01
「晶紀さん、ちょっと遅いですわ。何かあったのでしょうか」
保健室で晶紀の補習が終わるのを待っていた知世は、佐倉にそう言った。
佐倉は部屋に据え付けの時計を見上げ、補習の時間を大幅に過ぎていることを確認した。
「確かにな」
「ちょっと教室へ行って」
佐倉が立ち上がって知世の肩に手を掛ける。
「待て。嫌な予感がする。一緒に行くぞ」
知世は小さく震えた。
二人は二年の教室へ向かう。
教室の扉を開けると、中には誰もない。
机が一組、向き合って置かれている。
「何か、あった」
「えっ、何かって……」
「静かに」
佐倉は目を閉じ、机、椅子と順番に手を近づけて何かを感じ取ろうとしている。
しかし首を横に振った。
「強い霊力がここを通り過ぎたのだろう。だが、通り過ぎた霊力が強すぎて、儂にはそれ以上読み取れない」
「強い霊力の人に連れ去られた、とか、そういうことですか」
「そうかもしれないが、戦う為に追いかけたのかもしれん。とにかく、この近くには晶紀はおらん」
「……」
知世は、スマフォを取り出した。
「緊急事態ですから、この晶紀さんのスマフォを探索する機能を使ってもいいですよね」
知世は、言い訳めいた理由を独り言のように口にした。それを佐倉に言ってもしかたないことだった。宝仙寺トイズが作成した霊力レーダー機能付きスマフォを晶紀に持たせてある。知世と晶紀は互いにそのスマフォを検索することが出来た。
検索を行うと、地図が表示され、その地図が次第に詳細に拡大されていく。
佐倉が知世のスマフォを覗き込むようにくっついてくる。
「ここ? まさか?」
佐倉があたりを見回した。
「どこかに落ちているとか…… はなさそうだな」
「机の中、とかでしょうか」
知世は教室の後ろに回り、体を曲げて、机の中を覗き込んだ。
検索中の端末は、ライトが点滅するから、簡単にわかるはずだったが、どの机の中にもスマフォはなかった。
「確かに位置はこの周辺なのに」
佐倉は教室を飛び出した。
手の平をかざすように廊下の先に向ける。
しばらくして、逆方向に向けた。
「こっちだ」
知世は佐倉が手の平を向けている方向を見た。
だが、そこには学校のごく普通の廊下が続いているだけだ。
「誰もいませんわ。スマフォもありません」
「この方向で間違いないはずだ」
佐倉はゆっくりとその方向に歩いていく。
手のひらに受ける晶紀の気配が、ピタリと消えた。
「……」
「どうかいたしましたか?」
佐倉は天井から左右の壁、床とくまなく探すが消えた晶紀の気配をそれ以上追うことが出来なかった。
「ここで晶紀のいた気配が消えている。何もかも」
「スマフォもここの近辺を指していますわ」
「出直そう。一度考えなおさねばならん」
佐倉は袖で額を拭った。
「その汗…… 熱があるのではありませんか」
知世が佐倉の額に手を伸ばそうとすると、佐倉がその手を掴む。
「心配するな。熱ではない。妙に気圧されている気がする。とにかくここを離れよう」
そのまま佐倉に手を引かれながら、知世は晶紀の気配が無くなったという場所を振り返ってみた。
見かけは普通の廊下だったが、何かどす黒い霧に包まれているように見えた。
目を開くと、晶紀は薄暗い灯りに照らされていた。
頭や体は、とても心地よい温度とやわらかさに包まれている。
体はすこぶる調子がいい。力に満ち溢れているような感じだ。
「!」
やわらかくて、温かい訳が分かった。
他人の上に乗って寝ているからだ。晶紀は慌てて、横にズレた。
「カレン」
寝返りを打って顔が見えると、晶紀が乗っていた人物が昭島カレンだということが分かった。
薄暗い灯りに照らされているこの場所は狭い部屋で、窓はなく、三方の壁はコンクリート打ちっぱなしで、扉がある壁は金属がむき出しになっていた。
