第五百十九夜 おっちゃんと『シャンナムの写本』(前編)
おっちゃんは市長舎で、エンニオとターシャと会議を持つ。
「ミノタウロス族と和睦は成立した。これは、ラウラはんが動いてくれたからや」
ターシャが、穏やかな顔で同意する。
「そうらしいわね。間に入ってくれた飛翔族からも、ラウラ女王陛下の貢献が大きい、と聞いたわ」
「このまま、何もしないわけにはいかんやろう。ラウラはんに贈り物をして関係を固めておいたほうがええ」
エンニオも柔和な顔で同意する。
「ラウラ女王陛下に贈り物をして謝意を示す行動には賛成だ」
「ラウラはんの趣味は、わからん。でも、王の館には彫刻が、いっぱいあった。美術品はこの街の名産や。美術品を贈ろう思うが、この街の最高傑作って何?」
エンニオが冴えない顔で告げる。
「この街の最高の美術品は、ルシウスの銀の棺だ」
「人の棺桶かあー、微妙なとこやなあ」
ターシャも渋い顔で教えてくれた。
「ルシウスは街の英雄よ。でも、過去の戦いで、ミノタウロス族を多く討ち取ったわ」
「もしかして、ルシウスの棺に使うとる銀って。ミノタウロスからの略奪品か?」
「そうだ」とエンニオが暗い顔で告げる。
「英雄が手に入れた品なら、返すには、街としては抵抗があるなあ」
エンニオが困り顔で意見を述べる。
「もし、ルシウスの棺桶を渡すのなら、簡単にはいかない。議会の承認がいる」
「棺は止めたほうがええかな」
ターシャが難しい顔で教えてくれた。
「そうとも判断できないわ。前に来たカイロスさんたちが、王の遺骨を納める棺を探しているって、飛翔族経由で情報が来ているわ」
「なら、哀悼の意を表す手紙を付けて、王様の棺に相応しい棺をラウラはんに贈ろう」
「そうね、私のほうで動いてみるわ」
七日後、高名な芸術家の作品である大理石の棺が、市により買い上げられた。
棺はミノタウロス族に贈られる流れになった。
おっちゃんが輸送隊を先導して、棺をダイダロスの関所に運ぶ。ミノタウロス側の将校に棺を引き渡す。
「ラウラ女王陛下が王に相応しい棺を探していると聞きました。棺と手紙を贈らせてください」
将校が厳かな顔で頷く。
「クランベリー市からラウラ女王陛下への贈り物、しかと受領しました」
誰もが口にしなかったが、これで戦争は終結したとの空気が場に流れた。
街に帰って市長舎に顔を出す。
「只今、戻りました。ミノタウロス族は棺と手紙を受け取りました」
エンニオがほっとした顔で述べる。
「やっと、愚行の精算が終わったな」
エンニオが明るい顔で、ターシャに礼を述べる。
「ターシャさん。おっちゃん、ありがとうございました。街の経済は復活して、ミノタウロス族との紛争も、解決しました。ありがとう」
ターシャが微笑んだ顔で応じる。
「私も頼まれた依頼を果たせて、ほっとしております」
エンニオは、にこにこ顔で告げる。
「ターシャさんとおっちゃんさんには、助けられました。助けてもらったお礼がしたい。この街にあるものなら、何でも差し上げたい。何がよろしいですかな?」
おっちゃんと顔を見合わせたターシャは、明るい顔で頼む。
「なら、クランベリーの街にある『シャンナムの写本』を下さい」
「わいの分はええから、ターシャはんに『シャンナムの写本』を上げて」
「聞いた覚えのない品ですが、いいでしょう。街の人間が総出で探しましょう」
翌日から街で、『シャンナムの写本』探しが始まった。
捜索場所は魔術師ギルド、図書館、各ギルドの文書庫、市長舎と手広く探される。だが、手懸かりは、なかった。
「おかしいのう。こんだけ探して噂もないって、本当にクランベリー市にあるんやろうか?」
ターシャは厳しい顔で断言する。
「お母様の見立てにまちがないわ。必ず写本はあるわ」
十日が過ぎたある日、赤い僧服を身に纏った白髪の老司祭が宿屋に訪ねて来た。
老司祭は綺麗に髭を剃った、小柄な男性だった。おっちゃんとターシャが応対に出ると、老司祭は和やかな顔で告げた。
「私は大地の神を信奉する寺院の司祭で、マルッコと申します。実は当寺院の壁に、昨日から文字が浮き出ているのです」
「どんな文字ですか?」
「『シャンナムの写本』の半分は、街で最も価値のある場所に眠ると書いてありました」
「文字を見せてもらっても、ええですか?」
街の西地区に一軒の古い白い教会が建っていた。
教会は周囲が六十mほどの三角屋根を持つ長方形の建物だった。教会に入ってマルッコが礼拝堂の白い壁を見て固まる。
マルッコは狼狽えた様子で壁を触る。
「おかしいな? 教会を出ると時は、ここに確かに文字が書いてあったのに」
おっちゃんも壁を見るが、誰かが消した痕はなかった。
「時間で消える魔法のインクか、何らかの条件が重なった時にのみ浮かび上がる仕組みやったんやろうな」
「でも、半分はと書いてあるとするなら、写本は二つに分かれているはず。もう、半分を示す手懸かりは、どこにあるんやろう」
おっちゃんは街の地図を思い返す。
「ここから反対側に何か重要な建物はないしな」
マルッコが神妙な顔で答えた。
「実はこの教会と通りを挟んで南側に古い教会がありましたが、今は酒場になっています」
「そうか。なら、行ってみるか」
マルッコに従って歩いて行くと、路地裏に縦長の酒場があった。
酒場は派手なピンク色で、壁には裸の女性の絵が描いてあった。
マルッコが驚いた顔で嘆いた。
「何ということだ! 教会が、いかがわしい酒場に変わっている」
「わからんでもないわ。ここは、立地が悪い。ちょいとばかりいかがわしい店でないと、客も来ん」
店の中から人の気配がしたので、おっちゃんは扉をノックした。
扉が開くと、先日おっちゃんの部屋に侵入した、褐色肌の女性が出て来た。
「珍しいところで会いましたな。ずいぶんとお元気そうで」
褐色肌の女性は嫌がらずに、軽口を叩く。
「ここまで来たところを見ると、『シャンナムの写本』に近づいているようね。いいわよ、寄ってく?」
マルッコは入るのが嫌そうだったので、マルッコと別れて店に入った。