第五百三十六夜 おっちゃんと隣の芝生
ボーランドの発明品のおかげで、バレンキストの街との交通が便利になった。
船はボーランドの講習を受けた村人が船頭として乗って、人や物を運ぶ。
バレンキストからホレフラ村までは、陸路では二週間も掛かる。だが、船を使えば往復で三日しか掛からないので、重宝した。
季節が春の終わりを迎える。ホレフラ村はいたって平和だった。
「苺ジャム製造も上手くゆき、伝説の喉飴もどうにか売れそうや。このまま行けば無事に年が越せそうや」
目の前で収穫された呪われた苺が解呪の井戸水に晒される。おっちゃんは呪いを抜く作業を見守っていた。
クレタスが作業の進み具合を見に来たのでお茶に誘う。
クレタスは機嫌よくおっちゃんの招きに応じた。
世間話などしていると、隣のハレハレ村の話になった。
隣村の話になると、穏やかだったクレタスの表情が曇る
「おっちゃん、隣村の話だがなかなか大変なようだ。今年は増収を目指して開墾して畑を広げたと親類から聞いた」
(隣のハレハレ村も、裕福な村やないからのう、収入を上げるのに、開墾に舵を切ったか)
「隣村はここより小麦の生育がええ。上手く開墾できれば、村人も喜ぶやろう」
クレタスが渋い顔で意見する。
「開墾に駆り出された村人は重労働で苦労しているそうだ」
「畑を広げるのも一苦労やからな。代官のアキリオスはんかて、村のため思うてやっているんやろう?」
「開墾だけじゃない。アキリオスの発案で養蚕も始めたと聞く」
(木々が枯れたのに、養蚕なんてできるんやろうか?)
「何や、養蚕が可能なんか。初めて聞いたで」
クレタスが難しい顔で事情を話す。
「水の状態がおかしくなる前に隣村には桑の森があった。だが、まともな桑の木は乾燥化と共にみんな枯れてしまった」
(あれ、ひょっとして、アキリオスはん、まずい産業に手を出したんやないやろうか?)
「養蚕に使う葉は呪われた密林から採ってきているんか?」
クレタスが難しい表情のまま意見する
「おそらく、そうだろう。呪われた密林にも蚕はいる。だが、呪われた密林の葉でのみ育つ蚕から、まともな生糸が取れるとは思えない」
「呪われた密林には呪われた密林での生態系がある。生態系を無視して育てるには工夫が必要やからな。失敗しなければええけど」
数日後、おっちゃんが庭で休んでいると、アキリオスが怖い顔をしてやって来た。
「おや、お久しぶりですな。アキリオスはん。どうしました?」
アキリオスは怒りに震えて言い放った。
「どうもこうもない、何で水を運んでこないんだ。金は払ったぞ」
おっちゃんはアキリオスが何で怒っているのか、全くわからなかった。
「何のことでっしゃろう?」
アキリオスは憤った。
「惚けるな。呪いを解く井戸水を売ってくれる約束だろう」
「そんな約束、していませんよ」
「これを見ろ」とアキリオスは一枚の契約書を突き出した。
契約書には毎日、解呪の泉の水をホレフラ村から運んでハレハレ村に運ぶ契約になっていた。
契約書にはおっちゃんの名前も書いてあった。
「これは契約書ですな。でも、わいはこの話を知りませんよ?」
「ふざけるな、ここを見ろ。ここに法王庁の印と法王のサインもあるだろう」
印影とサインはあるが、おっちゃんは疑わしかった。
「確かに法王庁の印影とサインがありますな。でも、これが本物かどうか、わいにはわからん。せやけど、わいが赴任した時の任命書が村にあります。任命書と比べてみてもええですか?」
アキリオスの怒りは、収まらない。
「何をこの期におよんで、見苦しいぞ」
「そんなクレームを付けられたかて、知らないものは知りませんよ」
「こちらは訴えてもいいんだぞ」
「訴えるのは自由ですけど、きちんと証拠を確認しておいたほうがええと思いますよ」
アキリオスは自信たっぷりに傲岸に告げる。
「わかった。そこまで言い張るなら、任命書のサインと印影を確認しよう」
おっちゃんは、怒るアキリオスを連れて、ホメロスがいる寺院に出向いた。
「ホメロスはん。ちと、お願いがある。わいがこの村に来た時に提出した任命書を見せて」
ホメロスが浮かない顔で訊いてくる。
「文書には保管義務があるので取っておいてありますが、どうしました」
「何か、猊下がこの村の解呪の井戸水を売る契約書にサインしたらしんや。せけど、わいは、何も聞いてないねん。でも、契約書には教皇庁のサインと印があるねん」
ホメロスは険しい顔で同意した。
「それは奇妙ですね。いいでしょう。すぐに持ってきて、比べてみましょう」
ホメロスが持って来た任命書のサインと押印は、アキリオスの持って来た契約書にあるものと同一に見えた。
「あれま、これは一緒やな。どういうこっちゃ?」
「ほれ見たことか」とアキリオスが勝ち誇った顔をする。
だが、ホメロスが渋い顔で意見する。
「まだ、わかりませんよ」
ホメロスが聖印を両手で持ち、何らかの魔法を唱える。すると、おっちゃんの任命書のサインと印影が赤く仄かに光った。
だが、アキリオスが持って来た契約書のサインには変化がなかった。
ホメロスが渋い顔をして見解を述べる。
「法王庁の公式な文書には偽造防止のために、特殊な魔法のインクが、使われているのです。このように、本物の文書は特殊な魔法により光ります。ですが、偽物は光りません」
アキリオスの顔に狼狽の色が滲んだ。
「う、嘘だ。契約書を貰った時に僧侶が一緒にいた。僧侶が魔法を唱えた時に、文字は確かに光ったんだ」
ホメロスが暗い表情で教えてくれた。
「おそらくそれは、法王庁で使っているのとは別の魔法のインクだったのでしょう」
(アキリオスはん、詐欺に遭ったんか。お気の毒やな。分けられるものなら、解呪の井戸水を分けてあげたい。せやけど、今はウチの村で使うだけで精一杯や。とても分けてはやれん)
アキリオスは、おっちゃんに縋るような視線を向ける。
「でも、契約の前にも、おっちゃんは何度も家に足を運んでいるんだ」
「それ、偽者ですわ。わいがハレハレ村に行ったのは挨拶に行った一回きりですわ」
アキリオスは狼狽して叫んだ
「そんな、馬鹿な話が、あるか!」
「ホメロスはん、『嘘発見』の魔法を使える?」
「ええ、使えますよ」とホメロスが真剣な顔で『嘘発見』を唱える。
おっちゃんがハレハレ村に行ったのは一回だと申告する。
ホメロスが気の毒な顔をしてアキリオスに声を掛ける。
「神はおっちゃんが嘘を吐いていないと、仰っております。それに私も、ずっと村にいました。ですが、おっちゃんは、ここしばらく村から出ておりません」
「何だと、ということは……」とアキリオスの顔が蒼白になった。
「アキリオスはん、誰かに騙されたんやな」
アキリオスは契約書を持って、項垂れて帰って行った。
おっちゃんは二通の手紙を書いた。一通は猊下にことの次第を報告する手紙、もう一通は、冒険者を急ぎで派遣してくれるよう頼む手紙だった。
【更新停止のお知らせ】
諸事情により『おっちゃん冒険者の千夜一夜」の更新を休止します。
2018年10月1日には再開できると思います。




