08
「最近、乙梨さんと一色さんの様子、おかしくないですか?」
「へ? あー、そう?」
元々言い合いをしていた者同士だし、いまが正しい姿のようにも見えるけど。
でも、未々からすれば引っかかるということなんだろう。
「しょうがないなあ、まったく……雛子ちゃんは世話がかかるんだから」
「ふふ、その割には嬉しそうですよ?」
「ま、雛子ちゃんが困ってるってことが全然ないからね」
突っ伏していることが多くなった雛子ちゃんの方に近づく。
未々は一色さんの方に行ってくれたので、自分と相性も悪くないなってなんか嬉しくなった。
「こほん、どうしましたか優秀娘さん」
「ん……? あ、朔弥ちゃん……」
未々の観察眼が凄いのか、私が全然見られていないだけだったのか。
あれだけ衝突していた私達ではあるが、だからってざまあみろとは思わないが。
「どうしたのさー、優秀娘さんらしくないけど」
「優秀なんかじゃないよ。あ、それはあれか、皮肉ってやつだよね……」
うーむ、これは重症だなあ……こういう時こそ担任じゃないけど重要な紫藤先生に来てほしい。
「青葉ー」
「ん? おっと、君はカナミンッ」
このクラスの中で鳴霞と1番仲がいい人間だ。
未々が言うには鳴霞の様子も変みたいだし、気になっているというところなんだろう。
「そそ、かなみですよー。あのさ、乙梨どうしちゃったの?」
「分かんない、それを確かめるためにいまここにいるけど、余計に分からなくなっただけだったよ」
話しかけてこないと分かっただけですぐ突っ伏しモード。
私や未々といる時だけってうつむきがち、これはアオインかカナミンがなにかをしたか?
それとも、鳴霞が雛子ちゃんになにかをしたのか。
「ちょうどあの日からおかしいんだよね」
「あの日?」
「そそ、ちょっとお耳貸して」
「うん」
耳を近づけると「鳴霞のことが好きなのか聞いた日からおかしいんだ」と教えてくれた。
なるほど……つまりそれは本人の耳に入って意味なく振られてしまったということか!
「うわぁ、それはカナミンのせいですわ」
「やっぱり? マズったなー……」
気になっているにしろ、そうでないにしろ、勝手に本人にバラされて一方的に振られるって辛い。
雛子ちゃんに気持ちがバレて未々の耳に入って振られたらショックで寝込むし、学校だって来たくなくなるだろう。
だから、そういう点で言えば雛子ちゃんは学校に来られているわけだし十分強くもあるが、彼女らしくない毎日を過ごしているのは確かだった。
けれど――未々のことを気になっているとかではなくて安心してしまったのは、性格が悪いかな?
「ふっ、自業自得でしょそんなの、好き勝手言っておいてその相手を気にするとかって意味不だから」
「こらあおいー!」
「事実でしょ? そもそも可能性のないことを悩んでウジウジしてばっかみたい」
厳しいなアオインは。
しかも相手がすぐ目の前にいるというのに一切遠慮がない。
これは教室内で初めて鳴霞達と衝突した頃の雛子ちゃんに似ている。
なにを言われてもいいから自分も好きに言う、スタンスだけはそっくりだった。
「かなみちゃん、話したんだ」
限りなく低い声。
喧嘩している最中にも聞くことがなかったくらいには、悪い意味でレアだ。
カナミンは「あっ、べ、別に、悪意があったとかってわけじゃ……」と言っているが、結局それじゃあ話したことには変わらない。
そうでなくても雛子ちゃんに対してはアオインはあんなんだし、聞いたのだとしても留めておくべきだったと思う。
「いいよ、あおいちゃんの言う通りだしね」
「気軽に名前で呼ばないでくれる? 馬鹿乙梨」
そしてこちらは弱っていると分かっていても遠慮しない全力攻撃。
鳴霞がいれば違うんだろうけど、その鳴霞がいま1番重要な存在なのだから頼めない。
