第五百十夜 おっちゃんと過剰接待
美術コンクールは三日間に亘って行われる。三日間で最もよく売れた芸術家が優勝になる。一番売れた作品の値が大きく上がるとあって、美術商たちの見る目は真剣だった。
あまりにも金に主眼を置いた美術コンクールなので「美の精神は金にも優る」と公言して不参加を表明する芸術家もいた。
でも、おおむねコンクールには好意的だった。
(芸術家といえど霞み霧を喰うて生きている訳やない。作品が売れんことには生活できんし、次の作品にも取り掛かれん)
実施本部におっちゃんは役員として詰めていたが、仕事はなかった。一日目の日が沈むと集計になり、夜に売り上げの収入を銀行家が報告に来る。
美術品の売り買いは現金で行われず、為替手形で取引をしていた。取引の間に銀行家を入れることで不正を防止していた。集計結果を銀行業界の代表のジーノが持ってくる。
ジーノは今年で五十になる小柄な男だった。頭はすでに禿げているが、立派な顎鬚を生やしていた。ジーノは小奇麗なクリーム色の服に緑の肩掛けをして、ベレー帽に似た緑の帽子を被っている。
ジーノが笑顔で、売り上げを纏めた紙を出す。
「初日から大きな金額が動いていますね。銀行業としても、活発に商いが行われて嬉しいかぎりです」
おっちゃんは集計表を確認する。
「これで、美術商の倉庫に貯まっている美術品が捌けて、芸術家が新作を作れるようになってくれると、ええんやけどな」
ジーノが微笑んで同意する。
「そうですね。美術商も新作を買おうにも、倉庫に美術品が溢れていては、新作を買い入れても、置く場所がないですからな」
集計表を金庫にしまって、市長舎を出る。
美術商と思わしき、六人の集団が待っていた。
「おっちゃん様、お待ちしておりました。このあと、飲みに行きませんか? もちろん、飲み代はこちらで負担します」
(来たで。接待攻勢や。売り上げは銀行協会のジーノの眼があるから、誤魔化せん。なら、わいに手心を加えてもらおうと思うとるんやな)
「駄目やで、そんな手を使ったら。集計結果は動かんで」
男たちは顔を見合わせる。集団の一人の男が、ぎこちない笑顔で切り出す。
「そんな、不正をしようと考えているわけではないんです。ただ、現時点での情報が知りたい。誰がどこの順位にいるか、おっちゃんさんなら、わかるでしょう」
(なるほど。誰の作品を売れば、誰を勝たせられるか、知りたいんやな。受賞者の作品は値上がりする。場合によっては大金が動く美術コンクールやから、気持ちはわかる)
「それは、わかっとる。けど、わいの口からは教えられん。皆さんができるのは、いかに多くの芸術家の作品を売るか、だけや」
「そう言わずに」と集団の一人が懐柔しようとするので、おっちゃんは走って逃げた。
「待ってください」と男たちは追いかけようとした。
だが、現役の冒険者のおっちゃんの足に敵うものはなく、おっちゃんは振り切った。
宿屋に逃げ帰る。人の目がある宿屋までは、さすがに男たちは追いかけて来なかった。
「ふー、何とか、無事に着いたの、女将さん、何か食べる物ある?」
タチアナが愛想の良い顔で応じる。
「ソーセージと煮込み、あと、白いパンならあるよ」
「それ、ちょうだい」
食堂に行くと他に六人の客がソーセージを片手に飲んでいた。
他の泊まり客の男たちが、こそこそと視線を向けてきていた。
(泊まり客は美術品を買いに来た商人か。わいがぽろっと何か零すのを聞き逃すまいとしておるね)
おっちゃんは警戒したが、タチアナが自然な口調で尋ねる。
「美術コンクールは変わった趣向だけど人気だね。誰が最有力候補なんだい」
宿屋の客の会話が止まる。
「あかん。いくらタチアナはんのお願いでも、これは教えられんわ。余計な話をすると、結果に影響する」
「そうかい」とタチアナは残念そうな顔で話すと、それ以上は訊いてこなかった。
ソーセージと煮込みを食べて部屋に行く。
部屋の扉の前に行くと、部屋の中から人の気配を感じた。扉を開けて、『光』の魔法を中に掛けると、ベッドの中に人が寝ていた。
おっちゃんは扉を閉める。ベッドの毛布がごそごそと動き、誰かがベッドに座る。
相手は上半身裸で褐色肌をした黒髪の、十八くらいの女性だった。女性は面長で切れ長の眼をしていた。顔には紫のアイシャドーをしている。
女性はにこやかな顔で明るく告げる。
「こんばんは、おっちゃんさん。美術商のドニーノさんからプレゼントです」
女性はベッドで右手を差し出して、おっちゃんを誘う。
おっちゃんは女性の笑顔の裏に潜む、微かな殺意を敏感に読み取った。
「なるほど。それで、わいが手を取ると、わいは死ぬわけやな?」
女性は屈託のない顔で保ける。
「もう、やだ、何を言っているんですか?」
おっちゃんは構わず『魔力の矢』の詠唱を開始した。
途端に女性が素早く後退して、よろい戸を体で押して、外に転がり落ちた。
窓の外をおっちゃんが見た時には、暗闇に走っていく女性の影が見えただけだった。
「過剰接待に見せ掛けた暗殺か。呪われた絵の件といい、何かが裏で動いておるのう」
おっちゃんはタチアナに頼んで、部屋を替えてもらった。
宿屋のロビーで待っていると、夜遅くにターシャが帰ってきた。
ターシャの部屋で暗殺未遂を話す。
「今日は過剰接待に見せ掛けて、暗殺されそうになりました」
ターシャは渋い顔で訊く。
「おっちゃんは暗殺未遂をどう考えるの?」
「さっぱりや。わいが死んでも、優勝者は出る。美術コンクールの妨害とは違う気がする」
ターシャは難しい顔で見解を述べる。
「もしかしたら、『シャンナムの写本』絡みかもしれないわね」
「何か知っとりますの?」
「『シャンナムの守護者』と呼ばれる集団が、『シャンナムの写本』を集めるのを妨害をしているのよ」
「となると、やはり、この街に『シャンナムの写本』はあるのかもしれんなあ」
おっちゃんは替えてもらった部屋の窓に魔法で施錠して、その日は眠りに就いた。