第五百四十一夜 おっちゃんと水龍の要求
おっちゃんはバレンキストにいるアレキサンダーとビアンカに手紙を出した。
アレキサンダーには「今年は、メダリオス河が氾濫するかもしれない」事情を伝える。ビアンカには堤防を造るので人足を送ってほしいと頼んだ。
(水事情が改善したとはいえ、バレンキストにはまだ職にあぶれた難民が多いはずや。土木作業員の募集を懸ければ、必ず人は集まる)
おっちゃんは人が来るまでの間にアキリオスの家に通って、もっと詳細な計画を作ってもらう。
アキリオスは迷惑を掛けたとの思いがあるのか、積極的に協力してくれた。
人足が集まると村の中を通る水路の掘削から始める。掘削してできた土と河原の石を土嚢に詰めて河沿いに堤防を造って行った。
堤防を造っていると、人足が河原から逃げてくる場面を目撃した。
「龍だ! 水龍が出たぞ!」と人足たちが叫んで、逃げてくる。
(こんな人里近い場所に水龍が出るなんて珍しいな。また、何ぞ、要求してくるんやろうな。もう、あまり面倒なことはやめてほしいわ)
おっちゃんが河に向かって走って行く。河から上半身を出した茶色の龍がいた。
茶色の龍は上半身だけで十mあり、顔は三mは優にあった。龍がおっちゃんをギロリと睨む。
おっちゃんは気にせず、話し掛ける。
「この村の村長をやっているオウルといいます。何かご用でしょうか?」
水龍が大きく目を見開いて恫喝する。
「こんなところに堤防を造るなぞ、誰に断ってやっている!」
「許可が必要ですか? なら、許可を下さいな」
おっちゃんの堂々とした態度に水龍は、いささか面喰らったようだった。
「何だ、やけに素直だな。なら、生贄を出せ」
「ない。それはないわ。高すぎですわ。もっと安うしてください。菓子折の一つぐらいに負かりませんか?」
水龍が馬鹿にした顔で大きな声で怒鳴った。
「馬鹿か、お前は。どこの世界に菓子折を人間に要求する龍がおるんだ」
「でもねえ。生贄を出したところで、河の氾濫は止めらないでしょう」
水龍はふんぞり返った態度で言い放つ。
「見縊るな。我は水を操る水龍だ。河の氾濫を鎮めるなど、どうという作業ではない」
「それは、一般的な河川の話でっしゃろう。メダリオス河は幅が三㎞でっせ。これが氾濫したら、水龍さんの力では、押し留められません」
水龍が不快感も露に怒る。
「我の力を侮るか」
「なら、この河を逆流させられますか? 無理でっしゃろ。バレイラはんや、ゲールはんと、龍に知り合いおるんですわ。なんで、龍の力の限界は何となくわかっていますよ」
水龍は、バレイラの名前を出すと、態度が軟化した。
「バレイラの知り合いだと」
「そうですわ。さて、そろそろ本題に入りましょうか。生贄は無理でも。貢ぎ物は用意します。その代わり、水害を起きた時に助けてくださいな」
水龍が怒った。
「何で、そんな話になるんだ!」
「水龍はんは己の力を誇示したいんやろう? せやったら、人間に崇め奉られたほうが具合がいいのと違いますか? かといって、ただ貰うだけなら、物乞いと変わりません」
水龍はおっちゃんの話を黙って聞いた。
「せやけど、ここで庇護してくれるなら、話は別や。村では水龍さんが上、村人が下いう関係ができます」
水龍は難しい顔で、おっちゃんの言葉を疑った。
「そう指摘されればそうだが、何だか、騙されている気がするぞ」
「騙してなんかいませんよ。そんで、話を進めますわ。貢ぎ物ですけど、お菓子ではどうでっしゃろ。うちの村の名産品の苺ジャムを使ったお菓子ですわ。甘くて美味しいでっせ」
「正直に申告すると、甘い物はあまり好きではない。特に菓子類は、貰っても困る」
「なら、羊か山羊の丸焼きは、どうですか?」
水龍は思案する顔をした。
「せっかくなら、もう一工夫してほしいところだ」
(おっと、これは、ラッキーやね。水龍の力が借りられそうや)
「わかりました。ほな、二週間だけ時間をください。その間に相応しい貢ぎ物を考えますわ」
水龍は、むすっとした顔で確認する。
「もし、貢ぎ物が気に入らなかったら、この話は、なしでいいんだな?」
「そうなりますな。こちらも、無理強いするつもりは、毛頭ありません」
水龍は鼻息も荒く、挑戦的に命令した。
「よし、わかった、そこまで自信があると大言壮語するならやってみろ」
水龍は帰っていったので、村長の家に帰る。怖がる人足たちが集まっていた。
「水龍はんとは話がついたで。工事に戻ってや」
人足の男が恐々と確認する。
「話が着いたって、まさか、生贄を出すんですかい?」
「そんな話にはならんかったで。何か、それらしい品を用意して機嫌をとるわ。だから、工事に戻ってや。働かんと、賃金を払わんで」
おっちゃんは家に入ると、ビアンカに手紙を書いた。
水龍に貢ぎ物を出すことになった。至急でパン職人のガルシアを村に派遣してほしい、と頼む。
五日後、ガルシアが来たので相談する。ガルシアは短い黒髪の線の細い青年だった。年は、まだ二十代の後半と若いが、パン職人としての腕は立つ。
伯爵家に仕え、バレンキストでは有名なパン食人だった。
「急に呼んで、すまんな。無理難題を頼むようやけど、水龍が気に入るパンを作ってほしい」
ガルシアが気の良い顔で意見する。
「私はパン職人ですから、パンを作るのはいいです。でも、水龍なら生きた家畜のほうが、良くないですか?」
「それは思い込みや。水龍は菓子を貰うても困るとぼやいていた。つまり、相手は菓子を貰うような生活をしている、いうこっちゃ。それに、羊の丸焼きならどうや、と水を向けたら工夫しろと要求してきた」
ガルシアはすぐに納得顔をした。
「なるほど。それなら、焼いたパンを食べる文化があるかもしれませんね」
「だから、こう、見栄えが良くて、美味しいパンを考えてや」
「わかりました」




