第九十一夜 おっちゃんと交渉人(後編)
取引現場になった場所に最初に行った。『物品感知』に死体を選ぶと二つの反応があった。砂を掘ると、冒険者の死体が出てきた。ドミニクの死体は見当たらなかった。
「とりあえずは、ドミニクの死体は、なしと」
おっちゃんは夕方を待って蠍人の集落に向かった。夕方の砂漠を進んでいく。
ヒュンと音がして矢が飛んできた。矢は威嚇目的だったのか、おっちゃんから外れた。
矢が飛んできた方角を見ると蠍人の戦士三人が弓を構えていた。蠍人は声高く警告した。
「立ち去れ人間よ。ここより先は、人が立ち入ってよい領域ではない」
(警告してくれるとは、優しいな。これ、話し合いできるね)
おっちゃんは、顔を虎に変えて、ターバンを外した。
「わいは、おっちゃん言う商人です。買い付けで、グラニはんを訪ねてきました。会わせてもらうわけには、いきませんやろうか」
蠍人の戦士は顔を見合わせ、リーダー格の蠍人が曲刀を手に寄ってきた。
おっちゃんは軽く両手を挙げて、敵意のない態度を示した。
リーダー格の蠍人がおっちゃんをじろじろと見て、怖い顔で疑問を発した。
「商人だと。なら、駱駝はどうした。駱駝がなくては、買い付けた荷が積めないだろう」
「買い付けの品は香料のようなもので、がさばる物やないんです。なので、駱駝はバサラカンドに置いてきました。下手に連れてきてイブリルにでも、襲われたら大損やからね」
「怪しいな」と口にして、リーダー格の蠍人はおっちゃんの周りを廻った。
「村に入る行為が叶わないのでしたら、グラニはんを呼んできてもらえませんか。お互いに利益になる話なので、損はないと思いますよ。むしろ、ここで黙っていても時間をお互いに損するだけですわ」
リーダー格の蠍人が、おっちゃんから離れて仲間の許に戻った。蠍人の一人が村のある方角に行き、おっちゃんは近くの岩に腰掛けて待った。
(今のところ、順調やね。でも、ここからが本番だから、気を引き締めんと)
ほどなくして、一回り体の大きい、立派な顎鬚を生やした蠍人がやってきた。
蠍人は怪しむ態度を隠さなかった。蠍人がぶっきらぼうに言い放つ。
「俺がグラニだ。商売の話なんだろう。何を買いたいんだ」
「へい、ドミニクを売ってもらえませんか」
他の蠍人が無言で武器に手を掛けた。グラニが手で制し、険しい顔で尋ねた。
「なぜドミニクを欲しがる。お前はドミニクの仲間か」
「仲間やおまへん。ただ、ドミニクが金になるとわかったから、買いに来ました。金になる品を買う。商いの基本ですわ。売ってもらえませんやろうか」
グラニがおっちゃんを見下ろして、頑とした態度で言い放った。
「いいだろう。夜明けまでに金貨百枚を持ってこい」
「ええですよ」と、おっちゃんが答えると、グラニの眉が跳ねた。
おっちゃんは言葉を続ける。
「ところで、グラニはん、お願いがあります。金貨百枚、貸してもらえませんやろうか。担保はあります。おっちゃんの持っている剣です」
グラニが鼻で笑った。
「金貨百枚の価値がある剣ならばな」
おっちゃんは剣を外して、グラニに渡した。グラニは剣を抜いて刀身を確認する。
グラニの顔が変わった。グラニは目を細めて、唸るように発言した。
「ほう、これまた、見事な剣だ。確かにこれなら、金貨百枚くらいの価値があるな。だが、良いのか。これほどの剣を預けて。剣は戦士の魂だぞ」
グラニが剣先をおっちゃんに向け、おっちゃんは臆することなく答えた。
「戦士にとっては魂でも、おっちゃんにとっては、ただの剣です。人の命より重いとは思えません」
グラニとおっちゃんの視線が交わった。
グラニが表情を和らげ、後ろにいる蠍人に命じる。
「おい、昨日の人間を連れてきてくれ。商談成立だ」
蠍人の戦士が村に移動する。おっちゃんはドミニクが戻ってくるまで聞いた。
「昨日の取引で、イブリルに襲われたと聞いたで、あれは偶然なん」
グラニが苦い顔で忌々しそうに発言した。
「違う、あれは人間が悪い。取引場所にイブリルの縄張りを指定した。なのに、人間はイブリルの縄張りで小便をした」
「何がまずいの」
グラニが険しい顔で言い放った。
「イブリルは水音に敏感だ。縄張りで小便なんかしたら、地上に顔を出す。さらに、人間は松明を持っていた。炎はイブリルを興奮させる。なんであんな馬鹿な行動を取ったのか、理解に苦しむ」
事情は、わかった。ドミニクたちはイブリルの縄張りと知らずに、取引場所を指定した。
取引が始まる。冒険者の一人が小便をする。結果、イブリルを呼び寄せた。
夜目が利く蠍人は松明を持っていなかったから襲われなかった。松明を持っていた冒険者が優先的にイブリルに襲われた。
冒険者にしてみれば、冒険者だけを襲ってくるイブリルを見て、蠍人が嗾けたかのように見えた。
縄に繋がれたドミニクを蠍人が連れてくるのが見えた。おっちゃんは顔を虎から人間に戻した。
ドミニクは怯えた顔をしていた。
グラニが恐ろしい顔でドミニクの首根っこを掴む。
「ほら、これが、ドミニクだ。これに間違いないな」
「間違いありません」
グラニが手を離すと、ドミニクが尻餅を搗いた。
おっちゃんはドミニクに視線を合わせる。
「どうも、こんばんは、おっちゃんいう冒険者です。奥さんの依頼で、迎えに来ました」
ドミニクの顔に安堵の色が差した。
おっちゃんは言葉を続ける。
「おっと、まだ安心したらあかんよ。あんな、ドミニクさんを解放するのに身代金がいるねん。交渉して金貨百枚ってなった。奥さんにいえば、身代金を用意してくれるやろうか」
ドミニクが切羽詰まった顔で早口に述べる。
「金貨百枚なら、どうにか用意できる。だが、妻には用意できない。俺なら用意できる。本当だ。だから、その、俺を解放してくれるようにグラニに頼んでくれ、金は必ず持ってくる」
「具体的には、どうやって金を作るん。絵に描いた餅では、あかんよ」
「自宅は持ち家だ。去年、金貨三百枚で買った。家を抵当に入れれば、金貨百枚くらいなら借りられる。本当だ。信じてくれ」
「さて、どうしたものかな」とグラニが意地悪く発言する。
おっちゃんは笑顔を作って、ドミニクを見る。
「なんなら、おっちゃんが金貨百枚を貸してやってもええで」
「本当か、頼むよ」とドミニクが泣きそうな顔でお願いした。
おっちゃんはドミニクの後ろに廻ってグラニと向き合う。
「ほな、ドミニクさんを貰って行きますよって」
「好きにしろ」とグラニが歯を見せて笑った。
おっちゃんはドミニクの縄を解いて、バサラカンドに戻った。