扉自体も金属製で、格子が付いた窓が付いていた。扉は、かなり錆びが進んで赤茶色だった。もっとも、灯り自体が赤っぽいもので、そのせいで余計にそう見えるのかもしれなかった。
「どこなの?」
晶紀はスマフォを探してスカートのポケットに手を入れるが、スマフォはなかった。
上体を起こしてホルスターを確認すると、神楽鈴も無くなっていた。
どうしてここにいるのか。
晶紀は経緯が思い出せなかった。
思いだせるところまで、考えを戻していく。確か、補習をしていて、補習が終わり、教室に残っていた児玉先生に言われて向き合って座って……
「児玉先生……」
ここに児玉先生はいない。記憶の中にはない『カレン』がいる。カレンが何か覚えているかもしれない。晶紀はそう思った。
「カレンさん。起きて。起きてください」
晶紀は小さい声でそう言って、カレンを揺すった。
「うん…… ごめん、もうスケブは受けれないの。だって、後三つも描かなきゃいけないのよ……」
「スケブ?」
晶紀には何のことか分からなかった。
「カレン!」
少し大きい声を出してみた。
すると、扉の外から足音が聞こえた。晶紀は思わず口を手で覆った。
扉からの聞こえてくる足音が続き、この部屋の様子を見に来ると考え、立ち上がろうとした。
足に違和感があり、立ち上がれない。
「!」
見ると足首に金属製の輪が嵌められている。その輪には、金属製の鎖がつながっていて、それが部屋の脇に繋がっていた。
この鎖が届く範囲にしか動けないということだ。
足音が止まり、扉の格子のところから、覗き込む顔があった。
「あっ、綾先生」
晶紀は今の状況と綾先生の関係を繋げられず、考えが混乱した。
背の高い綾先生は、扉の格子のところから中を見るのに、屈まなければならないようだった。
「起きたかい?」
状況からすれば、足に鎖をした敵対すべき相手と晶紀は判断した。
「別に何もしないよ。それとも何かしてほしいとか、していた方が良かったとか?」
「!」
晶紀は自分自身を抱きしめるように手を回した。
「だから何もしないって。こんな状況下で女子をいたぶるのは趣味じゃない」
言いながら、綾先生は視線を横にずらす。
「ああ、けど神楽鈴は預からせてもらったよ。あんなもの振り回されたら物騒だからね。それと自由に動かれても困るから、足枷はさせてもらった。質問はあるかな?」
「……」
「あれ、質問は無いのかい。質問はしてみるべきだとおもうけどね。まあ、ゆっくり考えることだね」
小さい格子の窓から、綾先生が離れていく。
晶紀は、声を上げた。
「待って」
ゆっくりと、綾先生が扉の窓の近くに戻ってくる。
「なにか質問があるかい?」
「ここはどこ?」
「良い質問だが、答えられない」
「なんで閉じ込めるの?」
「君たちが邪魔だからだ」
「神楽鈴はどこ? 神楽鈴を返して」
「さっきも言った通りだ。いろいろ物騒だし、あれを渡したら足枷している意味もないだろう」
晶紀は少し間をおいてから言った。
「助けて」
「……」
格子の窓から綾先生の顔が逸れ、見えなくなった。
それから、大きな笑い声が聞こえてきた。
笑いが収まった後、再び格子窓の近くに顔が戻って来た。
「『助けて』とは、面白いことを言うね。面白いというか、素直というか、馬鹿というか。この状況から、敵か味方か判断できないの?」
「敵という事なんですね」
「……」
再び顔を逸らして、笑い声だけが聞こえてくる。笑い声が収まると、また覗き込んできた。
「さあ。質問はもうおしまいかな。こっちも仕事の時間だから戻るよ。食事はその内誰かが持ってくるからそれまで我慢するんだな」
格子の窓から顔が見えなくなり、足音が遠ざかっていく。