07
「未々、次移動教室だしそろそろ行こうよ」
「はい、行きましょうか」
こちらと朔弥ちゃんはともかく、あのふたりはより仲良くなったように見える。
しかしここで優しいのが鏡水さんであり、私のところにわざわざ来てくれた。
「乙梨さんも一緒に行きませんか?」
「あ、私はちょっと一色さんを誘ってこようと思って」
「それなら待っていますね、みんなで行きましょうか」
私はまだ会話をしている彼女達に近づく。
「ねえ、一緒に行かない?」
「私は別にいいわよ」
「私もいいよー」
「ちょっと待って」
「「なによ?」」
内ひとりから待ったがかけられる。
「なんで乙梨と当たり前のように仲良くしているわけ?」
「なんでって、そりゃクラスメイトだからでしょー?」
もうひとりの子は特別嫌がっているというわけでもないようだ。
一色さんはどうやら黙りを貫くようだった、言いたいことを全て吐き出させようとしているのだろうか。
「それにさ、乙梨もよく誘えるよねこっちのこと」
「最近は鳴霞と仲がいいしね、あたし達はおまけでしょ?」
「だからこそだよ、どうして鳴霞と仲良くしているわけ?」
ふたりの視線がこちらに突き刺さる。
なんで、どうして、そんなこと聞かれてもさっき言ったみたいにクラスメイトだからとしか答えられないような……。
「雛子ちゃん、先に行っててもいい?」
「あ、うん、朔弥ちゃんは鏡水さんと行ってて」
あ、これ、鏡水さんが裏で動いてくれたんだな。
それともそれがどうでもよくなるくらい、なんらかの事が起きたのか。
「分かりました、でもあんまり遅くなるとあれなので、早く来てくださいね」
「うん、誘ってくれてありがと」
さて、それでもこっちはそうもいかないわけなんだよなあ。
「んーむ、カナミンはなにが不満なわけ?」
「だって好き勝手言ってくれたんだよ乙梨は、寧ろあんた達こそなんですんなり受け入れてんの」
「ぶっちゃけ、乙梨は正しいことしか言ってなかったでしょ?」
「そうかな、何気にこっちの頭が悪いって言ってくれたと思うけど」
「それも事実でしょー」
あの……そんなに悠長にしている場合ではないんですよ。
一色さんもなんでなにも言わないんだろうと考えて、私は馬鹿だなってすぐに思った。
「一色さん、あの約束は気にしなくていいから。私に対してのならいまここには私達しかいないんだし別に言っていいんだよ」
「は?」
「い、いや……本当はそのかなみんちゃんみたいに私に対して文句があるってことなんで……しょ?」
なんでこんなに怖いんだろう。
自分が悪く言われることなんて慣れているのに、彼女の口からそれを聞きたくないって思ってしまう。
いつからこんな臆病者になった、こんなんじゃ旭のお手本にはなれないのに。
「別にないけど。かなみやあおいは確かに友達だけど、だからって全部合わせるわけじゃないわ。あたしはあたしがしたいように生きているだけよ。それと、いま話し合うことでもないしさっさと行くわよ」
「「鳴霞が言うなら」」
3人が消えて私ひとり教室に残される。
「あっ、早く行かなきゃっ」
こんなの私には似合わない、しっかりしろと命じながら反対側の校舎へ向かって走ったのだった。
「乙梨ー」
「あ、かなみさん」
「うん、そうそうかなみー、ちょっといい?」
「うん、私は大丈夫だよ」
教室でボケっとしていたらいつの間にか彼女とふたりきりになっていた。
こうしてまともに会話をするのは初めてだ、けれど一色さんやあおいさんがいないのなら普通でいられる自信がある。
「ごめんねー、あおいがワガママでー」
「あ、ううん、当然の反応じゃないかな」
彼女達は確かに悪いことをしていたけど、こちらが全て正しかった、なんてことはとてもじゃないが言えない。
「でさ、乙梨は鳴霞と仲良くしたいんでしょ?」
「うん、できたらいいなって思ってるけど」
なんか朔弥ちゃんと喧嘩した後から協力してくれてるし、大変感謝しているから。
「なんで仲良くしたいの?」
「素敵だと思ったから」
「素敵、どういう風に?」
「笑った顔がもっと見たいなって……」
な、なにを吐かされているんだ私は……。
でも、かなみさんは話しやすい気がする。
油断しているとあっという間に全部言わされちゃいそうだから怖くもあるけど。
「鳴霞ってあんまり笑わなくない?」
「うん。だけど、ううん……だからこそって言うのかな、もっとあれを……」
「ふーむ、見惚れてしまった、ってこと?」
「分からない……」
一色さんも言っていたけど、なにも知らないからこそなんでも興味を惹かれてしまうのかもしれない。
少なくとも鏡水さんの瞳や一色さんの笑顔は素敵で、もっと近づきたいって思ってて……違和感で。
「ちなみにー、言っておくと鳴霞はフリーだから」
「フリー? 自由ってこと?」
「そそ、誰も好きな人はいないし、後は乙梨次第だってこと」
「ってっ、そういうつもりじゃあ!?」
「ぷふっ、あの乙梨がそんな顔するなんて! はぁ、それだけで一緒にいたいって思えるよあたしは」
ど、どんな顔してるんだ私は……生憎と手鏡とか持っていないから分からない。
「珍しい組み合わせね」
「あ、鳴霞ー!」
「なによ、あんたはいつもうるさいわね」
「えー……親友が名前を呼びながら元気良く可愛く近づいているんだからもっと喜んでよ」
かなみさんが余計なことを言ってきたせいで一色さんのことをまともに見られない。
「乙梨、あんまりかなみの言うこと聞かない方がいいわよ、頭がおかしくなるから」
「ひどーい! あたしは悩める子羊にアドバイスをしてあげていただけさー」
「乙梨がなにか悩んでいるの?」
だ、駄目っ、言っちゃ駄目!
