襲撃
多くの兵士たちの足踏みの音が後ろから聞こえる。一寸たりともずれのない完璧に呼吸のあった前進。自らが守るべき国と、それを統べる女王陛下に命を捧げることを誇りとする者たちの神聖なる行軍である。とはいっても、この兵士たちの目的地であるあの小さな村の人々にとっては、「死」が列を整えて向かってきているに他ならない。
すぐそこにまで迫ってきている小さな村を眺めていると、自分の二倍以上はあるであろう腹の肉を揺らしながら、恰幅のいい男が話しかけたきた。
「カイン殿、緊張しておいでなのですかな?怖い顔をしておりますよ?せっかくの男前が台無しだ。」
「…ゲイン殿、緊張などしておりませんよ。」
「そうですか?それならいいんですがね。記念となる初陣で、緊張のあまり槍を振るえず、無様な姿を女王陛下に晒す、というようなことだけは勘弁してくださいよ。」
「……。」
ゲイン・ミッチェルは嫌味な笑顔を浮かべたまま、前方へと馬を走らせる。走らせるとはいっても、通常より倍は重い人間を背負っているため、さほどの速さはでないのだが。
一週間前、我々の国の女王(かの国の人々からは「隻眼の悪魔」と呼ばれているそうだが)は、二人の上級騎士と自分、カイン・ホワイトに、「剣の国」に位置するアガレット村への本格的な進行を命令した。たびたび兵団を送っていた地点ではあったものの、ここまでの兵士と装備を集め攻め入るのは初めてであるらしい。なぜこのタイミングなのか、そして、村一つを攻めるためにここまでの軍隊を揃える必要があるのか。疑問に思うことは多々あったが、女王の命令は絶対である。それに、自分もこの戦いにおいて戦果を上げることができれば、自らの家の発展へと繋がる。作戦への疑問はあれど、女王陛下への忠誠に疑いはなかった。
軍隊の最前列にたどり着いていた上級騎士の一人、ゲイン・ミッチェルは、アガレット村目前の位置で軍に前進を止めるよう指示を出した。アガレット村へと入るための門は全て閉じられ、辺りを囲う柵の隙間からは村人たちが警戒の目でこちらの様子を伺っている。さすがは我が国の兵団を幾度となく返り討ちにしてきた村なだけはある。戦う姿勢はとうにできているようだった。
辺りを見渡し、馬から降りようとしたその瞬間、恐ろしいほどの寒気が背筋を襲った。今までに感じたことがない感覚。すでに獲物として認識されてしまったかのような、そしてそれを自然に受け止めてしまっている自分がいた。
村を守る門のうち、一番大きなものの前に一人の男が立っていた。老人である。さっきまでは誰もいなかったはずの場所に唐突に現れたのか。両手には真剣が握られている。その目は真っ直ぐにこちらを見据えていた。自分を襲った恐怖が、彼の殺気立つその視線から生み出されたものであるということを理解するのに、そう時間はかからなかった。
馬から降りていたゲインが一歩踏み出すと同時に、老人の視線はゲインに注がれる。しかし、ゲインは臆することなく彼に向かって歩き続ける。老人のいる少し前まで進み、ゲインは口を開いた。
「おやおや、全く、世の中わからないものだ。このようなちんけな村に、あなたのような剣士がいらっしゃるとは。ご老人、あなた様のお名前を伺っても?」
老人は静かに言葉を返す。
「…私はジンベイ。このアガレット村の村長である。」
「ほぉーう、村長様でいらっしゃいましたか。通りで貫禄があるはずだ。いやはや、会えて光栄ですぞ。私の名はゲイ…」
「貴様の名なんぞに興味はない。この村を潰すためにきたのだろう。ならばどちらかが死ぬ定め。名前を知ったところで意味はない。」
ジンベイはゲインを鋭く睨みつけながら言い放った。ゲインは口元に薄笑いを浮かべながら高い声で言う。
「ほぅ、"どちらかが"死ぬ、とおっしゃる。…ふふ、ふふふふふふふ…ふはははははは!」
ゲインは我慢の限界というように大きな声で笑い出す。
「あなた、少しでも自分たちが勝つ可能性が残っているとでも?聞いてあきれますねぇ。あなたたちが勝利する可能性など微塵もありませんよ。もし、あなたの後ろにいる剣士たちが全員あなたのような腕利きならば、万が一はあるかもしれませんがね?」
柵の狭間から垣間見える村の人々の顔が曇る。それを見てゲインはさらに続ける。