「朔弥さん」
「あ、未々、どうだった?」
「ここでは言えないです。乙梨さんは大丈夫ですか?」
「いや、大丈夫ではないよ」
告白したわけではないのに受けた失恋ダメージと、そこに容赦なく追いダメージ与えてくるあの子の存在。
――突っ伏すだけでなんとかなっているのは、彼女が強いからとしか言いようがない。
「馬鹿だよね、他人に興味がないままでいれば良かったのに、自ら弱りにきたんだからね」
「やめてください、それ以上言うのなら許しませんよ」
「そういうあおい……ちゃんだって鳴霞達といるじゃん」
「そりゃそうでしょ、だってあたしは乙梨みたいに強くないし。あ、でもいまは雑魚って感じだ――」
「いい加減にしてください!」
よ、良かった……慌てて未々の腕を掴んで良かった。
もしそうしていなかったら恐らく平手打ちくらいはしていただろう。
そういうことをしてしまったら負けだ、私は彼女にそんな子になってほしくない。
「お、落ち着いて未々」
「離してくださいっ」
「大丈夫だよ、鏡水さん」
「乙梨さん……」
あ……やっぱり未々的には雛子ちゃんの方が……。
「とりあえずみんな席に戻りなよ、もう授業も始まるし」
「分かりました。でも、授業中は突っ伏さないようにしてくださいね」
「うん、そういうオンオフはちゃんとできるから」
あぁ、駄目だなぁ……雛子ちゃんといてほしくないって思っちゃう。
仲良さそうに会話しているところも、未々といる時のあの安心したような顔も、見たくない。
「朔弥さん? 戻りましょうか」
「う、うん」
……こっちはそうなんだ、私は未々のことを好きでいる。
その後の授業は一切集中することはできず、近くの未々の背中をずっと見ていた。
あ……お弁当忘れた……。
お金も今月はもうお小遣いがないため、財布自体を持ってきていない。
みんながワイワイ食べている中、ひとり突っ伏しているというのも空気読めないし、教室を出て適当に歩くことに。
「乙梨ー」
あれからかなみさんはよく来てくれる。
でも、かなみさんと一緒にいるとあおいさんまで来てしまうことが多いので、来てくれることがいいとは言えないけれど。
「いつもお弁当派だよね? なのに今日は食べないの?」
「うん、お弁当忘れちゃって」
「ふむ、それは困ったね、あたしので良ければあげるよ?」
「いいよ、食欲もなかったから。早くしないと食べられなくなっちゃうよ」
「実はね、あおいと喧嘩しちゃったんだー」
うちのクラス、私達のせいで不仲者達の巣窟みたいになってる。
「あんな言い方良くないよって言ったら、じゃああんたが勝手に味方しておけばって」
「ごめんね、巻き込んじゃって」
「うーん、乙梨らしくないなー、なんか謝り過ぎじゃない?」
「私でも悪いと思ったら謝るよ」
そんなに偉そうな人間だと思われていたのだろうか。
でも、かがみさんが私のところに来てくれる理由ってなんだろう。
別にかがみさんが悪いわけじゃないし、仮に悪くても責めるつもりなんてない。
だってそんなことしたって意味ない、また一色さんに怒られて終わるだけだ。
「かがみ」
「んー? あ」
移動していたのによく居場所が分かったなあと内心で呟く。
私には用がないだろうから適当に続きを歩くことにした。
「待ちなさい」
「あー、もしかして私に用があったの?」
「そうよ、かがみがあんたを追っていったから、あたしはそれを追ってきたの」
ぐぅぅ……かがみさんと関わるのはやっぱりいいことも悪いこともあるなあ……。
「そ、それで?」
「普通に戻りなさいよ」
「普通……以前通りにってことだよね」
彼女はこくりと頷いてかがみさんの手を取った。
なんでかは分からないけど、そのままこちらを見ている。
