第五百四十三夜 おっちゃんと水害よりも怖いもの
小麦の刈り入れから五日後、雨が降り出した。振り出した雨は二日が経っても止まなかった。
「あかん、大雨になるかもしれん」
おっちゃんは村人と一緒に堤防に設置されている板を破壊する。水路に水を逃す措置を取った。
川の水位が上がるが、水は水路を通って勢いを弱める。水龍もやってきて、水の流れを変えてくれた。だが、それでも水の勢いはあり、堤防に水ががんがん当る。
(まずいで、これは想定を超える規模の氾濫になるかもしれん)
おっちゃんは村人に避難勧告を出そうとすると、雨が弱まってきた。その二時間後に雨は止んだ。堤防を見に行くと、水位は徐々に下がって行った。
(ふー、助かったで。堤防は来年には補修しなければならんが、今度は冬がある。補修は村人の手でやれるやろう)
クレタスとレヴァンがやって来て報告する。
まず、険しい顔のクレタスが被害状況を伝える。
「おっちゃん、堤防と水路を作っておいて正解だったな。土を含む大量の泥が水路を通って森に流れ込んだ。苺畑の被害は少ない。こっちの被害は家畜が数頭、流されただけで済みそうだ」
「それは、よかったな。レヴァンはん、そっちは、どうや?」
レヴァンが真剣な顔で申告する。
「畑に泥が流れ込んで、使えなくなる畑が出た。それでも被害は十に満たない。冬に村の者と協力して泥を取り除けば、来年の春には畑は使える」
「刈り入れの後のなのが、不幸中の幸いやな。被災した村人が食えなくなるのが一番まずい」
クレタスとレヴァンが帰っていくと、ほっとした顔のホメロスがやってくる。
「おっちゃんさん、穀物倉を見てきましたが、こちらも無事です。今年は、こんな事態になりましたが、法王庁に小麦を送れそうです。ただ、他の村が心配です」
「これは、猊下の判断になる。せやけど、ここの村が無事やったんや。他の村にかて小麦を分けてやれるやろう。そうすれば、他の村も助かる」
水害の後、商人を通して他の村の状態が伝わって来た。
どこの村も、今度のメダリオス河の氾濫で手痛い被害を受けていた。
(隣村のアキリオスはんは大丈夫やろうか)
おっちゃんが心配していると、厳しい顔のクレタスがやってくる。
「おっちゃん、隣の村が、まずい状況になっているぞ」
「死人が多数、出たんか?」
「人間は河が氾濫する前に高台に逃げたから助かった。だが、畑に土砂が入り、穀物倉がやられた。なのに、国は普段通りに税を納めるように命じてきている」
「何やて、救済の手が必要な場所から無理に税を取ろうとしたら、一揆が起きるで」
クレタスがどこまでも苦い顔をして頼んで来た。
「実は一揆が起きる寸前だ。そこで、一揆を止めるために隣村の庄屋が小麦を援助してくれないかと頼んで来た」
「助けてやりたいが、向こうは国王領で、こっちは法王領。猊下は被害に遭った法王領の救済に小麦を使いたいはず。せやから、簡単に分けてやるわけにはいかん。それに向こうの代官であるアキリオスはんから相談もなしでは、動きようがないで」
クレタスは、やるせない顔で怒りを告げる。
「アキリオスの性格からして、助けを求めてこないだろう。奴なら、どうにか税を取り立てようとするはずだ」
「まいったのう。それやと一揆は確実やで。そんで一揆を起こして、鎮圧に軍隊が来たら血の惨劇やで」
クレタスが怖い顔で憂慮する。
「俺も流血の事態を怖れている」
「わかった。なら、猊下に手紙を書いて、小麦を少しでも隣村の救済に使えんか、聞いてみる。だから、結果が出るまで、一揆は待つように庄屋を止めてくれ」
クレタスは複雑な顔で訊いてきた。
「一つ、聞きたい。一揆は隣村の話だ。それなのに、おっちゃんは動いてくれるのか」
「これは隣村だけの話やない。話はメダリオス河流域全体の村に関わる内容や。ここで自分の村だけの利害を考えれば、回り回って、ここが危険に曝される」
「わかった。おっちゃんにはおっちゃんの考えがあるようだから、頼るとするよ」
その夜、おっちゃんは、どうしたら隣村を救えるか考えていた。すると、家のドアを激しく叩く音がした。
(何や? こんな遅くに、尋常やない叩き方や)
おっちゃんは出ていく。
女性と二人の子供を連れた、青い顔のアキリオスが立っていた。
「頼む、オウル殿。匿ってくれ。村で百姓が反乱を起こした」
(早すぎやで。こんなに早くに事態が動いたら、対策も何もない)
外を窺う。誰も見ていないので、とりあえず中に入れる。
キヨコが女性と子供に温かいスープとパンを出す。
その間に、おっちゃんはアキリオスに訊いた。
「一揆が起きそうや、とは聞いていた。でも、いつ、起きたんや?」
アキリオスが強張った顔で、震えながら伝える。
「百姓が決起するのは明日の朝だ。明日の朝になれば、私たち一家は殺されると知った」
「もう、なら、何で無理に税を取り立てようとするんや」
アキリオスが情けない顔で弁解した。
「誤解があったんだ。私は国王に村の窮状を訴えて、何らかの対策を打つように頼んだ。てっきり救援物資が届くものと思ったが、違った」
「食料を送らずに、兵を送ると決めたんやな」
アキリオスが恐怖に滲んだ顔で、経緯を語る。
「そうだ。その、兵隊が来る情報が百姓に漏れて、百姓が激怒して立ち上がった」
(これ、あかんわ。昼に話した通りに、隣村は血の惨劇や)
「わかった。なら、ボーランドはんに話して、バレンキスト行きの船を出す。それに、奥さんと子供を乗せて、逃がそうか」
アキリオスが縋るような顔で頼んだ。
「私は連れて行ってくれないのか?」
「アキリオスはんには、ここに残ってもらいたい。国王軍がいきなりハレハレ村を襲撃する事態もあるかもしれん。せやけど、ここに寄るかもしれん。その時に代官として村人を助けるために行動を起こしてほしい」
アキリオスは目を見開いて、驚いた。
「反乱を起こして私を殺そうとした百姓を助ける、だと?」
「そうや。冷たいようやが、反乱が起きた責任はアキリオスはんにも、ある。ここは責任を取らないかん」
アキリオスは俯いて弱々しく了承した。
「わかった。妻と子を逃がしてくれるのなら、私はここに残る」
「キヨコ、食事が終わったら。アキリオスはんの妻子をボーランドはんのところに連れて行ってくれ。こんな夜更けで悪いが、ボーランドはんに舟を出してもらって。わいはレヴァンはんに、話をつけてくる」
おっちゃんはレヴァンの家に行きドアを叩く。不機嫌な顔のレヴァンが顔を出した。
「こんな夜更けに、すまん。レヴァンはん。人間を一人、匿ってやってほしい」
レヴァンはアキリオスの顔を見て、嫌な顔をする。
「おい、こいつは隣村のアキリオスだろう。何で、こんな人間を匿う必要がある」
「隣村で一揆が起きた。一揆を鎮めるためには、アキリオスはんの存在が必要になるかもしれない」
レヴァンが苦い顔で、渋々の態度だが、了承してくれた。
「俺はアキリオスが嫌いだ。人間も嫌いだ。だが、おっちゃんには村のワー・ウルフの生活も改善してもらった恩がある。嫌々だが、引き受けよう」
「そう言ってくれると助かる」