「もしですよ?ジンベイさん、あなたが私たちの言うことに従い、抵抗する気がないことを示せば、あなたたちの命だけは助けてあげますけど。どうですかねぇ?」
「ふ…笑止千万。貴様らごときに従うくらいなら、自らこの首を切り飛ばしてくれるわ。」
「ふふふ…ふふふふふふ!ますます気に入りましたよおじいさん!じゃあ、力ずくで従ってもらいましょうかねぇ!」
ゲインが背中に背負っていた巨大な槍を手に取り、ジンベイに向かって素早く振り下ろす。ジンベイはこの一撃を両手の剣で受け止め、後退しながら衝撃を受け流す。
「ふふ!今の一撃を軽く流しましたか!やはりあなた、本来このような村にいる方ではないのではありませんかねぇ!」
「なに、昔すこしヤンチャをしてたんでな。この程度の攻撃、何度もくらってきたわい。」
「ふふ!そうこなくては、ですねぇ!」
二人の打ち合いが始まると同時に、村の門が一斉に開き、真剣を持った村人たちが雄叫びを上げながらこちらに向かってくる。
「カイン様!御命令を!」
隣にいた兵士の声で我に戻る。敵の圧に圧倒されていてはいけない。ゲインが手を離せない以上、自分ともう一人の上級騎士で敵を迎え撃たなければならない。
「っ……前衛部隊!敵を食い止めつつ前へ押し戻せ!数はこちらの方が圧倒的に有利だ。相手は一対一の戦いが得意な剣士。我々の集団戦法の前では無力に等しい!落ち着いて各個撃破していけ!」
「はっ!」
戦いの幕が切って下される。両陣営がぶつかり、鋼の打ち付け合う音が辺り一面から聞こえる。
そのとき、もう一人の上級騎士の姿が見えないことに気がつく。少し前までは気配を感じ取れていたのだが…。
「く、あの仮面の男はこんな時になにをしているんだ…。」
村の方から人々の声と武器同士がぶつかり合う音が聞こえる。戦いが始まったのだろう。
「…お父さん…。」
岩が連なる山道をミズキたちは進んでいた。森から山へ向かって移動してからかなり時間が経つ。もうそろそろ村の人々と合流してもいい頃合いなのだが。
「まったく、いつになったら、合流できんのよ。」
苦しそうな息をしながら、フミカが悪態をつく。確かに、ここまで来てもまだ村人の一人にですら合わないのは何かおかしい。彼らの身になにもなければ良いのだが…。
「あ!あそこ、ほら姉ちゃん、あそこ見て!」
カオルが指を刺した方向には人影がある。まだ遠くてよくわからないが、村人であることは確かだろう。
「あーもうようやく見つかったー!」
「さあ、早くあそこまで上りましょう。」
母がそう言って駆け出そうとしたとき、前にあった人影が横に倒れる。
「え…?」
人影の首の位置から何かが勢いよく吹き出す。あれは…血?
「…!待ってお母さん!誰か別の人がいる!」
母の腕を掴み、自分の後ろに引き戻す。
「お母さんはカオルと一緒にいて!フミカ!」
「わかってる!」
二人を背に、フミカと共に真剣を構える。真剣を使う戦いはすなわち、本気の命の奪い合いである。緊張と不安で身体中から一気に汗が吹き出す。
前方の岩陰から金属が擦れるような音を出しながら新たな人物が姿を見せる。右手には剣が握られており、その剣からは地面に液体が垂れている。
「…お前は何者だ!その人を殺したのはお前なのか!」
勇気を振り絞り、前方の正体不明の人物に声をかける。
「…真剣をまともに構えられない小娘が二人…か。」
その人物はこちらに向かって歩み寄ってくる。
「…つまらん。」
はっきりとその人物を視認する。仮面を被り、所々に血が付いている鎧を全身に身に纏っている。
声の低さから男だろうか。しかし、全体的に体が細く見える。男か女かの区別すらつかない相手。ただ一つわかるのは、この人物の相手は自分たちには務まらないということであった。
剣を引きずりながら前進するその姿からはさっきというものは感じない。もはや、こちらを生き物とすら思っていないのではないだろうか。その騎士から発せられる負のオーラを感じ取った自分の体は、その場から早くにげろ、と自分に警告しているようだった。
「…ミ…ミズキ…。」
フミカも全く同じ見解らしい。この騎士からは人間らしさを感じない。何者かもわからない道の存在に、ここにいる全員が恐怖を感じていた。
「…つまらん仕事…だ…。」
そう一言だけ呟いて、その騎士は剣を少しだけ握り直した。