第四百九十三夜 おっちゃんと飛翔族の村(後編)
アイス・ワイバーンが村にある厩舎の前で停まり、カカエルに次いで下りる。
先に出たイサベルとセサルは村に着いていた。セサルが優しい顔で尋ねる。
「私たちは先に着いたので、温かい飲み物などを頂いていました。おっちゃんも温まってから行動しますか?」
「わいのことなら心配無用や。まず、先に緑の寺院にいる院長に挨拶しに行こう」
おっちゃんたちはカカエルとルルッカに礼を述べる。
「ここまで、運んでくれてありがとう。緑の寺院ってどう行けばええ」
カカエルが気の良い顔で教えてくれた。
「緑の寺院は村の一番北にある、緑の屋根の建物がそうです。緑の屋根をしている建物はこの街では珍しいので、行けばわかると思います」
「そうか、ありがとうな」
おっちゃんたちは村の北側に向かった。
村は通りが大きく造られているので、迷う事態はなさそうだった。村の建物は石造りだが、家の半分にはガラス窓が採用されていた。
「民家でもガラスが使えるとは、裕福な村なんやな」
セサルが穏やかな顔で応じる。
「子供たちの顔も晴れやかで元気がいい。きっと、良い村なのでしょうね」
イサベルだけが慣れないのか、居心地が悪そうな顔をしていた。
「私は駄目ね、こういう場所は。冒険者生活が長すぎたのかもしれない」
三人で歩いて行くと、緑の円錐形の屋根を持つ、寺院が見えて来た。
寺院は鐘楼台を持つ、全周が二百mほどの、丸みを帯びた建物だった。
「お、あれが緑の寺院やな」
おっちゃんたちが近づくと、寺院の中から悲しげな音楽が流れて来た。
「何や、悲しい曲やな」
「まったくです」「そうね」とセサルとイサベルも同意した。
寺院の扉は開いていたので、礼拝堂の中を覗く。
だが、誰もいなかった。ただ、寺院の奥にある高さ一mの大理石の台の上に飾られた、緑色のリュートが独りでに曲を演奏していた。
「珍しいな。皆、どこ行ったんやろう?」
おっちゃんが不思議に思っていると、バタバタと人が走ってくる音がした。
院長と思しき、白く長い修道士の服を着た飛翔族の老いた男性と、三人の飛翔族の僧侶がやって来た。
飛翔族の一団はおっちゃんたちを見ると、目を見開いた。だが、すぐに、視線は音楽を奏でるリュートに行く。
院長が愕然とした顔で、驚愕の声を上げる。
「本当だ。災厄を知らせるリュートが鳴っている。大変だ。すぐに、村の重役たちに連絡だ」
三人の飛翔族の僧侶はすぐにどこかに走っていた。
「お取り込み中なら、また、明日に出直しますけど」
院長が険しい顔で、きつい口調で質問する。
「人間が何の用だ?」
おっちゃんは『詩人の勲章』を見せて、説明する。
「うちらは緑の寺院で調べ物をしたくて来た冒険者です」
院長は何かに気が付いたのか、表情を和らげる。
「人間の冒険者だと? 悪い。今は忙しい。とりあえず、そこら辺に座っていてくれ」
「出直してもいいですが」と口にすると、院長は怒った顔で指示する。
「いいから、座っていてくれ」
おっちゃんたちは顔を見合わせると、リュートの近くにある長椅子に腰掛ける。
「何か、トラブルの予感がするのう」
「まったくね」とイサベルが苦い顔で相槌を打つ。
おっちゃんはトイレに行きたくなったので、立ち上がった。すると、飛翔族の小坊主が通った。小坊主は十歳くらいで、クリーム色のローブに茶の修道士服を来ていた。
「すんまへん、お手洗いを貸してもらえますか」
「どうぞ、こちらです」と小坊主は気の良い顔で応じる。
トイレから帰ると、セサルとイサベルはいなくなっており、院長も姿を消していた。
「あれ? セサルはんと、イサベルはんは、どこに行ったんやろう?」
誰もいない礼拝堂に先ほどの小坊主が再び通り掛かったので訊く。
「ここにいた、人間二人はどこに行ったか、知らん?」
小坊主は済まなさそうな顔で答える。
「私も今ここを通り掛かったので、わかりません」
「そうか。そら、わからんな。ちょっと、ええ?」
小坊主が申し訳なさそうな顔をする。
「なんでしょう。私でわかる内容ならいいのですが」
「あの、独りでに鳴っているリュート。災厄を知らせるリュートって呼ばれていたけど、あれが鳴ると何が起きるの?」
小坊主は悲しそうな顔で告げる。
「あのリュートが鳴ると、決まって、もうじき、村に災いが起きるのです。それで、災厄を知らせるリュートと呼ばれています」
「何が起きるのかは、わからないんか?」
