10
B棟の廊下を進んでいく知世の班は、何者にも出会わず、廊下の端までたどり着いた。
かなえが、階段を見つめながら後ろの連中に言った。
「下に降りる?」
仲井すずと石原美波はそのまま知世を振り返って、決断を求めてくる。
「うん。だって、それしかないよね」
知世が同意を求めると、すずは美波に、美波はかなえにたずねる。
そしてかなえが言う。
「そうだな」
かなえが先頭に立ったまま階段を下りていく。
灯りが時折消え、光の届かない建物の隅に、黒い霧のような、煙のようなものが漂っているように見える。
仲井が耐えきれずにそのことを聞く
「かなえ、端々にあるあの煙のような霧のようなものって……」
「わからない。知世は分かる?」
「……」
照らしている光が、一瞬強く光ると、隅に漂っていたそれが消えてしまった。
「消えた」
「知世はあれが何かわかるの?」
知世にもそれが何かは分からなかったが、屋敷の地下の実験室で見た悪霊と同じ雰囲気を感じていた。
「もしかしたら、で言うけど」
全員が知世を振り返った。
石原が言う。
「いいよ、もしかしたら、で」
すずもかなえも、ゆっくりうなずくと、知世も頷いた。
「悪霊なんだと思う。あれがもっと集まって、固まって形になるとさっきの制服を着た敵になる、ってことだと思う」
すずが言う。
「……まじか」
美波は自らの肩を抱くようにして震え、
「気持ち悪い」
と言った。かなえは
「そうか」
と言って、階下の方に向き直る。知世は、かなえの視線の先を見た。
そこには黒い霧のような煙のような粒子が、一か所に集まり始めていた。
「あっ」
知世の声に、すずと美波も階下を振り向く。
すこし向こうが透けて見える状態が、あちこちから集まってくる黒い煙で、濃く、黒くなり、次第に透けなくなってきた。
「かなえ!」
「分かってる」
階段の途中からかなえが飛びおりると、そのまま竹刀を一直線に振り下ろす。
黒い霧のような煙のような物体は、竹刀で半分に切られたように左右に分かれた。
「やった?」
そう言って、すずは走って階段を下りた。
「手ごたえがない」
「えっ、それって?」
美波も階下に降りていた。
知世が階段を下りた時には、二つに分かれた黒い霧は廊下の別の所で合流して人の形を作り始める。
「どうするの? 形になるまで待つの?」
美波の言葉に、かなえは竹刀を構えたまま答えない。
「……」
二つの黒い霧が渦を巻きながら登り、固まっていく。
固まったところから、黒ではない、別の色に変化した。
肩なら制服の色に、顔なら肌の色、胸元ならシャツの白、という風に……
形が固まっていくのを、かなえは耐えるかのようにじっと見ていた。
竹刀の切っ先がわずかに上下に動くと、跳び込んで袈裟切るように竹刀を振るう。
打突の音が、廊下に響く。
形になり始めた頭や、肩、胸が、積み木のように簡単に崩れていった。
つながる先の無い手が作られ、上半身の無い下半身が続けて作られる。
知世は、それをただじっと見ている木村に注意する。
「かなえ!」
竹刀で突いて崩そうとするところを、宙に浮いた腕が竹刀を握り、押し返した。
「危ない!」
床に落ちていた頭が、まるで何かでつるされているかのように宙に浮くと、かなえに噛みつこうと襲ってくる。
肩も、胸も、下半身に集まるように浮き上がって、つながっていった。
かなえはまず頭を払うように竹刀を水平に振って、飛ばす。頭のない体が、それでもかなえを目指して歩いてくると、かなえは、竹刀を真ん中に振り下ろす。首から、胸から、すべてが中心線より左右に分断され、真っ二つになった。
左右に倒れていく半身を、宙に浮く腕が支えて止める。
手で体を押し付けると、体の切れ目が、時が戻っていくようにつながっていった。
体が再生すると、肩と腕が付いて、後方から飛ばされた頭が戻ってきて付いた。
「まさか」
上のフロアで出たのと同じ姿だった。バラバラの体が、繋がって制服の悪霊になる。
「しつこい」
かなえは竹刀を構えると、飛ぶように間合いを詰め、強く竹刀を振りだす。
スピードが速すぎて、竹刀の軌跡が見えなかったが、竹刀が当たったか当たらないかの間に、悪霊も見えなくなってしまった。
「?」
竹刀に手ごたえがない。
かなえだけがその事実を知っていた。そして、手ごたえがなかった理由を一番先に知ったのもかなえだった。
次に気付いた知世が言う。
「竹刀の威力で、バラバラになったのですね。ほら、皆さん、下を見てください」
「えっ、どれどれ」
そう言って確認しようと前に出てくる連中を、かなえは手を横に伸ばして制した。
「竹刀は当たってない」
「えっ」
再びバラバラの体のパーツが宙に浮いて繋がっていく。
繋がった体、制服の悪霊が、かなえと同じように手を構えると、そこにどこからか黒い霧が集まってきて、固まりになった。
「制服の悪霊も竹刀を持ちましたわ」
後ろから仲井すずが言う。
「見りゃわかる」
かなえが、ビュッと音をさせて竹刀を払うように振ると、切っ先を制服の幽霊に向けて構え直した。
「なめてんのか」
制服の悪霊は、かなえの言葉を聞いて全身が痙攣したように反応した。
その青黒い、生気のない頬が引きつるように動くと、口が形を変え、笑った。