11
体重がすべて手首に掛かるとどんなにつらいのか。
晶紀はこれまでの人生でそんなことを意識したことはなかった。
今、こうして十字架に縛られてみるまでは。
強く縛られているせいで、手先や足先の感覚はかなり前から無くなっている。
落ちないようにと、あがくと縛られている手首により強い痛みが走る。
気持ちを保っているだけで精一杯だった。
隣をみると、カレンは気を失っていた。
いっそ、ああした方が楽なのかもしれない、晶紀は思う。しかし気を失っていたら、気付くこともなく、抵抗する間もなく、殺されてしまうだろう。目を覚ましていても、気を失っていても、生き残る確率は変わらないかもしれない。それでもなお抵抗し、一人でも多くの悪を倒すと晶紀は思った。
「この期に及んで、まだ抵抗しようとしているのかい?」
白衣を着た教師が晶紀の前に現れる。
右に左に歩きながら、横目で晶紀を観察するような冷静な目で見つめる。
「いまだに悪意が沸かないって珍しいよ」
「……」
何のことだろう。晶紀は考えた。悪意。公文屋が集めようとしている霊力は、悪意によるものなのか。誰かを恨んだり、呪ったりするような負の力なのだろうか。
「あのさ。ボクを恨んでくれてかまわないんだぜ」
今までなぜ公文屋の手下が、呪いのような回りくどい手法で霊力を集めているのか、考えたことがなかった。霊力等しく同じものだと思っていたが、もしかしたらそれが間違っているのだろうか。
「清冽な霊力なんて力が弱くて、使えたもんじゃない」
清冽な霊力。
聞き覚えがある言葉だった。しかし、綾先生はなぜ私の前でこんなことを話しているのだ。晶紀にはわからなかった。痛めつけに来たわけでもなく、身動きの取れない私の前でべらべらと余計なことを話している。意味が分からない。
「そういえば、『清冽な霊力』こそが純粋で、強力なんだ、って、芳江とかいう婆がくどくどと話しをしてた」
「おばあちゃん……」
それが天摩芳江であれば、私のおばあちゃんのことだ。なぜ綾先生が、おばあちゃんのことを知っているのだろう。
確かにおばあちゃんから聞いたことがある。『清冽な霊力』が最も強い。だが、同時に使える人間が限られているのだと言っていた。
山の奥にあるおばあちゃんの家に引き取られ、一緒に住むようになっていた。
おばあちゃんは不思議な力を使うことができた。
来客者を一時間前に言い当てるし、玄関先においてある鈴を好きな時に鳴らしたりする。
初めのうち、それは何か『仕掛け』があるのだと思っていた。
おばあちゃんの仕事を手伝う内、それが霊能者としてのおばあちゃんの力だと知った。
私も使い方を教わって、玄関先の鈴を鳴らすことはできるようになった。その時、もっとすごいことはできないのか、と聞いたことがある。
『清冽なものは強すぎて様々なことに応用ができない。硬すぎるのじゃ。汚れた、俗な力は巷に溢れていて集めやすいし、使いやすい』
じゃあ、そっちの力を使う、と言うと叱られた。
『汚れた力を使うことはならん。欲望のままに力を使ったら世界が壊れる。晶紀は戦争をしっているかな。あれこそ力を欲望のために使った結果なんじゃよ』
おばあちゃんから戦争のイメージが流れ込んできた。
飢えてやせ細った子供。瓦礫の中を彷徨う人々。集められて一斉に殺される人々。落ちていく爆弾、吹き上がるきのこ雲。
それらの強い、悲惨な感情に私は震えた。
『それに汚れた霊力は純度が低くて力が弱い。一対一で競う限りは清冽な霊力にかなわない』
まだ良く分からないながらも、晶紀は清冽な霊力が良いのだと考えた。
綾先生は晶紀の目の前で立ち止まり、何かを見通そうとするかのようにじっと顔を見つめた。
「もしかして、清冽じゃない霊力は弱いとか思ってない?」
考えを読まれているのか。晶紀は恐れた。
「こっちは大量の霊力をドライブする。一つ一つは小さくても、清冽な霊力より速く大量に消費することで強い力を出すのさ。お前らにはそれができないだろ」
晶紀はなぜ一方的に綾先生が話しているのかがわからなかった。
何かを伝えようとしているのだろうか。
だとしたら、なぜ……
「鏡水! 頭を殴って、ねじ切れ」
右腕をヨーヨーに絡み取られ、左手を新体操のリボンで引っ張られ、制服の悪霊は身動きが取れなかった。
新月鏡水は悪霊の正面に滑るように入ると、体全体をひねったフックを顔に放つ。
左右のパンチが往復して、悪霊の顔が真後ろを向く。
「なんで首が落ちない!」
手ごたえは十分なのに、首が回るだけで、ねじ切れない。
「とどめを刺してやる」
山口あきなが薄くつぶれた学生カバンを水平に降ると、角についている金属で首を切り落とした。
悪霊の体液がカバンにべったりと付着している。
あきなはそれを振って落とす。
「すまん」
新月はあきなにそう言った。
