一、案山子と竜巻
まずそこで案山子は、眼前が尾を引いて回りだすのを見た。
一つ目に夜の樹の葉の、深い緑が。二つ目に、煉瓦の道の、淡い黄色が。
それぞれぐるぐると混ざり合って、直下へと落ちて行った。
否。案山子が上がって行ったのである。何と言う事は無く、案山子は竜巻に巻き込まれていた。
なのでぐるぐる、ぐるぐると、様々な色が混ざりあっては砂埃で掻き消えて行くのを、ぽーっと見ていた。
案山子はそうして、ぐるぐる、ぐるぐると回っていたけれども、何の手入れもされていない、ぼさぼさの髪の隙間から、一つ一つわらがほどけて出て行っているのを見て、初めて焦った。
案山子には、内臓はない。その体の中には、わらがぎゅうぎゅうに詰め込んであるだけだった。
然しながら、というべきか、案山子はわらが全部出て行ってしまうと、どうにも体がふなふなと崩れ落ちてしまって、動けなくなるので、まずいことには変わりない。
からだを押さえつけるような風の中、案山子はどうにかこうにか頭の穴をふさいで、それから、文字通り無い頭で、飛ばされる先のことを考えていた。
案山子には、人の友もない。友と呼べそうなものは、同じ道具仲間の、錻力だけだった。
彼は聡明で、頼りになるけれども、心もなければ、血も通っていないので、至極冷静な男であった。
――彼奴が居ないのなら、私はどこへ行っても、死んでしまうのか知ら。
案山子にも血は無いので、青ざめる事は無かったけれども、もし彼女に汗腺があるのなら、この強風の中ですらとめどない汗を流すほどには、恐怖した。
――未だ、死にたくはないわねえ。
傍から見れば、まるで呑気な思考だが、案山子は確かに、逆上る長黒髪を押さえて、決心の面持で、そう考えた。
そうしているうち、――何故だろう、何処からか、案山子を呼ぶ音声がした。始めは案山子の方も単なる空耳かと思ったが、どうにも一向に、止む気配がなかったので、成程、幻聴のたぐいとは違うらしい。
幸い、竜巻の勢いが衰え始めていたので、ほんの少し下方へ眼をやれば、その似非空耳の正体は分かった。
それは、砂埃の、醜い黄土色の隙間から、見覚えのある、変に錆びた鉄の色が、ときおりちらちらと、顔を覗かせていたからだった。
その鉄色の表には、何やらモニタアめいたものが、引付いている。
案山子はそれを、錻力の彼だと確信した。すると間もなく竜巻が止んで、これまでに飛ばされていた箪笥やら、そっくりどこかで巻き込まれていた赤屋根やらと一しょに、案山子たちも、強か地面に打ちすえられた。
案山子が立ち上るより先に、鉄色した手が、差し出された。これはありがたいと、それを頼りに腰を上げると、やはりどうにも痛む。痛むので、立てそうにない、おぶってはくれないか知ら、と錻力に言うと、彼の方は溜息めいた蒸気を一つぽう、として、それからひょいと、案山子を背中へおぶさった。
「災難だったわねえ」
他人事のように案山子が言うと、
「何、君の方が災難だろうに」
と、錻力が返した。
「君の方は中身がわらだから、高くひゅるりと飛んで行って、終いにはどうだ、こうして身体をいわしたろう。
だけども、おれの中身は鉄がうんと詰まって重いから、地べたぎりぎりで、くるくる回っただけだった」
「なら、良かったわ。貴方がもし、そこいらの鉄屑に紛れてしまったら、私も死んでしまうもの」
案山子は、すっかり腰もよくなったと見えて、ぴょんと一跳びするなり、分厚いドレスの袖をめくった。
それから袖の下の、腕のわら束に手を突込んで、錆止めのオイル缶をにわか取り出し、ぎしぎしなっている錻力の関節に、油をさしてやった。
「頼りにするわね」
そうして案山子は、大きな口と目を細めて、にまりと笑って見せた。