第五百四十夜 おっちゃんと公共事業
一週間後、ハウルがやって来たので魔法の炭焼き機の図面を渡す。
ハウルは満足そうな顔で代わりに地図を差し出した。
「これがこの村を襲う災害情報を記した地図です」
おっちゃんは地図を読み解いて驚いた。
「これが本当なら、結構な被害が出るで。防ぐには、高さ五m、幅十m、長さ一・五㎞にも及ぶ堤防が必要や。こんな大きな堤防を秋までに作るなんて、無理や」
ハウルが真剣な顔で教えてくれた。
「でしょう。でも、私が準備する補助金があれば、人を大勢、集められますよ。言っときますけど河の氾濫は『浄水の神域』が絡んでいるので、かなり確実な情報ですよ」
(何とも、とんでもない事態になったのう)
おっちゃんは即答せず、ハウルを帰した。
クレタス、レヴァン、ボーランドを家に呼ぶ。
おっちゃんはハウルから貰った地図を示した。
レヴァンが渋い顔をする。
「無理だ。夏と秋は農繁期だ。秋までに人を動員してそんな大きな堤防は作れない」
クレタスも渋い顔でクレタスに同意した。
「私も同意見です。そんな大規模な工事なんて、無理です」
「せやかて、このまま大規模な水害が起きれば、せっかく造った村は目茶苦茶になるで」
レヴァンが疑いも露に訊く。
「ここ数年、水害の被害はない。本当にメダリオス河の氾濫なんて来るのか?」
クレタスも神妙な顔で同意する。
「私も来ないと思いますよ」
「確かな筋からの情報や。それに災害は備えて置かないと、いつどうなるかわからん」
ボーランドが苦い顔で告げる。
「アキリオスだな。癪だが、アキリオスに頭を下げれば、どうなるかもしれん。あいつは今でこそ、代官なんて政治屋をやっているが、元々は治水に携わる技術系の役人だった」
「え、そうなん? なら、さっそく相談してみるわ」
おっちゃんはすぐにアキリオスに会いに行った。
「困ったことになった。助けてほしい、アキリオスはん」
アキリオスが驚いた顔で対応に出る。
「どうしたんですか、急に?」
「河が、メダリオス河が、氾濫する」
アキリオスは河が氾濫すると聞いても動じなかった。落ち着いた態度で意見する。
「それは、騙されたんですよ。メダリオス河はここ数年、大きな氾濫はしていない。今年も、氾濫するとは思えませんな」
「でも、異種族商人からの情報なんや」
アキリオスは異種族商人と聞いて笑った。
「異種族商人といえば、聞こえはいい。ですが、要はモンスターでしょう。信用しないほうがいいですな」
「なら、この地図を見てくれ」
アキリオスは、乗り気ではない顔で応じる。
「見てくれと言われれば、見ますが」
「この通りに氾濫が起きたら、長さ一・五㎞にも渡る堤防が必要や。そんなの、造られへん。どうにか、もっと簡単に村を水害から救う手は、ないか?」
「堤防」と聞いて、アキリオスは興味を示した。地図をしげしげと眺める。
「おっちゃんの言う通り、村から水害を完全に防ぐには大きな堤防が必要ですな」
「だが、そんな大きな堤防は秋までに、とうてい間に合わん。何か方法はあらへんの?」
アキリオスが知的な顔で、見解を述べる。
「全部を救おうとするから、こんな長い堤防が必要になるんですよ」
「どういうこと? 詳しく教えて」
「ここと、ここと、あと、ここに、村の中を通って、河の水を森に流す水路を三本も掘削すればいい。村の中に入ってくる水の逃げ道を作ることで、堤防を縮小できますよ」
「どの程度に小さくできるん」
アキリオスは思案しながら見積もりをする。
「高さは五m、幅は十m必要ですが、長さは三百mもあればいいでしょう」
「三百mの堤防か。それなら、村に溜まってきた金を掻き集めて人足を動員すれば、どうにか、できるかもしれん」
アキリオスは苦い顔で忠告した。
「作るのは自由ですが、無駄になると思いますよ。うちは堤防を作る金なんてないから、関係ない話ですが」
おっちゃんが村に帰ると、村は夜になっていた。
おっちゃんはメダリオス河の河原を歩いていた。すると、人影を見つけた。
人影は月明かりの中、魔法の灯の籠もった球体を片手に、立っていた。
(誰や? こんな夜中に、河原で何をしているんや?)
「こんばんは。月が綺麗な夜ですね」
おっちゃんは挨拶して、人影に近寄った。
近くに行くと、わかった。相手はいつか枯れた森で会った女性のペトラだった。
ペトラは柔和な笑みを湛えて答える。
「こんばんは、村長さん。河の様子を見ていたのよ」
(誰かから河の氾濫の話を聞いて、不安になったのかもしれんな)
「河を、でっか? でも、こんな夜更けに一人でいたら、危ないでっせ。足を滑らせたら危険や」
ペトラは機嫌の良い顔で話す。
「ねえ、知っている? 今年はメダリオス河が氾濫するのよ」
「何や、もう噂が流れてとるんか。でも、大丈夫やで。氾濫の被害はきっと防ぐ」
ペトラは意外そうな顔をする。
「あら、何で防ぐの? 河の氾濫は悪いことばかりではないわ。河の氾濫によって、この地は大いなる恵みが訪れるわ」
「確かに河が氾濫すれば、肥沃な土を上流から運んでくるかもしれん。せやけど、こんな河に近い場所に村があったら、ここは、ただでは済まん。ペトラはんの家かて被害を受けるで」
「どうでしょうね」とペトラは曖昧に微笑むと、村のほうに向かって歩き始めた。
(何や? 変わった女性やな)