「はい」と小坊主が答えると、リュートの演奏が止んだ。
「あれ? 音楽が停まったで」
おっちゃんが不思議に思うと、どこからか、微かに詩が聞こえて来た。
「何や? 勇敢な詩が聞こえて来たのう」
小坊主の顔色が変わった。
「いけない。これは『戦の詩』だ。アイス・ワイバーンたちが凶暴になって騒ぎ出す」
小坊主がパニックになりそうになる。
「何やて? そうや、この寺院には鐘楼台があるやろう。案内してくれ。鐘の音で『戦の詩』を掻き消せんやろうか」
小坊主の顔が輝いた。
「こっちです」と小坊主が小走りに移動したので、従いて行く。
小坊主は寺院の中を通って、鐘楼台におっちゃんを案内した。
鐘楼台に鐘があった。だが、付いていたロープは小坊主の手には届かなかったので、おっちゃんが代わりに鐘を撞いた。鐘の音が夕暮れの街に響き渡る。
おっちゃんは二時間に亘って、一人で鐘を突き続けた。
二時間後に交替の僧侶が来たので、替わってもらう。
おっちゃんは小坊主に案内され、食堂に通された。
食堂に院長が入って来て、感謝の籠もった顔で礼を述べる。
「機転を利かせていただいて、ありがとうございました」
「ワイバーンの凶暴化は、防げたんか?」
院長が弱った顔で内情を語る。
「眠り薬入りの餌を与えて、ワイバーンは全て眠らせています」
「なら、朝までは凌げるやろう。そんで、根本的な対策はどうするつもりや?」
「流れてくる『戦の詩』を止めるしかありません」
「詩の流れてくる場所はわかったのか?」
院長は暗い顔付きで説明する
「細い山道を下った場所に、墓地があります。『戦の詩』は、墓地から流れて来ています」
「真冬の墓地で詩を歌うって、これは、人間や飛翔族の仕業やないな」
院長は曇った表情で予想を話した。
「墓地には伝説の詩人の八代弟子の一人、エクトルが眠っています。エクトルの墓で何かが起きていると思われます」
「誰かが確認に行ったんか?」
院長は静かに首を横に振る。
「墓地の上は不自然な強風が吹いています。飛翔族とて近づけません。アイス・ワイバーンなら可能ですが」
「墓地に近づけば、当然にアイス・ワイバーンは凶暴化するか。なら、上が駄目なら、下はどうや?」
院長は苦しい顔で解説する。
「道は雪が積もっているので、樏を履いてなら通れます。ですが、道は細く、一人が進むのやっとです」
「少数で下から攻めるしかないな」
院長は弱りきった顔でお願いしてきた。
「街の人間は狭い場所や、地上での戦いに、慣れておりません。勝手なお願いですが、墓場に入って『戦の詩』を止めてきてもらえませんか」
「ええで。ただし、条件がある」
院長は曇った顔で申し出た。
「できうる限りご要望にはお答えしたいのですが、当寺院は貧乏寺です」
「わいは緑の寺院での情報が欲しい。女神アプネの神殿を知るのが目的や。協力してくれるなら、こっちも助力を惜しまん」
院長がほっとした顔で了承した。
「わかりました。協力しましょう。イサベル殿も協力してくれるので、一緒に事件に当ってください」
「そんで、出発はいつがええ? 飯を喰ったらすぐがいいか?」
院長は幾分か表情を和らげて、教えてくれた。
「気象観測人の話では、夜明けからの三時間が最も気候が安定しているとの情報です」
「わかった。明日、イサベルはんと一緒に、墓地に行ってみるわ」
「お願いします」
院長との話が終わると、院長が退席して食事が運ばれてくる。
食事はパンとシチューにバルス鼠の焼き物だった。
食事が終わって、食後のミント・ティを飲んでいると、イサベルがやってくる。
イサベルが浮かない顔で告げる。
「話は聞いたわ。おっちゃんも行くんだって?」
「院長の協力がないと、わいの調べ物が進まん。しゃあないわ」
イサベルが諦めた顔で告げる。
「私も似たようなものよ。私は、ここの災厄を教えるリュートを借りたいから、協力を申し出たわ。もしかしたら、災厄を教えるリュートこそが、捜している品かもしれない」
「今回の仕事はわいとイサベルはんの二人で行くことになるが、それでええか?」
イサベルがしかたがないとばかりに承諾した。
「いいわよ。セサルは足が悪いわ。戦闘が予想されるところでは、足を引っ張るかもしれない」
「理解してくれて嬉しいで。ほな、出発前まで少し休もうか」
「そうするるわ」
おっちゃんは小坊主に部屋に案内してもらうと、鐘の音を聞きながら、軽く横になった。