頭お花畑状態で考えるとしたら、かがみさんが好きだから応えられないってことなのかな。
「うん」
「教室に戻るわ、あおいと仲直りさせなければならないから」
「うん」
み、見せつけてくれるじゃんか。
「はぁ……」
あれだけズタボロに言っていても止めないということは同じように考えているってことなんだろう。
あおいさんの言うように、やはり興味を抱いた時点で終わっているということだ。
ま、鏡水さんや朔弥ちゃんとだけ仲良くしていれば1年はもう終わるし問題もない。
「雛子」
「あ、また戻したんだ」
「うん。でさ、面倒くさいからさっさと本題言わせてもらうけど、未々と仲良くしないで」
追い打ちに追い打ち、そろそろこっちのライフ0になりそうなんだけど……。
「私、未々のこと好きなんだ。それで、雛子と仲良くしているところを見るのが嫌だから」
「鏡水さんと私にそういうつもりがなくても?」
「うん、それでも」
「……挨拶を返す程度はいいの?」
「うん、それくらいはね。無視とかさせても未々が悲しむだけだし」
凄いな、好きな子のためにそこまで行動できるなんて。
「分かった、最近はそもそも状態が良くないし、基本的に突っ伏しているから安心してよ」
過去に自分がしたことのツケがいま全てここに返ってきているような気がする。
まあひとりに戻ればいいんだし、なんなら紫藤先生を頼ればいい。
今度はちゃんと担任の先生である茉冬先生を頼るのも有りだ。
「良かった、そう言ってくれて」
「あはは……もし言わなかったらどうしてたの?」
「今度はあなたが対象になるだけだよ」
彼女は不敵な笑みを浮かべてから教室の方へと歩いていく。
私は適当にそこに座って、ぼけーっとすることにした。
「怖いし、やっぱり凄いな」
そのためにならどんなことでもするって感じで。
あの様子なら鏡水さんが言葉で虐められるということもないだろうしもう心配ないか。
「乙梨さん、私は怖くないですよ」
「わっ、茉冬先生……」
紫藤先生には悪いけど、ほわほわ柔らかで茉冬先生の方が優しく見える。
けれど紫藤先生みたいにハッキリ言ってくれるタイプの方が好きだと言えた。
「どうしましたか? こんなところに座ったら汚れてしまいますよ?」
「茉冬先生はなにをしていたんですか?」
「私ですか? 紫藤先生と先程までお話しをしていました。駄目ですね、ついつい長時間になってしまっって……」
あぁ、本当に仲いいんだなあ。
私にも分けてもらいたいくらいのスキルだ。
「そういえば紫藤先生からお聞きしたんですが、一色さんと喧嘩してしまったんですか?」
「してませんよ、それは紫藤先生が勝手に勘違いしているだけです」
「そうですか、それならばいいんですけれど。あっ、もうこんな時間ですね、午後の授業も頑張ってください」
「ありがとうございます」
教室に戻りたくないけど仕方がない。
「あ、どこに行っていたんですか?」
「あ、あー、ちょっとね、お腹が痛くて長時間トイレに……」
いるんだって後ろに、嘘なのに本当に痛いと錯覚するくらいには迫力強く。
「そうですか……お薬……はないですよね」
「だ、大丈夫、汚い話だけど全部出してきたから。それより席に座りなよ」
「支えましょうか?」
「大丈夫っ、大丈夫だから」
その優しさは私のなにかを抉る効果がある。
さっさと席に座り、後は適当に過ごして放課後になれば帰るだけでいい。
「明日までに課題をやってこいよー」
――その適当が大変だったが、なんとか最後の授業を終えた。
が、生憎と今日に限って掃除当番で、しかも担当場所がトイレでというとことんツイてないコンボ。
「同じ場所なんだから待ってくれてもいいじゃない」
「えっ……」
もしかして朔弥ちゃんの言っていたことがもう実行されたってこと?
