第五百四十二夜 おっちゃんと揚げパン
水龍が再び来る二週間は瞬く間に過ぎた。
川沿いに大きなテーブルが並び、テーブルの上には二十種類に及ぶパンが載っていた。パンを並べ終わると、水龍が河から姿を現した。
水龍が厳かに訊く。
「人間よ。貢ぎ物の準備はできたか」
「へえ、献上する品はパンと決めました」
水龍は傲岸な態度で馬鹿にしたように発言した。
「パンだと? 果たして、そんな物で我を満足させられるのか?」
「まあ、試してみてください」
「いいだろう」と水龍は答える。水龍の体が青くに光った。
水龍は簡素な青い服を着た。茶色い短い髪の褐色肌の青年に姿を変えた。水龍が水の上を歩き、テーブルの前に進む。
水龍がパンを一通り眺める。
「種類だけは、あるようだな。果たして味はどうかな?」
「では、まず、一品目」とガルシアがパンの説明をして皿を差し出す。
水龍は説明を黙って聞きパンを食べていく。水龍は澄ました顔で全てのパンを平らげる。
(全部すっかり食べよったけど、美味いとは、口にせんかったな。意外とグルメなんかもしれん)
水龍は気取った態度で否定的意見を述べる。
「ここに並ぶパンはどれも美味い。貢ぎ物として選ぶほどのことは、ある。だが、我が求めるパンと違う」
ダメ出しされたガルシアは、怯むことなく穏やかな態度で質問する。
「お気に召しませんでしたか? どういうのなら、良かったんでしょう?」
水龍は難しい顔で、尊大に言い放つ。
「上手くは言えん。だが、違うのはわかる」
(これは、難しい客やな。ガルシアはん、大丈夫やろうか?)
ガルシアは丁寧な態度で頼んだ。
「待ってください。明日、もう一度、来ていただけないでしょうか」
水龍は馬鹿にしたような顔で発言した。
「明日になれば、好みのパンが焼けるとでもいうのか」
ガルシアは真摯な顔で頼んだ。
「今日、わかったことがあります。明日なら、きっと気に入るパンを持参できます」
水龍は意地の悪い顔で認めた。
「いいだろう。もう一日だけ、付き合ってやろう。ただし、明日がダメなら別の貢ぎ物を用意してもらう」
水龍は人の姿で河の中央に戻ると、水中に消えた。
「ガルシアはんの腕を疑うわけではないけど、大丈夫なんか?」
ガルシアの態度には、自信が滲んでいた。
「珍しい事態ではありません。伯爵家には様々なお客様が見えられます。中には美食家と呼ばれるお客様がやってきます。そんな中で、腕を磨いてきた俺です。まあ、見ていてください」
ガルシアは翌日、ただ一種類のパンを作る。
香味野菜と挽肉に十五種類のスパイスを加えて餡を作る。餡の周りにチーズを被せて、人型のパンに詰める。
パンを低温で焼いて、最後に油で揚げて、揚げパンを作った。
「肉を詰めた人型の揚げパンか。あまり、見ないパンやね」
ガルシアは、にこにこ顔で語る。
「昨日、水龍さんがパンを食べるところを見ました。水龍さんは肉が入ったパン、香辛料が効いたパン、揚げパンを食べた時、僅かに表情が緩みました」
「そうか。わいは、気付かなかったけど」
ガルシアは微笑んで教えてくれた。
「私には、パンを食べた人が感想を言わなくても、表情から感想がわかるんです」
「それは凄い特技やな」
「造ったパンが美味しいのか、常に疑問を持ち続けました。それで、人の顔色を見てきて身に付いた特技ですよ」
翌日、水龍がやってきた。水龍が人間の姿を取る。
ガルシアがパン籠を差し出して、上に掛かっていた布をどける。
「お待たせしました。これが貢物の美味しいパンです」
水龍の顔が僅かに驚いた。
「人型の揚げパンか。見栄えはいい。どれ、味のほうはどうだ」
水龍がパンを一口食べる。そのまま無心に頬張る。水龍は二つ目のパンに手を伸ばして食べた。そのまま、ガルシアが用意したパンを全て平らげた。
水龍は改まった顔で素直に賛辞を送った。
「見事だ、人間よ。実に美味いパンだ。さぞや、名のある職人なんだろう」
「私なんて、まだまだです。バトルエル様には、遠く及びません」
水龍は驚いた。
「何と、バトルエル卿のパンを食べた経験が、あるのか!」
「一度だけですが、あります。それ以来、バトルエル様の境地に辿り着くために、精進をしております」
水龍は改まった態度で請け負った。
「わかった。村長よ。年一回、このパンを我に捧げよ。さすれば、河の氾濫から村を守ってやろう」
おっちゃんは丁寧に頭を下げた。
「ありがとう、ございます」
こうして、ホレフラ村では毎年、夏にパン祭りが行われることになった。
水龍の問題が片付いたおかげで、おっかなびっくりだった人足たちも伸び伸びと働けるようになった。おっちゃんも先頭に立って働いた。
暇な時は村人も手伝ってくれるので、秋の初めには堤防が完成した。
完成した堤防と水路を、歩いて確かめる
「村に貯まった金を使い切ってしまったが、しゃあない。河の氾濫に巻き込まれたら全てがパーや」
水路になる場所を歩いていると、陽気な顔でレヴァンが声を掛けてくる。
「おっちゃん、堤防と水路が完成したな。でも、明日には、刈り入れは終わる。刈り入れちまえば、問題ないだろう」
「わからんで。村の穀物倉かて万全やない。刈り取った小麦を流される事態を考えれば、堤防も水路も必要や」