が、慌てた私を余所に「そそ、最近学校楽しすぎて仕方ないんだーだって」彼女が吐いたのはこれ。
おまけに、彼女はこちらを見てウインクなんかしてくれた。
猛烈に恥ずかしくなって机に突っ伏す、しかしそれが余計に悪化させたのは言うまでもない。
「ふふ、変わったわね、あの乙梨が学校を楽しいなんて思うなんて」
「でしょー?」
聴覚だけが敏感になっているため、会話を続けられるだけでドキドキする。
「って、あんたは乙梨のこと知らないでしょ?」
「なんとなくだけど分かるよ、あたしも少し前まではそうだったから」
む、かなみさんにしては落ち着いたトーンだった。
ひとりぼっちだった彼女達が関わるようになってグループになったわけだし、それまでは色々とあったのかもしれない。
「鳴霞が乙梨といてくれて嬉しいよ」
「へえ、なんで?」
「だって楽しそうにしているから。いまだって笑っているしね」
ぐっ、み、見たい……。
「あたしが乙梨といて楽しそうにしているって?」
「うん、恐らくお互いにとっていい影響を与えられると思うよ」
「そう、別にどうでもいいけど。ただまあ、あおいはどうするのかしらね」
一色さんには近づきたいけれど、仮にそうすることであおいさんが嫌な気持ちになるのなら……。
「それはあたしに任せてー、それじゃあもう帰りまーす」
「分かったわ、それじゃあね」
「あーい、乙梨もじゃあーね」
「びゃいびゃい」
「んー? あー」
ん? と不思議に思って顔を上げようとしたら、
「良かったね、鳴霞とふたりきりで」
なんて言われてカチンコチンに固まってしまった。
彼女は去ったため、側には一色さんが立っているだけで他には誰もいない放課後の教室。
冬ということもあり、電気が点けられていない教室は薄暗かった。
カララと椅子が引かれた音がして、それから「よいしょ」と小さく声が聞こえて。
どうやらまだ帰る気にはなっていないようで、さすがの私も顔を上げた。
「帰らないの?」
「そうね、急いで帰ってもどうせ姉しかいないし」
「お姉さんがいるんだ」
私にもしお姉ちゃんがいたのならどういう人だっただろうか。
私をもっと究極的にした、他人を一切受け付けないそんな人だったら大変だろうなって苦笑する。
「まあね、鳴って名前」
「それってもしかして、鳴霞ちゃんの鳴?」
「逆だけれどね、あたしが引き継いでいるだけよ」
姉妹で同じ漢字が入ってるってなんとなく羨ましい。
旭に無理やり入れるのなら旭雛? なにそれ、可愛いかも。
「なにひとりで笑ってんのよ」
「あ、私には弟がいるんだけど」
「知ってるわ、旭くんでしょ」
「あれ、会ったことあった?」
家に来てもらったことはあったけど、旭に会ったことあるのは鏡水さんだけだ。
それかもしかして旭は人気だった? 私にはできなかったことを弟はやってのけているのか。
「鏡水や青葉から聞いた。あんたと違って優しくていい子なんでしょう?」
「うん、旭はね」
電気が点いていなくて助かった。
いまはとにかくまじまじと顔を見てほしくないから。
「そういえばあんた、青葉と仲直りできたのね」
「うん、私はなにもしてないけどね」
恐らく鏡水さんがなにかをしてくれたんじゃないかって予想しているけど。
「ということは鏡水か、あれだけの行動力があってなんであたし達に言ってこなかったのか……」
「あんまりぶつかり合いたくないんじゃないかな」
「あれだけあんたや青葉にぶつかっておいて? あたしはこう思うわ、興味がなかったんじゃないかって。相手するだけ無駄だって思われているんじゃないかって」
もしそうならあそこまで怯えたりしないと思うけどな私は。
全てが我慢や計算によるものだったとしても、争いたくないというのは本当のことな気がする。
「他人を悪く言うやつなんか相手にされなくて当然だけど、なんだか寂しい――」
「違うから! 鏡水さんはそんなこと思ってないだろうし、一色さんだって別に全てが悪いわけじゃないでしょ!」
彼女の手を握って少ししてからハッとなったがもう遅い。
「手を離しなさい。なんなのあんた、ちょっと前と言っていることが真反対になっているわよ」
