第四百九十八夜 おっちゃんとダイダロスの関所
ある晴れた夏の昼下がりのこと。高さが十五m、幅五mの石壁を挟んで武装した人間と武装したミノタウロス族が戦っていた。
ミノタウロス族とは、牛の頭と屈強な人間の体を持つ種族である。肌の色は白、茶、赤、黒と四種類がいる
ミノタウロス族の中に身長が三m、革の兜を被り、革鎧を着ているトロルがいた。
トロルの年齢は四十六と行っており、おっちゃんと名乗るトロルだった。おっちゃんはミノタウロス族側の傭兵として参加していた。
ダイダロスの関所にある石壁の上と、向こう側では激しい戦闘が行われていた。石壁を挟んでミノタウロス側の関所にいるおっちゃんのいる場所にも、矢は飛んで来ていた。
おっちゃんの仕事は、岩をピッケルで適度な大きさに割って、木箱に詰める係だった。
ミノタウロス族の兵士が険しい顔をして空の木箱を持って走ってくる。兵士は怪我をしていたが、木箱を置くと、辺りを見渡す。
岩の入った箱がないと苛立った口調で催促する。
「おい、岩はまだか。早くしてくれ。人間が壁を越えるぞ」
岩割り係のミノタウロス族のリーダーが怒鳴る。
「さっきから、全力で割っているよ。こっちも人が足りないんだ」
大きすぎる岩は城壁の上から落とすにしても、投石機に載せるにしても、不向きだった。
使うためにはある程度の大きさに岩を割らねばならない。
戦いの前にも適度な大きさの岩のストックはあった。だが、戦いが始まると、みるみる減って行き、岩のストックは底を突いた。
(さすがに、三時間も岩を割っていたら手が痛いで。せやけど、泣き言を零してられん。壁を越えられたら、白兵戦になる)
おっちゃんは割った岩を木箱に詰める。
兵士は時間が惜しいとばかりに、すぐに木箱も担いで走りに移動した。木箱に岩を詰めている間にも、二人目、三人目と空の木箱を持って岩を求める兵士がやってくる。兵士の顔は皆、苛立っていた。
ペポーペポーと、ラッパが鳴る合図が響き、歓声が聞こえてきた
「何や、このラッパの音? まさか、人間側に壁を越えられたんか?」
岩割り班を指揮していたリーダーのミノタウロスが安堵した顔をする。
「いや、違う。これは、人間側が撤退した報を知らせるものだ。防衛成功だ」
石割班だった兵士六人がピッケルから手を離して、疲れた顔で現場に座り込んだ。
おっちゃんたち傭兵部隊は戦場の後片付けに借り出された。
厚い石壁の向こう側には城壁から投げ落とした無数の岩が転がっていた。石壁の下には登ろうとして失敗した人間の死体が散乱していた。
五日後、夕方まで片づけをして、配給されたパンを食べていた。
ミノタウロス族の傭兵隊の指揮官が、真剣な顔をしてやってくる。
「人間の部隊は街まで退却した。戻ってくる気配もない。傭兵隊は報酬を受け取って解散だ」
一緒に食事をしていたトロルの傭兵が、むっとした顔で質問する。
「人間の街に攻め入らなくても、いいんですかい?」
指揮官は難しい顔で答える。
「街を攻めるには準備が不十分だ。下手に人間の街に手を出して、戦線を拡大しないとの判断でもある」
翌朝、おっちゃんは支給された鎧兜を返して、報酬の金貨三枚を受け取り、ダイダロスの関所を後にする。
(さて、人間が攻めてくる一報を入れて、防衛を成功させるミッションには成功した。そんじゃ、次はターシャはんを救いに、街に戻るかのう)
ダイダロスの関所から充分に離れた場所にある野生のオレンジの林で、おっちゃんは裸になる。おっちゃんの体は、みるみる縮んで人間に姿を変えた。
おっちゃんは人間ではない。『シェイプ・シフター』と呼ばれる、姿形を変化させられる能力を持ったモンスターだった。
おっちゃんは、脇に抱えていたバックパックから人間の服を取り出して着替える。軽装革鎧を着て、革手袋して靴を履く。最後に腰に剣を佩いて冒険者の格好になる。
