第八十六夜 おっちゃんと砂の街
季節は移り替わる。冬が終わり『シュナ砂漠』にも春が訪れた。
虫網と頑丈な採取籠を持った中年男性が一人、岩陰に潜んでいた。男性の身長は百七十㎝バック・パックを背負い、頭にターバンを巻き、ドラブ色のマントを羽織っている。
マントの下には通気性の良い長袖の服と革鎧を着用。手には手袋をして腰には細身の剣を佩いている。
歳は四十一と、行っている。丸顔で無精髭を生やしている。おっちゃんと名乗る冒険者だった。
おっちゃんは岩陰からそっと顔を出す。視線の先に、赤と黒の毒々しい色をした体長十㎝の蜥蜴がいた。
マンドラスと呼ばれる猛毒のある蜥蜴だった。マンドラスがおっちゃんの置いた干し肉に用心深く近づいた。マンドラスが干し肉をゆっくり齧り始めた。
おっちゃんは、慌てずに待った。マンドラスの警戒が解けるまで辛抱した。
マンドラスが干し肉に大きく齧り付いた。マンドラスが干し肉を貪った。
おっちゃんは息を殺して、タイミングを計った。マンドラスが安心したと見た時に、おっちゃんは飛び出した。マンドラスに向かって勢いよく虫網を振った。
マンドラスが驚き、走り出した。僅かの差で虫網が空を切った。マンドラスは逃げた。
「しもうた、避けられた」
おっちゃんはマンドラスを追った。
マンドラスが必死に走った。マンドラスが十m先にあった岩の隙間を目がけて駆け込もうとする。
『睡眠』の魔法を、おっちゃんは唱えた。途端に、マンドラスは倒れ込んだ。
おっちゃんは魔法が使えた。どれほどの腕前かというと、小さな魔術師ギルドのギルド・マスターが務まるくらいの腕前だった。ただ、おっちゃんは目立ちたくないので他人がいる前では魔法の使用を控えていた。
おっちゃんは倒れ込んだマンドラスを抓み上げる。専用の採取籠にマンドラスを入れた。
岩に腰掛けて腰に下げていた水筒から『クール・エール』を出して飲んだ。
『クール・エール』は、飲むと一時間ほど暑さに強くなれる飲み物だった。日中の砂漠や火山地帯で冒険をする冒険者の必需品だった。
「それにしても、マンドラス狩りは、きついな、六時間で二匹しか捕まえられん。別の仕事を考えたほうが、ええかもしれん」
おっちゃんはマンドラスが逃げ込もうとした先の隙間を覗き込んだ。
「他のマンドラスがいるかもしれん」
何もいなかった。
「二匹目の泥鰌は、おらんか。世の中そんなに甘ないか」
じっと目を凝らすと、隙間の奥に光る物があった。
「なんや、何かあるで。もしかして、金貨か」
隙間は小さく手が入らない。だが、何かが奥で光っていた。
おっちゃんは周囲に細心の注意を配った。誰も見ていないことを確認する。おっちゃんは裸になった。
裸になると、おっちゃんは蠍の姿を念じた。おっちゃんの体が小さくなり、隙間にギリギリ入れる大きさの蠍になった。
おっちゃんは人間ではない。『シェイプ・シフター』と呼ばれる姿形を変化させられる能力を持ったモンスターだった。
蠍の姿になったおっちゃんは、隙間の奥へと進んだ。光る物体を挟み込んで隙間から出た。
人の姿を念じて人間に姿を変えた。肌を焼くほどに日差しが強いので、すぐに着替えた。
光る物体が何かを、じっくり観察する。物体は直径三㎝ほどの透明な球体だった。
「なんや、ガラス玉か」
おっちゃんは、それから夕方までマンドラス狩りを行ったが、一匹も獲れなかった。
一時間ほど歩いた。砂漠が途切れる。岩の上に砂がうっすら積もった岩の地面が続く場所に出た。
岩の地面の先には大きな街があった。砂漠の街のバサラカンドがあった。街は大きな城壁とヤシの木の防砂林によって囲まれていた。