さすがに教室内ではできないけど、こういう場所で1対1なら余裕だってことなのかな。
「なによ、あたしがいちゃ不味いの?」
「ひ、ひとりでやるから帰っていいよ」
「普通に戻れって言ったはずだけど?」
それで戻れたら誰も苦労しない。
彼女は苛立たし気に舌打ちをし、固執の扉をガンッと殴った。
以前の鏡水さんみたいに体を震わせ、とにかく自分のできることをすることだけに専念する。
水を撒いてブラシで擦って、とにかく無音の時間を発生させないように大きく響くように。
「あいりが言っていたようにメンタルが雑魚なのね」
「ま、まあ……」
「よくそんなんであたし達に言ってきたわね」
「鏡水さん困ってたし……」
「でも実際は違かった、鏡水の方がよっぽど強かったってことよね」
「そ、そうだね……あの時からそもそも私より上だって思ってたし……」
一色さん達はともかく、鏡水さんより上だなんて考えたことはない。
でもまあ、状況的に見れば勉強はできてもそれ以外では雑魚――下ってことなんだろう。
「もう1度言うわよ? 普通に戻りなさい。それができないのなら」
「……なら?」
「……ま、ここから先を選択するのはあんただし言わないけど、少なくともいまみたいに被害者面するのはやめろってことよ。あたしは当然の権利を選択しただけなのに、まるであたしが悪役みたいじゃない」
「……すぐにできるかは分からないけど、分かったよ」
演じるのは最高に下手くそだからどうなるのか、ぎこちなさが露見すると鏡水さんが来てしまって今度はそっちで問題が起きる。
狙ったわけじゃないのに四方八方に敵がいるなんて、最悪な高校生活だ。
「明日からよ」
「で、できる範囲で」
「あんたはもう帰っていいわ。するつもりだったのに勝手に帰されてサボったとか言われても嫌だし。ブラシ、貸しなさい」
「い、いや、片付けるから」
のこのことトイレから出たらドバンッと大きな音が聞こえてきた。
今日は虫の居所が悪いのかもしれない。
だけど、普通に戻ればそれで責められることだってなくなる。
「顔色が悪いですよ、大丈夫ですか?」
「大丈夫大丈夫、掃除も終わったしもう帰るね」
「待ってください、私も一緒に帰って――」
「来ないでっ! 家の場所も違うし……それに旭と約束があるから!」
ああ、こんなんじゃ全く普通じゃない。
板挟み状態じゃどうしたらいいのかが分からない。
――とにかくいま大事なのはさっさと鞄を持って帰ることだ。
「鳴霞を困らすのやめろよ」
「ご、ごめん……えっと、帰っていいかな?」
笑いたくもないのに笑うしかできなかった。
弱点を突くのが上手いっていうか、判断力がいいっていうか。
彼女が持っている鞄、あれは絶対に私のだ。
「掃除サボったんだろお前」
「違うよ、一色さんが帰っていいって言ってくれたからっ」
「てめえっ、平気で嘘つくんじゃねえよ!」
こっちも今日は苛立ち全開。
どうやらかなみさんはいないようで良かったと思う。
だって自分のせいで喧嘩することになったら嫌だしね。
「どうした、珍しく大声を出しているじゃないか」
「ちっ……なんでもありませんよ、それじゃこれで失礼します」
彼女はこちらに鞄を投げつけて教室から出ていった。
この先生は本当に大切な時に来てくれるなーって眺めていたら、どうしようもなく悔しくなった。
誰かに頼られるのではなく、誰かの力がなければ窮地さえ脱せないなんて。
「乙梨」
「はい……」
「早く帰れ、気をつけてな」
「はい、失礼します……」
――担任でもないんだしこちらから頼ることはしないけども。
少しであっても残念のように感じる心をその日、止めることはできなかった。