意識があるものの、自由を奪われていて、何も出来ない。
綾先生と児玉先生が空間に透き通った画面のようなものを作り、校舎内の出来事を観察している。
おそらく、観察用に一匹いる鼠を使い、その目に映る映像をそのまま映し出していると思われた。
鼠は教室の中を見ていて、見ている先には頭が巨大な鼠になっている鼠男の後ろ姿があった。
鼠男は、なにやら怪しげな液体を掛け、晶紀の仲間たちの攻撃をかわしていた。
綾先生は手をついて四つん這いになり、その上に児玉先生が腰かけている。
「ちょっと。なんでこんな下品で低俗なの?」
児玉先生は、綾先生の尻を指し棒で叩き、そう言った。
「図書室にあった本がそういったものだったのではないかと推測します」
「はぁ? 女生徒の顔面に体液ぶっかける本なんて学校の図書室あると思えませんけどね」
児玉先生はイライラした表情だった。
「まあ、いい。この様子だと、液体をかけられた女生徒は鼠男に反撃できないんでしょ」
「その通りです」
「さっさと全員にぶっかけちゃいなさいよ」
「さきほど低俗だの下品だのと……」
「ほら、口答えしない」
再び尻を指し棒で叩いた。
綾先生は特に痛いといった表情もなく淡々と答える。
「何もなしにぶっかけるわけにはいかないんですよ」
「どういう意味よ」
「実際の男性と同じです。まずは雰囲気というか、メンタル面が整わないと射出まで至りません。また、当然体の準備も必要です。そもそも連続で出すのは限界が……」
「所詮、悪霊なんだから、そんな部分無視しなさいよ」
「……」
「何黙ってるの?」
綾先生は黙ったまま、どこか遠くを見ていた。
晶紀は不思議に思って、綾先生の視線の先を追った。
そこには、バックパックが無造作に置いてあった。
バックパックのチャックは開いていて、中に入っているものが一部見えていた。
この十字架を作る為に使った鋸や、木ネジや金槌などの工具類、そして…… 神楽鈴があった。
「!」
あんなところに『神楽鈴』がある。
キラキラと鈴が輝いている、晶紀の目にはそう映っていた。
神楽鈴を使えば、こんな奴らに負けるわけがない。晶紀はそう思うと同時に、なんとか神楽鈴を手繰り寄せることが出来ないか考えた。
精神を集中すると、バックパックのチャックが少しだけ動いた。
せめてもう少し近ければ…… 晶紀は思った。隣のカレンの足もとぐらいなら、思った力が届いた。
しかし、神楽鈴の入っているバックパックはその三倍、いや七、八倍は遠い。
遠ければ力を働かせるのは難しい。まずバックパック自体を近づけることは出来ないだろうか。
「ほら、何だまってるのよ。鼠に、連続射出の指示を出しなさい」
「わかりましたので、立っていただけますか。この態勢では何もできません」
綾先生が言うと、児玉先生は立ち上がった。
四つん這いの状態から立ち上がると、手を叩いて砂を落とした。
映像を確認しながら、綾先生は両手の指を組み合わせ、呪文を唱える。
すると、映像の中の鼠男の様子が変化した。
映像では、鼠男の後ろ側から見ているのだが、鼠男の両手が股間に伸びた。
「ちょっと、なにやらせてんの」
「連続射出の為、自分でバンバンさせているんですが」
「まさか、体液って……」
児玉先生は言いかけて口を押えた。
綾先生が、目を細めて疑いのまなざしで見つめる。
「うぶなネンネじゃあるまいし。それくらい分かっていたでしょう?」
「し、しらないわよ。何も知りません。知らないけど、とにかく『バンバン』させちゃいなさい」
「やれ、鉄鼠」
綾先生が再び指を組み合わせながら、呪文を唱える。
鼠男が下半身を突き出しながら、狙いを定めたように前進していった。