バサラカンドは『シュナ砂漠』の東の先にある人口四万人の大きな街だった。街の北側に、領主が住む宮殿があった。
宮殿の地下には巨大な地下水脈があり、宮殿の中に水が湧いていた。湧き出す水は街中に掘られた水路により供給されていて、水道があった。
南東に行けばマサルカンド。南に行けばサバルカンド。南西にエルドラカンドがある。
バサラカンドは、貿易の中継地点として商人が集まる街だった。バサラカンドには商人の街以外の側面もあった。
『シュナ砂漠』には『無能王アイゼン』と呼ばれる存在がいた。『無能王アイゼン』は『シュナ砂漠』にあるダンジョン『黄金の宮殿』に住んでいた。バサラカンドは、『黄金の宮殿』に眠る宝を求めて、冒険者が集まる街でもあった。
南門を入ってすぐの場所に青いドーム状の石造りの屋根を持つ大きな建物があった。
建物は地下一階地上二階建ての建造物だった。敷地は一辺が百四十mほどと広い。バサラカンドの冒険者ギルドだった。
冒険者ギルドには百四十席の酒場が併設されていた。酒場は二階まで吹き抜けになっており天井が高くなっていた。酒場の厨房スペースの上が宿屋になっており、二十室の客室があった。宿屋の料金設定は高めなので、金のない冒険者は付近の安宿に泊まっていた。
おっちゃんは採取籠を持って、冒険者ギルドの依頼報告カウンターに行く。カウンターには、袖や裾口がゆったりした筒状の服である紫のガラベーヤを着た女性がいた。
女性はヴェールで、顔の下半分を隠していた。ヴェールで顔はよくわからない。でも、見える目は切れ長の黒い目をしており、僅かに覗く髪は黒髪だった。
肌の感じや歩き方から、若いとは思うが、年齢はわからなかった。女性は、ギルド受付嬢のエミネだ。
「エミネはん。マンドラスを捕ってきたで、換金してや」
エミネがおっちゃんから採取籠を受け取った。手慣れた手つきで、ガラスの大きな瓶にマンドラスを移し替えた。エミネが品定めする商人のような厳しい顔で、マンドラスの状態を確認する。
「初めてにしては、上出来ね。マンドラスは一匹で銀貨十二枚だから、銀貨二十四枚ね」
「毒のある蜥蜴にしか見えないけど、こんなん欲しがる人なんて、おるの?」
エミネが意味ありげに微笑んで教えてくれた。
「マンドラスの毒は、そのまま使うと心臓を止めるわ。けど、強い酒で薄めて使うと、強壮剤として使えるのよ。薬でも毒でも使えるのよ。つまり、薬師ギルドでも『月下の刃』でも使い道があるのよ」
サバルカンドには盗賊ギルドはない。代わりに『月下の刃』と呼ばれる暗殺者の集団が街にいる。噂では領主のハガンとも強い繋がりがあると言われているが、真相は不明だった。
「『月下の刃』ねえ、おっちゃんは採取しか能がないから、関わり合いになる事態は起きないやろうね」
エミネの瞳が微笑む。
「だといいわね。でも、街道を歩いても盗賊に遭うように、世の中って何があるかわからないわよ。スリルがあっていい、って言う人もいるけど」
「おっちゃんは平坦で安全な人生がええな」
エミネは曖昧に笑って付け加える。
「それと、もしバサラカンドで薬を求めるなら、魔術師ギルドだけは止めておいたほうがいいわよ。この街の魔術師ギルドは、仕事料は高いけど、実力は全然ないから」
おっちゃんは、冒険者ギルドと併設の宿屋に宿を取っていた。バサラカンドは物価が高い。宿代と食事代を入れると、倹約下手なおっちゃんの生活費は、銀貨六枚にもなった。
おっちゃんは寝転んで考える。
「一日砂漠を駆け回って、売り上げが銀貨二十四枚。『クール・エール』代を除くと二十枚か。三日しか暮らせんな、ぶらぶらしたり、遊んだりしたら、すぐなくなる。もちっと、なんか考えよう」