第五百一夜 おっちゃんとガラスの秘密(後編)
受付の男は、おっちゃんを応接室に通した。
応接室は、二十畳ほどの広さの部屋だった。ソファーと樫のテーブルがあるが、調度品はない。辛うじて、本棚があり、部屋の主の机と椅子があるだけだった。
部屋には七十歳くらいの白髪の老人がいた。老人は面長の顔をしており、髭はない。ただ、眉は太かった。
格好はオレンジ色のシャツに、オレンジ色のズボンを穿き、茶の革靴と質素な服装をしていた。
老人が目を細めて、おっちゃんをじろじろ見る。
受付の男性が老人を紹介する。
「こちらが、ガラス工芸ギルドのギルド・マスターのブルーノ親方です」
「わいは、ターシャさんの助手でオウルいうものです。皆から、おっちゃんの愛称で親しまれています」
ブルーノは納得した顔で端的に告げる。
「なるほど。確かに、おっちゃんだな。それで、ご用件は何かな」
「とりあえず、どうぞ」とブルーノが幾分か表情を和らげて、手でソファーを勧める。
受付の男はここで退出した。
おっちゃんは正直に訊いた。
「街のガラス製品の質が落ちとると、悪評が立っています」
「それで?」とブルーノが渋い顔をして先を促す。
「街のガラス製品の質を元に戻したい。それで、クランベリーの割れ難いガラス製品の秘密を教えてください」
ブルーノが顎に手をやって、目を細める。
「本来なら、教えたくないな」
「秘密にしても、無駄ですわ。腕の良い職人の解雇が起きてますやろう。このままやと、職人の流出が起きます。そうなれば、秘密は漏れますわ」
ブルーノは眉間に皺を寄せて、苦渋の顔を浮かべる。
「職人の流出が起きる、か。親方たちには、組合員を解雇しないように通達を出していたんだがな」
「通達を出したかて、景気が良くなるわけではない。雇用は深刻な局面を迎えています」
ブルーノが渋い顔で教えてくれた。
「わかった。秘密を教えよう。クランベリーの割れ難いガラスは冷却工程に秘密がある」
「どんな方法で冷やしているんですか」
「魔法の冷却用小型風車で、風を当てて冷やす。すると、急速にガラスが冷えて、割れにくいガラスになるんじゃ」
「その風車に、異常が起きたんですか?」
ブルーノが険しい顔で、苦々しく告げた。
「風が温くなった。結果、思うように冷えず、普通のガラスと変わらない強度になった」
「その風車を見せてもらって、ええですか?」
「従いてきなされ」とブルーノは、おっちゃんを誘って、外に出た。
ギルドの向かいには、周囲が六十mほどの二階建ての石灰塗り工房があった
ブルーノは工房に入っていく。
「ごめんよ。ちょっと、お客人に作業場を見せてくれ」
親方らしき人が、苦い顔で了承する。
「ブルーノさんの頼みなら、仕方ないな」
作業場の扉を開けると、壁にガラス吹く器具が掛かっていた。
床にはガラスを熔かす炉がある。だが、炉の火は消えていた。
炉から二mは離れた場所に七枚の羽が着いた、高さ百二十㎝の木製の扇風機のような機械があった。
ブルーノが真剣な顔で、機械を指差す。
「あの装置で風を当てると、ガラスは急速に冷える」
おっちゃんは、装置に見覚えがあった。
(何や。ダンジョンで使っている冷房機器の一種やで)
おっちゃんが機械のスイッチを入れると、風が出る。
風は涼しいが、普通の風だった。
おっちゃんは機械を止めて木製の羽の裏を見る。そこには何も書かれていなかった。
「これ、駄目ですわ。冷たい風を送るのに必要な魔法文字が、羽から消えてます。これだと、冷たくならん」
ブルーノと親方が驚いた顔で顔を見合わせる。ブルーノが感心した顔で声を上げる。
「よくわかったの。その魔道具の仕組みが」
おっちゃんは羽の具合を確かめる。
「他に問題はないようですな。これ、羽の裏に文字をまた書き入れてやれば、元に戻りまっせ」
ブルーノが困った顔で説明した。
「実は魔術師ギルドの魔術師に見せて、同じ話をされた」
(何や。わいに仕組みがわかるか試したんか。でも、これなら問題の解決は簡単やで)
「そうなん? なら、ならんで直さんの?」
ブルーノが苛立った顔で、腹立たしげに告げる。
「直さんのではない。直せないのだ。魔法文字を書くインクが手に入らない」
「以前はどこで手に入れてましたん?」
ブルーノがむっとした顔で内情を明かした。
「前は『鋼骨王の鍛冶場山』から出た。だが、ダンジョンが枯れて、手に入らなくなったんじゃ」
「魔法文字用のインクって、そんなレアな品やないよ。買ったらええやん」
ブルーノが驚いた顔で、上擦った声を出す。
「どこで、売っているんじゃ、そんなもの?」
「手広く品を扱っている異種族の商人からなら買えますよ。ここって、大きな湖とか河って、ないの?」
ブルーノが怪訝な顔で質問する。
「湖や河に商人がいるのか?」
「湖や河に商人はいません。せやけど、東大陸なら水脈を利用した物流がある。せやから、水脈の近くにいる異種族の商人に頼めば、仕入れられますわ」
ブルーノが顔を顰めて、苦々しく発言する。
「大きな湖はある。だが、そこは、ミノタウロスの街の隣だ」
「あいたたた。それは、まずいですわ。先日、戦争を仕掛けた街に、代わりに品物を買ってきてくださいとは、頼めんわなあ」
ブルーノが、いきり立った顔で悔いた。
「もっと早くにわかっておれば、戦争を何としてでも止めたのに」
「もう起きてしまった戦争を嘆いてもしかたない。何か考えますわ」
ブルーノが驚いた顔で問い掛けてくる。
「どうにか、できるのか?」
「できるも何も、それが仕事ですから」
ブルーノは礼節の籠もった顔で頭を下げた。
「よろしく頼む」