第五百三夜 おっちゃんと魔法文字
翌朝、ブルーノの許に魔法のインクを持って、ガラス工芸ギルドに行く。
「ブルーノはん、魔法のインクが、できたで」
ブルーノがインク瓶を見て顔を綻ばせる。
「何、本当か! よし、さっそく、工房で試してみよう」
向かいの工房に行く。冷却室で機械の羽を外し裏返す。
ブルーノがおっちゃんにインクを渡して期待する顔をする。
「さあ、ここに消えた魔法文字を書いてくれ」
「書いてくれって言われても、文字がすっかり消えていたんで、何が書いたあったか全然わからんよ。写しとか、ないの?」
ブルーノが親方の顔を見るが、親方は首を横に振る。
「いつもは完全に退色する前に上から塗っていたのですが、今はもう完全に消えちまっていて、何て書けばいいか、わかりません」
「他の工房で、文字が残っている羽はないの?」
親方が困った顔で告げる。
「捜せば、あるかもしれません。でも、期待は薄いですよ」
ブルーノは落胆した。
だが、おっちゃんは諦めない。
「そうか。なら、もう一工夫が必要やな」
ブルーノが淡い期待を滲ませて訊く。
「消えた魔法文字が、わかるのか?」
「何の魔法文字を書けばいいか、わかりません。せやけど、何を書いてあったか知る方法は、あります。この羽を借りても、ええですか?」
ブルーノが困惑した顔で尋ねる。
「それは構わないが、何をする気じゃ?」
「まあ、待っていてや。羽から文字を浮かび上がらせて、読んできます」
おっちゃんは帰りに市場でバケツと紙を買うと、港に行く。
港では漁師が、明日の漁に備えて網を手入れしていた
「少しでいいから、烏賊を売ってもらえませんか」
漁師は、ぶっきら棒に答える。
「こんな時間に来ても、新鮮な烏賊なんてないよ」
「新鮮やなくても、ええんや。墨袋が欲しいん」
「そうかなら、そこのバケツに入っているのを、やるよ」
おっちゃんはバケツから、ゴミ扱いになっている烏賊を四杯、分けてもらう。
宿屋に帰ると、おっちゃんは台所を借りて烏賊の墨袋を取り出す。烏賊の墨をバケツに取って、水で薄めて黒い液体を作る。
庭で木製の羽に烏賊墨を刷毛で塗ると、木の部分は水を弾かないので黒くなるが、魔法文字があった場所は、水を弾いた。
羽全体を烏賊墨で塗ると、文字が浮かび上がる。
羽に浮かび上がった文字の箇所を魔法のインクで塗り潰し、黒い羽を作る。
一度。乾かしてから、水で洗うと烏賊墨だけが落ちて、黒い魔法文字が書かれた羽が残った。
「よっしゃ。羽の復元は、完成や」
翌日に、ブルーノに会いに行くと、ブルーノが期待の籠もった顔で出迎えた。
「どうじゃった? 羽は復元できたのか?」
「ほれ、この通りや。あとは、実際に冷たい風が出るか、試してや」
ブルーノが興奮した顔で工房に行く。
「親方、羽が復元できたかもしれん。奥の工房を借りるぞ。ああ、あと火を熾してくれ。実際にガラスを冷やしてみる」
ブルーノ、親方、おっちゃんが作業室に入る。
親方が火を熾す傍ら、ブルーノが機械に羽を取り付ける。おっちゃんが機械のスイッチを入れると、羽が回転して風が出た。
風を浴びたブルーノが驚いた顔をする。
「そう、この風じゃ。急速に熱を奪う冷たい風が戻ってきた」
親方も恐る恐る風を手に当ると、晴れやかな顔でブルーノを見る。
「ブルーノさん、この風、行けるかもしれません」
親方が真っ赤に熔けたガラスを吹いて、グラス状のガラスを作る。
親方とブルーノが見守る中、グラスに機械から吹く風を当てる。真っ赤なグラスは急速に透明になった。
鋏のような器具でガラスを切る。親方が金属のバケツを持って来た。
ブルーノは冷えたグラス思いっきり、バケツに投げ入れた。
ガラスが割れる音がする。ブルーノがバケツを覗き込み、顔を輝かせる。
「ガラスが大きな破片になっていない。粉々に割れている。強度の強いガラスができた」
ブルーノは歓声を上げると、親方と手を取り合って喜んだ。
「よかったでんな。ほな、羽の再生法を教えますわ。難しい作業は、あらへん」
おっちゃんは魔法のインク、烏賊墨、水を使って魔法文字を書く方法を伝授した。
ブルーノが方法を聞いて、一唸りする。
「なるほど、そんな方法があったのか。賢者の知恵とは、真に有り難いものじゃ」
「魔法のインクは、まだ絵が何枚かありますから、もう一瓶くらいなら、作れます」
ブルーノが不安な顔で尋ねる。
「でも、その魔法のインクを使い切ったら、どうすればいい?」
親方も心配した顔で、おっちゃんの答を待っていた。
「とりあえずは、もう一瓶あれば、二年は保つやろう。その間に、街がミノタウロス族との関係を修復してくれるように働き掛けたら、ええ」
ブルーノが真剣な顔で請け合った。
「わかった。ガラス工芸ギルドは、ミノタウロス族との関係修復に、力を入れよう。結局は、それがガラス工芸ギルドのためになるのだ」