第四百九十六夜 おっちゃんと白の寺院(後編)
着いた先は長い一本道だった。通路を十mほど進むとT字路になっていた。
右側を覗くと、半径二十五m、高さ十五mの空間があって、白い光に照らされた真っ白な丸みを帯びた寺院があった。
用心して寺院に近づく。寺院は古く壁は何度か塗り替えられた痕があった。
寺院の扉に罠が仕掛けてないか調べてから扉を開ける。自動で魔法の白い灯が点いた。
寺院の中には礼拝堂があった。明るいステンド・グラスを背景に、高さ二mの女神の像がある。
(女神像は無名作家の作品やな。さて、問題の絵は、どこやろう?)
寺院の壁には横五十㎝、縦四十㎝ほどの風景画がいくつも掛かっている。
(『白亜の頃に』と名が付くくらいなんやから、白い絵なんやろうな)
白い城を描いた絵と雪原を描いた絵はあった。だが、二点とも新しく、古き神の絵とは関連がないように思えた。
(絵はみんなダミーやな。とすると、正解はこれやな)
おっちゃんは『闇』の魔法を唱えて、寺院の光の魔法を消した。
寺院内の魔法の光が消えると、ステンド・グラスの一部が仄かに輝き出して、白い扉が浮かび上がる。
おっちゃんは『詩人の勲章』を首から提げて、ステンド・グラスに近づく。
浮かび上がった扉に触れると、強烈な光が視界を奪った。
三秒後には白い神殿の前にいた。神殿は半径二・五㎞ほどの円形の土地の上に建っていた。神殿は縦二百m、横百m、高さが十二mの大きさがあった。
地面から上を見上げれば、海面のような水の層が上に見えて、光が差し込んでいた。
水の層の上からは滝のように水が落下し、土地を囲んで高さ二十mの水の壁を作っていた。
水の壁と土地の間には幅が十mあり、土地の端から下を見るが底は見えなかった。
「何やここは? まさか、ここが女神アプネの海底神殿か!」
辺りをキョロキョロしていると、神殿から白い神官服を身に着けた人物が現れた。
神官の身長は百六十㎝。年の頃は四十代。赤みが掛かった肩まである黒髪。小麦色の肌。
細い眉と小さな口。ぱっちりとした大きな目。それに、安らぎを覚える柔和な顔をしていた。おっちゃんの奥さんのキヨコの姿がそこにあった。
おっちゃんは思わず叫んだ。
「キヨコ!」
キヨコは驚きの顔を浮かべて、すぐに神殿の中に駆け戻った。
おっちゃんは奥さんのキヨコだと思った。なので、後を追って、神殿の階段を駆け上がった。
おっちゃんは神殿の入口で叫んだ。
「キヨコ! わいや! オウルや。迎えに来た。一緒に帰ろう」
キヨコがどこかの柱の陰に隠れている気配がした。
「仕事にばかりかまけて、お前を放っておいたわいが悪かった。頼む許してくれ」
おっちゃんは人間の姿に戻ると、平伏して再度、詫びた。
「すまんかった」
キヨコの涼しげな声だけがする。
「残念ですが、私はキヨコではありません。女神アプネです」
「嘘や。なら、何で、隠れんるんや」
キヨコの息を飲む気配がする。キヨコが意を決した顔をして、近くの柱の陰から出てくる。キヨコは淡く光っていた。
キヨコの姿を見て感激のあまり、目に涙が込み上げてくるのを感じた。
「間違いない。キヨコや」
キヨコはおっちゃんを苦しそうに見据えて言い放つ。
「キヨコではありません。私は女神アプネです」
「なしてや? なして、そう頑なに否定するんや?」
キヨコは悲しさを隠すように、毅然とした顔をする。
「キヨコは死にました」
「嘘や!」
おっちゃんは走って行き、キヨコに抱きついた。
ところが、おっちゃんの体はキヨコを通り抜けて、そのまま転んだ。
何が起きたかわからなかった。
キヨコの眼から涙が零れ落ちる。
「もう、貴方は、私に触れることはできないのです」
「何が起きたんや?」
「私の体は死に朽ち果てました。もう、私は肉体のない魂だけの存在」
おっちゃんは、おそるおそるキヨコに近づく。キヨコの頬を撫でようとすると、手は体を通り抜ける。
「キヨコに触れられへん。訳を話してくれるか?」
キヨコと神殿の外に出て、階段に座って話す。キヨコは寂しげに語る。
「私の名は女神アプネ。古の時代に、唯一なる存在と契約を取り交わして、人間から女神となった存在です」
「なら、その女神様がキヨコと名乗ったんや」
キヨコは沈んだ顔で、心の内を話した。
「人間から女神になった私は、不完全な存在。私は老いから逃げられませんでした。だが、魂を別の体に移し変えることで、何世代も存在してきました」
「なら、何で、わいの前にシェイプ・シフターとして現れた?」
キヨコは辛そうに、しみじみと語る。
「私は長く生き過ぎました。女神となり目的を遂げ、私を祀る人間も滅びました。ストックしておいた体も、残り一体となった日、私は残された時間を過ごそうと、地上に出ました」
「そこで、わいと出会ったんやな?」
キヨコが寂しげに微笑む。
「そうです。そこで、私はキヨコとして貴方と出会い、結婚しました。ですが、私の肉体に残された時間は、少なかった。私は、別れを予感しました。魂だけになれば、私は、この領域から出られない」
「何や。だったら、相談してくれたら良かったんやで。ここかて過ごせば天国やろう」
キヨコは悲しみを帯びた顔で、ゆっくりと話す。
「でも、そうすれば、貴方を死ぬまでここに縛り付けてしまいます」
「そんなこと、気にしなくてもええのに」
キヨコは暗い顔で静かに考えを語る。
「いいえ。貴方はいずれ辛くなる。ここから出られない私を貴方は、いずれ捨てて行く。私は捨てられるのが怖かった」
「よし、わかった。なら、試してみよう。わいが、どこまでここの生活に耐えられるか。きっと、わいは死ぬまで耐えてみせる」




