第四百九十七夜 おっちゃんと絵の中の生活
おっちゃんはキヨコに作ってもらった農具を使い畑を耕す。山羊も飼い神殿での生活を始めた。
再びキヨコと過ごす生活に充実を感じていた。だが、どこかで物足りなさを感じる自分がいて、そんな自分がキヨコを裏切るようで怖かった。
海底神殿で三ヶ月が過ぎた。
おっちゃんがいつものように畑仕事をしていると、人の気配を感じた。視線を向けると、捩れた黄金の杖を持ち、紫のローブを頭から被った、小柄な人間がいた。
人間がフードを外す。相手は老婆だった。老婆は気味の悪い笑顔を浮かべていた。
(『サバルカンド大迷宮』のダンジョン・マスターやん。名前は、何ていうたかな?)
おっちゃんの心の内を読んだように、ダンジョン・マスターが口を開く。
「久しぶりだな、おっちゃん。儂じゃ。エイプリルじゃ」
(エイプリルいうんやな。初めて知ったわ)
おっちゃんは、エイプリルの姿に、心躍るものを感じていた。
「お久しぶりですなあ。今日は何のご用でっか。生憎、わいは今は隠居して、ここで生活しているんで、仕事は引き受けられまへん」
「今日はアプネに用があって来た。呼んで来てくれるか?」
おっちゃんは神殿の入口から声を掛ける。
「キヨコ。お客さんや。『サバルカンド大迷宮』のエイプリルはんや」
おっちゃんの背後でキヨコの声がした。
「エイプリル! 何で貴女がここに? それに、ダンジョン・マスターって、何の冗談よ?」
振り返ると、キヨコはエイプリルの前にいて、親しげに話し掛けていた。
エイプリルが「ひゃひゃひゃ」と笑う。
「お主は相変わらず、変わらんな」とエイプリルは微笑む。
キヨコが笑顔で談笑する。
「そういうエイプリルは、笑い方以外は随分と変わったわね。貴方、お茶を出してもらって、いいかしら?」
「ええで」と、おっちゃんは神殿の台所でお湯を沸かして、茶の準備をする。
「何や、キヨコにも友人がおったんやな。ダンジョン・マスターやけど」
「お茶が入りました」とお茶を持って行く。
二人は神殿の階段に腰掛けて、和やかに話をしていた。
エイプリルがお茶を手に、笑顔で語る。
「本題に入るとしよう。アプネよ、ここから出て自由に動き回れる体が欲しくはないか?」
キヨコがどんと構えた態度で訊く。
「それは欲しいわよ。でも、タダではないんでしょう?」
エイプリルが当然の顔で頷く。
「もちろん、有料じゃ。お主の旦那を貸してほしい」
「わいでっか? 何をさせる気ですか?」
「願いは二つある。一つは、クランベリーの街にある『シャンナムの写本』を手に入れて欲しい。もう一つは、クランベリーにいる娘のターシャを、助けてやってくれ」
おっちゃんは引き受けてもいいと思った。でも、キヨコを思って答えを出せなかった。
キヨコが明るい顔で気軽に発言した。
「いいわよ。ちょっと貴方、『シャンナムの写本』を取ってきて」
キヨコの言葉に驚いた。
「取ってきてって、ここから出ても、ええんか?」
「だって、『シャンナムの写本』があれば、私はここから出られるのよ」
「よう知らんけど『シャンナムの写本』なんて簡単に手に入るものやないの?」
キヨコは明るい顔で、励ますように発言する。
「かなり難しいと思うわ。でも、私の自慢の旦那様なら取って来られると思うわ」
(何や、キヨコのやつ、だいぶ明るくなったな)
「そうか、キヨコのお願いやったら聞かん訳にはいかんな」
キヨコは楽しそうな顔で、浮き浮きと告げる。
「私に体があればここから出て行けるわ。そうしたら貴方が自慢していたバサラカンドのニコルテ村や魔都イルベガンにも、行けるでしょう」
「よっしゃ! なら『シャンナム写本』を手に入れて、一緒に旅行に行こう。世界には、素晴らしい場所が、たくさんある。わいが見てきた素晴らしいものを、キヨコにも見てほしい」
キヨコが楽しげに発言した。
「期待しているわ。旦那様」
「なら、すまんが出かけてくる。山羊はエイプリルはんにやって。畑は放って置いてええから。畑は帰ってきたらまた作る」
(こうなれば、さっさと『シャンナムの写本』を手に入れて、キヨコと旅行や。そんで、美味しいものを仰山と食べて。綺麗なものをたんと見て、楽しい思いをたくさんしたろう)
心が踊るのがわかった。おっちゃんは浮き浮きとしながら農機具を納屋に仕舞う。
おっちゃんの心はまだ見ぬ、クランベリーの街の冒険に飛んでいた。
【バルスベリー編了】