「人間の側にまるで大義がない戦争やった。やはり戦争は好かんな」
おっちゃんは『瞬間移動』を唱えて、クランベリーの街の近くに飛んだ。おっちゃんは魔法が使えた。どれほどの腕前かといえば、小さな魔術師ギルドのギルド・マスターが務まるくらいの腕前だった。
二十分ほど歩くと、人口三万五千人のクランベリーの街が見えてきた。クランベリーの街は高さ十二m、厚さ三mの城壁を持つ。城壁は海に面した東側以外をすっぽりと囲う、立派なものだった。
街の南門から三百m離れた小高い丘の上には、高さ三十mの灯台があった。
クランベリーの街の西門から五分のところに二年前まで『鋼骨王の鍛冶場山』と呼ばれるダンジョンの入口があった。
ダンジョンにはダンジョン・マスター『鋼骨王ギール』がいた。だが、ギールは三年前に冒険者に討たれ、ダンジョンは廃墟となっていた。
廃墟の近くには寺院が管理する、壁に骨を埋め込んだ大きな納骨堂があった。納骨堂は芸術家のダミアーノが設計したものだった。ダンジョンで死んだ者の遺体は街に戻らないので、納骨堂はもっぱら民間用である。
南門を潜ってすぐの場所に、石造りの長方形の、二階建ての白い石灰塗り建物がある。クランベリーの冒険者ギルドである。クランベリーの冒険者ギルドでは、一階が冒険者の酒場になっていた。
以前は宿屋を併設していたが、『鋼骨王の鍛冶場山』が攻略されて以来、廃業している。冒険者ギルドも、ダンジョンがなくなってからは寂れていた。
街は沈んだ空気が漂っていて、人も少なかった。
(何や? 街に兵士がほとんどいないで。戦争前とはえらい違いやな)
おっちゃんは冒険者ギルドから少し離れた場所にある、《真珠亭》と呼ばれる宿屋に向かった。
《真珠亭》は交易に来る商人向けの、ちょっとよい宿だった。だが、今は客足が遠のいて空いていた。
おっちゃんが《真珠亭》に顔を出すと、宿屋の女将さんのタチアナが出てくる。
タチアナは二十代後半の女性で茶色の瞳をして、赤い髪と白い肌をした小柄な女性だった。
赤い服にクリーム色のエプロン姿のタチアナが、心配そうな顔で出迎える。
「おっちゃん、どこに行ってたんだい? 心配したんだよ」
「戦争になりそうやから、逃げとった。また、お世話になります」
タチアナが不安そうな顔で告げる。
「おっちゃんは急にいなくなるし、ターシャさんは衛兵に連れて行かれるわで、心配だったんだよ」
「ターシャはん、戻って来ていますか?」
「今朝、戻ってきたよ。でも、用事があるって、出かけていったよ。明日には戻るって言い付かっているよ」
「そうですか。解放されたんやな。良かったわ」
タチアナは不安を隠さずに怯えていた。
「解放されたのはいいけど、ミノタウロス族に戦争を仕掛けちまっただろう。いつ、報復にミノタウロス族が動くか心配だよ」
「やってしまったことはしゃあない。でも、これで街は、もっと苦境に立たされますなあ」
タチアナが沈んだ顔で、苦しげに話す。
「本当だよ。街の三大産業が駄目になっちまったろう」
クランベリーは美術品、ガラス製品、武具の輸出の三大産業が街を潤していた。だが、今は三つとも、売り上げが落ち込んでいた。主要産業の落ち込みが、街の景気を冷やしていた。
「そうやね。そんで、起死回生を見込んだ戦争も、勝てんかったしな」
クランベリーは沈んだ景気の建て直しに、隣街のミノタウロス族が保有する大量の銀を見込んで戦争を起した。結果、街と街を隔てる関所すら越えられずに負ける結果となっていた。
タチアナは苦しげな顔で、苛立ちを口にする。
「もう、私は戦争なんか、最初から反対だったんだよ。これで街は不況の街から、存亡の危機の街になっちまったよ」
「そうやね。苦しい立場やねえ」
おっちゃんは風呂屋に行って身綺麗にすると、食事を摂ってその日は休んだ。