「ご、ごめん……」
大人しく座り直して窓の方に視線を向ける。
黒と少しの青色に染められた空がそこにあって、いますぐにでも逃げ出したい気分だった。
がむしゃらに走っていればこんな馬鹿みたいにはしゃぐ心臓も落ち着いてくれるんじゃないかって期待している自分がいる。
だが、当たり前のように動けなくて、せめて顔が見られないようにって逸らし続けて。
「実はさっきの話、聞いてたんだけど」
「えっ」
「あんた、あたしのこと好きなの?」
――その瞬間に、私だけではなく周りも全て固まったような気がした。
ゆっくりと振り返ってみたら、見たことのない顔をした一色さんが。
「ふぅ、ま、どうでもいいけどひとつだけ言わさせてもらうわ」
「う、うん」
聞く前に分かった、これはどちらにしても無理なんだって。
「少なくともあたしにそのつもりはないわ。勘違いしないでくれる? 別にそういうつもりであんたといたわけじゃない」
「うん……」
好きではないなんて言う前に振られてしまった。
別にかなみさんが悪いだなんて言うつもりはない、しっかり説明できなかった自分が悪いだけ。
「帰るわ、もう暗いし」
「き、気をつけて」
「あんたもね」
でも、なんだかどうしようもなくて、タイミング的に追いついてしまうから帰る気にもなれなくて。
廊下と違って真っ暗な教室の中、ひとり残り続けた。
「なにやってるんだ」
「あはは……まるで担任の先生みたいですね」
「まあ、私は茉冬と仲がいいからな」
へえ、意外な繋がりだ。
茉冬先生が頼んでいるのかもしれない、生徒の力になってあげてほしいって。
別に毎回毎回紫藤先生がいるわけでもないし、こうして困っている生徒とかを見たら近づくというのを繰り返しているんではないだろうかと考えた。
「で? また鏡水や青葉と喧嘩したのか?」
「違いますよ、放課後の教室が好きだってだけです」
「へえ、いつも誰よりも早く帰っていたお前がか?」
「い、いいじゃないですか、なんですか、駄目なんですか?」
「別に駄目とは言っていないが」
だったら放っておいてほしい。
私は頼んでいないし、必要とも思っていない。
あんなこと言わたからって傷ついたりなんか……しない。
「そういえばお前、女が好きだと言っていたな」
「ど、どちらかと言えば……ですけど」
「ふっ、失恋か」
「は、はぁ!? 勝手言わないでくださいよっ」
そもそも告白だってしていないし、気になっていただけ、だし。
けれどそれも過去の私の言葉を借りて一色さん風に言うのなら、「あたし的に言わせてもらうと時間の無駄よ」というやつなんだろう。
「そ、そんなことあるわけないじゃないですか、私が誰かを好きになるなんて、そんなこと絶対にないんですよ」
それでも、人間だから多少の興味くらいは抱くわけで、それがたまたま一色さんの笑顔だっただけ。
それ以上でもそれ以下でもない、そこから先を望んでいるわけでもない。
だというのに外野が勝手に判断して好き勝手言うのはむかつく。
「お前は私と同じだな、乙梨」
「え?」
「勉強だったら問題なく付いていけるのに、そういう話題になると途端に駄目になる。私達は似ていると思わないか?」
「紫藤先生は違いますよ」
「なにを根拠に?」
こんなこと言われるとは思わなかったな。
そして、あの時一色さんが浮かべていたような笑みを先生も浮かべていた。
「そ、そっちこそ、なにを根拠にこんな生徒なんかと同じだなんて思うんですか? ガキすぎるんですよね、なのにそんな人間と同列に自ら扱っていいんですか?」
「別に構わないぞ」
「どうして……」
「私がそう思っただけだからだ、そこにお前の気持ちは関係ない」
「そ、そうですか……」
あ、そういう考え方は確かにこちらもしたことある。
自分のために動いただけ、自分のための謝罪、感謝。
「私は戻る、お前も早く帰れ」
「い、いつもありがとうございます」
「お礼なんか言わなくていいから、頻度を減らしてくれ」
鏡水さん、格好いいってのはこういう人のことを言うんだよ。
こっちはなんにも格好良くなんかないよ……。