第六十七夜 おっちゃんと薪(前編)
塩の制限が始まってから、一週間が経過した。大き過ぎる氷塊の前に、冒険者は無力だった。
啄木鳥亭の厨房は、塩を減らしても美味しい料理を作ろうとしたが、ダメだった。
塩辛い味付けに慣れた冒険者は、満足しなかった。街では商店から塩が消えた。塩鱈やベーコンが百gで銀貨十枚と、信じられない値段で取引された。
夜になった。高いと思いつつも、おっちゃんはベーコンを買った。ベーコンをちびちび齧りながら、味気のない食事をして過ごした。一緒に飲んでいたヘルマンがベーコンを物欲しそうに見ていた。
「さて、どうしたものか。これ、春まで保たんね」
ヘルマンがエールを片手に愚痴った。
「だな。俺も塩抜きの食事に、辟易しているよ」
怪我をした十人の冒険者が疲弊して帰ってきた。それだけなら問題なかったが、次々と同じような冒険者が帰還する。
冒険者が思い出すのも忌々しい口調でニーナに尋ねた。
「村から少し出ただけで、大量の魔物に襲われた。尋常な数じゃない。体長が一mほどで全身が雪のように真っ白。目だけが赤く、狼のような魔物だった。あれは、なんだ」
ニーナが労わるような顔で優しく教える。
「それは、ウーフェです。獣ではなく、精霊の一種です。冬になると、どこからともなく現れて、雪が消える頃に溶けるようにいなくなる。でも、こちらから攻撃しないと襲ってこないはずでし、数もそんなには、いないはずです」
話を聞いていたヘルマンが苦々しい顔をして、静かに口を開いた。
「そうとも限らんよ。三十年前にも遭った。ウーフェが大量発生して人を襲った過去がね」
おっちゃんは、ヘルマンに尋ねた。
「それで、そん時は、どうしたん」
ヘルマンが諦めた顔で頭を振る。
「どうもしないよ。ウーフェは倒しても減らない。冬の申し子さ。だから、皆で街から出ないようにして、じっと春になるまで、皆で待った。それだけさ」
ヘルマンが席を立ち、辛そうな顔で「悪い。酔った。帰るわ」と口にして啄木鳥亭を後にした。
ヘルマンが帰った後も怪我をした冒険者が続々と帰ってきた。よく見かけた、名も知らぬ冒険者の何人かは、帰ってこなかった。
翌日、食堂に行った。食堂が冷えていた。おっちゃんは寒さに強いので気にならない。だが、南方から来たと思われる冒険者は明らかに寒そうだった。
暖炉を見れば、昨日まで赤々と燃えていた火が、ちょろちょろとしか燃えていなかった。
おっちゃんは給仕の青年を捕まえた。
「食堂、寒ないか。暖炉に薪をくべんの?」
「くべないじゃなくて、くべられないんですよ。全てはウーフェのせいです。ウーフェのせいで樵が、薪を外に取りにいけないんですよ。薪の節約ですよ」
『ダヤンの森』にはシバルツ松と呼ばれる松が自生していた。シバルツ松は含水量が少なく、油分が多い。乾燥した薪を使うと火力が強すぎるために、乾燥させずに使われるのが常だった。そのため、シバルツカンドでは、冬に使う薪は冬に伐っていた。
「節約って、冬は、これから本番やん。そんなんで、大丈夫なん?」
給仕の青年が肩を竦めて、自嘲気味に発言する。
「大問題ですよ。もしかしたら、俺のような貧乏人は、冬が越せずに死ぬかもしれません」
(塩不足に薪不足か。これ、シバルツカンドは冬を越せるんやろうか)
薪不足に悩む存在は冒険者だけではなかった。街の人間も苦労した。
薪の節約が始まって五日が経った。冒険者の酒場に人はいるが、暗い雰囲気に包まれていた。
(完全に閉じ込められたな。『氷雪宮』までの道のりに、ウーフェは寿司詰め状態。並の冒険者では、辿り着けない。『氷雪宮』に行けんから、収入がない。街を出ようにも、氷塊が塞いでいる。八方塞がりや)
ある、とても寒い日に、冒険者から死人が出た。
冒険者ギルドは宿代が払えない冒険者のために馬小屋を開放していた。馬小屋の中で、飢えと寒さで体力を奪われた下級冒険者が、死んだ。
冒険者の全員が言い知れない嫌な感情と恐怖を抱いた。そんな中、一枚の依頼が貼り出された。内容は薪を伐り出す樵の護衛。報酬は一日で銀貨二十枚。ちなみに、ベーコンは値上がりして、百gは銀貨二十枚になっていた。
(命の値段が、ベーコンの小さな塊と一緒とはのー)
依頼掲示板の前に食い詰めた冒険者が集まっていた。おっちゃんには木の伐り出しは無謀に思えた。
だが、掲示してから一時間足らずで、募集枠は全て埋まった。おっちゃんは、まだ金があるので参加しなかった。
もう一件の依頼が貼り出された。内容は氷塊を登って塩を買い付けに行く冒険者の募集。
成功報酬で報酬は金貨二枚。ラップカンドは往復で一日と掛からない場所にある。ただ、塩を買いに行くならいい。だが、全長三百mの氷塊を渡れるとは思えなかった。
(これもないな。運任せすぎる。氷塊を登っている最中にアイス・ワイバーンが襲ってきたら、しまいや)
塩の買い付け依頼は募集人数が六人と少なかったので、こちらもすぐに埋まった。
帰ってこいよと念じて、冒険者を送った。
樵の護衛が出発して、二時間が経過した。護衛に従いていった冒険者の一人が息を切らせて帰ってきた。帰ってきた冒険者は、おっちゃんが飲んでいたエールを掴むと一気に飲み干す。
おっちゃんが抗議の声を上げる前に冒険者が叫び声を上げた。冒険者が消えそうなくらいの火しかない暖炉の中に飛び込んで、体中に灰をこすりつけるように、のたうった。
「おい、しっかりせい! 誰か、誰か『精神治療』の魔法を」
すぐに僧侶が飛んできて、『精神治療』を唱えた。
魔法が効果を上げると冒険者は暖炉から出てきた。冒険者は体育座りで泣いていた。
「どないしたんや」と声を掛けると「全滅」とだけ短い答が返ってきた。
知り合いと思える冒険者が、正気を取り戻した冒険者をどこかに連れて行った。
冒険者ギルドの廊下を誰かが歩いてくる音がした。
音の主は四十代の金髪の男性だった。男性は丸刈りで、髭面。ファーの付いた帽子を被って、毛皮の服を着ていた。男の名はハラール。林業ギルドのギルド・マスターだった。
ハラールが依頼の受け付けカウンターで怒りの声を上げた。
「おい、どうなっているんだ。護衛が樵をおいて逃げ出したぞ。すぐに替わりの人間を出してくれ。取り残された樵を救出するんだ」
誰も名乗りを上げなかった。ハラールが冒険者をギロリと見回した。皆が顔を背けた。
ハラールが怒鳴ってカウンターを叩く。
「なんてやつらだ。もう、いい。今後、林業ギルドは、冒険者ギルドに仕事は回さん。薪も売らん。おまえら、みんな凍え死んでしまえ」
ハラールが恐ろしい剣幕で、呪いの言葉を言い放つ。ハラールはギルド・カウンターを蹴って出て行った。
ニーナはハラールの剣幕に怯えてはいなかった。ただ、悲しそうな顔をしていた。ニーナがどこかに行った。