異次元学園

１６

「新月、頼む！」

　小泉が言った。

　新月鏡水が、教室に入り込んできた鼠男に一番近い位置にいたからだ。

「やってやる」

　オープンフィンガーのグローブを付けた鏡水が、軽快なフットワークで頭を振りながら鼠男の間合いを詰める。

　鼠男の方も、腕を上げファイティングポーズをとり、軽快にステップする。

　ステップすると、股間についているものがどうしても上下左右に揺れてしまう。

　気にしないように注意しているにも関わらず、その動きに視線がつられてしまう。

「鏡水！」

　小泉は新月が股間に気を取られていることを察知し、叫んだ。

　その声に気付き、視線を戻した。

　次の瞬間、新月は鼠男のアッパーカットを、後ろに体を反らし、避けた。

「不注意すぎるぞ」

　新月は、鼠男と距離をとった。

「メアリー様。すみません」

　小泉はあごに指を当てて考えた。

「阿部、リボンで股間をグルグル巻きにできないか？　あれがブラブラされると攻撃出来ない」

「いやよ。死んでもいや」

「けど、お前のリボンなら……」

「だったら、小泉のヨーヨーで潰しちゃってよ。潰しちゃえば気にならないでしょ」

　小泉は新月の方に向いた。

「新月、まず股間のあれを叩こう」

「め、メアリー様。そんな、ご無体な……」

　腕を組んで、小泉は厳しい表情になる。

「どのみちやっつけるんだから、どこから叩いても同じだろう」

「ならメアリー様お願いします」

「……」

　まさか新月が言い返してくると思っていなかった小泉は、目を見開いた。

　阿部と新月の視線を受け、小泉は追い詰められてしまった。

「わ、わかった。潰せばいいんだろ」

　小泉は、近くにあった机を両手で持ち、天板の方を向けて鼠男に近づいていく。

「こういう風に、ものを使えばいいんだ」

　机を持ったまま、じりじりと近づく小泉。

　手を前に出して机を受け止めようかという構えをするも、すこしずつ後ろに下がっていく鼠男。

　小泉は、鼠男の顔の方へ机を押し出し、腕を上げ、避けたところで机を引っ込め、下半身に勢いよく押し出した。

　机の板部分が、鼠の股間に強く当たった。

　衝撃で鼠男は体をくの字に曲げる。

「！」

　次の瞬間、腰だけを前に押し出し、机ごと小泉を弾き飛ばした。

「強い」

　新月が言った。

　飛ばされて尻餅をついた小泉は、眼前に突き出された股間のモノをみて悲鳴を上げた。小泉の声に反応した鼠男が、何か叫ぶと、液体を発射した。

　小泉は素早く立ち上がると、新月の背中に隠れた。

「小泉、早く顔を拭け」

「えっ？」

　小泉はハンカチで顔を拭った。白い粘着性の物質を見て、ハンカチを床に叩きつけた。

「な、なにしやがるんだこいつ」

　そして新月の服を引っ張ると、言った。

「お願い。鏡水。鼠男(こいつ)倒して」

「こ、股間は無視だ。無視すりゃもんだいない」

　無視できなかったからここまで追い込まれているんじゃないか、と小泉は思った。

「お、おう。たのむぞ」

　新月はさっきと同じようにファイティングポーズをとると、鼠男に対峙した。

　しかし、こんどは拳ではなく、足で攻撃を試みた。

　最短距離で蹴るローキック。

　鼠男は、頭が鼠の形をしていて目が前に出すぎているため、足元が良く見えないのか、回避動作もなく、ことごとく新月のローを受けてしまう。

　新月の繰り出すローキックで、鼠男の膝のあたりは、はれ上がり、力が入らないのかフラフラと揺れ始めた。

「効いてるぞ」

　小泉は拳を振り上げて応援する。

　さらに続けてローを蹴りだすと、ついに鼠男の膝が落ちた。

　膝立ちになり、頭が下がった。

　新月は迷わずとどめとばかりに頭に蹴りを向けた。

「止めろ！」

　新月が頭を蹴りに行くのを先読みしたように、佐倉が叫ぶ。

　鼠男の口が大きく開き、新月の足を飲み込まんと蹴りの来る方向に首を回した。

「うぉぉおおおお！」

　新月は叫びながら蹴りの軌道を変え、鼠男の真上に向けた。

　大きく開いた口は、何も咥えることなく閉じた。

　新月は、振り上げた足の踵を、鼠男の頭に落とした。

「やった！　鏡水！　勝ったぞ」

　確かに鼠男は、踵落としを食らった頭を床につけて倒れている。

　だが、実際に踵を落とした新月には分かっていた。これは効いていない。頭が思ったより柔らかく、力いっぱい振り落とした踵のダメージを吸収してしまった。

　鼠男は上体を反らすように跳ね起きた。

　同時に、突き出された下半身から再び液体を発した。

「鏡水！」

　新月は、何が飛んできたか分からず、目を閉じる。

「うわっ、なんだ、なにが起きた……」

「危ない！」

　鼠男が追い打ちをかけてくるところを、小泉が鏡水を後ろに引っ張り、間一髪で逃れる。

　鏡水も自身のハンドタオルで顔を拭うと、それを床に捨てた。

　床を見て、小泉が気付く。

「さっきのハンカチ、溶けてる」

　新月のハンドタオルも解けていく。

「なんだ、あの液体。酸なのか？　それとも、なにか毒とか……」

　佐倉がそう言って床に落ちたハンドタオルの端を拾い上げようとすると、鼠男が佐倉を目掛けてダッシュした。

　気付いた小泉が新月に言う。

「鏡水、ボディ打って止めろ！」

　佐倉との直線上に新月が入ると、腰を落として、拳を引いた。

　鼠男は、立ち止まり、打ってみろと言わんばかりに腹を突き出した。

「このバカにしやがって」

　時が止まった。

　いや時が止まった訳ではないのだが、何も起こらなかった。

　起こっていることが分かっているのは、新月だけだった。

「くそう」

「どうした鏡水！」

　オープンフィンガーのグローブが、ブルブル震えていた。

「打てない。こいつにパンチを打てない」

　鼠男は、立ち止まったまま、腰に手を当てている。

　小泉が背後に回って、ヨーヨーを構え、鼠男の頭を目掛けて放った。

　ヨーヨーは弧を描いて鼠男の頭上を通過してしまう。

「？」

　小泉は戻って来たヨーヨーをそのまま、手に収めず、空中でグルリと回してもう一度、鼠男の背中を狙う。

　しかしヨーヨーは、方向自体がズレていて、何もない空間を回って返ってきてしまう。

　小泉は、自分の感じたことを口にした。

「マジだ。こいつに攻撃できない。体が正しく動かない」

　佐倉が、阿部を見る。

　阿部は困った顔をして三人の様子をうかがう。

「阿部、お前のリボンなら」

「……」

「今、やれるのはお前しかいないんだ」

　小泉はヨーヨーを握りしめてながら言った。

　新月が額に汗をかきながら、拳を鼠男に向けるが、寸前で止まってしまう。

「阿部」

「頼む」

「お前しか」

　阿部は左手にリボンを右手に棒を握って、リボンを強く張った。

「やるよ。やります！」

　鼠男の顔が、阿部の方を向いた。