悪霊の体は黒い霧状に分解されていき、粒子一つ一つが小さく光ると、どこかに消えてしまう。
すると、ヨーヨーが床に落ちて音を立て、巻き付いていたリボンもヒラヒラと舞いながら床に着く。
「こっちがこの調子なのに、B棟の連中は大丈夫なのかな」
「小泉はすずちゃんが心配なだけでしょ」
「四人掛かりで、やっと倒しているのに、向こうは戦力になるのが『かなえ』しかいない」
「確かに『かなえ』の剣道は全国レベルだけど、さすがにひとりじゃ」
「ひとりかどうかはわからないぞ」
佐倉が言うと、四人が振り返った。
そして小泉が口をとがらせて言う。
「『すず』は喧嘩とかするような娘じゃないぞ」
「その点は、美波だって、知世だって同じだよ」
と、あきなが言った。
「喧嘩だけが悪霊と戦う方法じゃない」
「先生、さっきから何をいっているの。あの娘達に伝えてなければ、戦えないわ。死んじゃったら元も子もないのよ」
「その戦える人材って誰?」
「さっきから言っている通り、戦うわけではない」
四人は首をかしげるばかりだった。
「悪いが、そんなことを話している場合ではない」
「新月、どうしたの?」
新月のオープンフィンガーのグローブから伸びた親指が、新月の後ろを指していた。
小泉は、全員にその方向を見ろと指図する。
制服の悪霊が四人。廊下の先から見つめていた。
「やってやるよ!」
小泉はヨーヨーを投げつけるように飛ばす。一番近くにいた悪霊の顔面をとらえたかと思ったが、ヨーヨーをつかまれていた。
「何っ」
ヨーヨーごと引っ張られ、ワイヤーをかけた右の指がちぎれそうになる。
小泉は慌ててワイヤーに左手を添えて抑える。が、ワイヤーと一緒に悪霊たちのほうに引っ張られてしまう。
「小泉!」
新月が、小泉を追うように悪霊たちに向かう。
入れ違うように佐倉達に向かってくる制服の悪霊がいた。
阿部がリボンを飛ばすと、その悪霊の顔に巻き付く。ミイラのようにリボンを頭に巻き付けた悪霊は、頭を大きく上下に振った。
その勢いで、リボンを握る阿部の体が大きく揺すられる。
「真琴!」
あきなが阿部を助けようとすると、それを阻むように制服の悪霊が出てくる。
「バラバラに戦わせようということか」
あきなはカバンを持って構える。
「みんな、戻ってひとりずつやっつけよう」
ヨーヨーを握られている小泉は声も出ない。小泉を助けに行った新月は、残った悪霊に攻め立てられ、抜き差しならない状況だった。
阿部は相手に巻き付けたはずのリボンに振り回されている状況だったし、あきなも悪霊に行く手を阻まれている。
「佐倉先生!」
と、あきなが叫んだ。
佐倉は後ろから全員の状況を把握した。
しかし、そのまま何をするわけでもなく、目を閉じてしまった。
全員が苦しい状況のなか、佐倉一人が固まったように動かない。
「先生……」
制服の悪霊が打ち出す拳を、カバンで受けているあきなが、そうつぶやいた。
その時だった。
「山口、カバンを縦に振り下ろせ」
佐倉の声が響いた。あきなは言葉の通り振り上げたカバンを、縦に振り下ろす。
するとカバンの金属が光り、刃のようなものが現れた。
悪霊がその光る刃に切り裂かれた。
そして霧のように小さな粒に変化すると、一つ一つの粒子が光りながら消えていった。
「小泉、左に回ってワイヤーを体に巻き込め」
小泉も、佐倉の声に反応し、体を回すと、ワイヤーを引いた。
すると、ヨーヨーを握っていた手が、腕ごともげてしまう。
ヨーヨーを握っていた手は霧になって消えた。
「そのままヨーヨーを叩き込め」
小泉が手を引くとヨーヨーは生きているかのように自らワイヤーを巻き込みながら戻る。
そして振りかぶると、ヨーヨーが悪霊の顔面に向かって放たれた。
砕け散る頭、飛び散る赤黒い体液。
完全に動きが止まると、その悪霊も霧になって消えていく。
「先生! 」
阿部が助けを呼ぶ。
だが、阿部が戦っている悪霊に、あきなのカバンの一撃が入った。上半身と下半身が分離した悪霊は、阿部を振り回せなくなる。
「山口さんありがとう」
リボンの支配権を取り戻した阿部は、思い切りリボンを引っ張ると、悪霊の頭が高速で回転して体から分離した。
「鏡水!」
小泉は新月が戦っている悪霊に、ヨーヨーを打つ。
「メアリー様」
まるで、小泉がどこからヨーヨーを放ったかを予め知っているかのような動きで、新月がヨーヨーをかわす。
悪霊もいきなり新月の死角から飛んでくるヨーヨーを避けきれずに食らってしまう。
頭が垂れた悪霊に、新月が膝蹴りを入れる。
勢いよく跳ね上げられた頭に、小泉のヨーヨーが再びヒットする。
「鏡水、とどめ!」
満を持したタイミングで、新月の強烈なフックが悪霊の横っ面を捉える。
ぐるりと顔が一周して正面を向くと、ねじ切れ、頭が落ちた。
阿部が戦っていた悪霊も、新月が戦っていた悪霊も、ほぼ同時に霧のように変化し、光りながら消えていった。