第四百八十五夜 おっちゃんと天国の住人
翌日、おっちゃんは、『帰還扉』の魔法で簡単に帰れなかった時の事態を考えて、食糧と水を準備する。
準備を終えると、魔法の絨毯を持つ冒険者に、声を掛ける。
「広場にある扉を潜るから、魔法の絨毯で運んでや」
冒険者の男は渋い顔をする。
「運ぶのはいいけど、あの扉を潜って帰ってきた奴らは、一組だけだぞ」
「なら、わいが、二例目になるわ」
おっちゃんは金貨を一枚、渡す。
「どうなっても知らねえぜ」と男は苦い顔で、おっちゃんを扉の前まで運んでくれた。
黄色の扉を開くと、先には昼下がりの背の低い草原が続いていた。
おっちゃんは扉を潜り歩き出す。草原はどこまでも続いていた。
「とりあえず、危険は、ないようやな」
おっちゃんは『物品感知』で靴を対象にした。ところが、魔法は働かなかった。
「さすが、天国やね。魔法がうまく働かん」
振り返ると、おっちゃんが通ってきた扉だけがある。
伝説の喉飴を舐めると、紙に書かれた『戸締まりの詩』を歌った。
詩が終わると、黄色い扉は揺らいで、消えた。
「さて、問題は、ここからやな」
おっちゃんは明るい草原の中に、独りきりだった。
どこに行くあてもないので、背の低い草原を、ただ真っ直ぐに進む。
日差しはちょうど良く、気温は心地よかった。
しばらく歩いていくと、白い物が草原の中を動く姿が見えた。
何やろう? と思って近づくと、羊だった。
羊の毛は綺麗な白だったので、飼われている羊だと思った。
「羊がおるのなら、羊飼いが近くにいるかもしれんな」
視界には誰も見えないが、声を出してみる。
「おおい、誰か、誰かおりませんか?」
「誰かをお探しですか?」
近くから、若い女性の声がした。声は、羊の方向からだった。
視線をやると、羊が立ち上がる。
羊は全員が白のもこもこの衣装を着た、人間の女性になっていた。女性の年齢は二十代後半くらい、顔は丸顔で瞳の色は緑だった。また、女性はピンクの髪と眉をして、白い肌をしていた。
(何や? 魔法か能力か知らんが、まったく、変身に気が付かんかった。これは、見事な変身の腕前やな)
「わいはおっちゃんの名で親しまれる冒険者です。ちと、道に迷ってしまいまして、困ってたところです」
「私の名はアルタ。目的地はどこですか? 天国ですか? 地上ですか? それとも、地獄ですか?」
「帰りたい場所は地上です。でも、ちと天国にも行けたら、行ってみたいんですが、入れますかね?」
アルタが残念そうな顔で、首を横に振った。
「昔、シルカベリーの街の人間が力押しで入ろうとしましたが、モグロドンにやられましよ」
(セサルはんの話していた通りやな)
「シルカベリーの街って、どこにあるかわかりますかな」
アルタは驚いた顔をして訊き返す。
「そんな街とっくになくなっていますよ。知ってどうするつもりですか?」
「古き神の女神アプネについて、知りたいんですよ。もしかして知っています?」
アルタは表情を曇らせて、言いづらそうに話した。
「知っていますけど、アプネは評判が良くないですよ」
「女神アプネを知っているんですか! どんな情報でもええから、教えてください」
アルタが冴えない表情で教えてくれた。
「アプネは元は人間でした。ところが、唯一なる存在と契約を交わして、古き神々の仲間入りをして、海の女神になったんです」
「元は人間でっか。大した出世ですな」
アルタは穏やかな顔で、世間話でもするかのように語る。
「でも、人間であったがゆえに、老いから逃げられませんでした。そのために、老いては体を交換していました」
(ミンダス島の女王の体は、交換用の体だったんやな。キヨコもアプネの交換用の体だったんやろうか? ほな、キヨコは今アプネの許におるんやろうか)
「今、女神アプネは、どこにいるか、わかりますか?」
アルタが澄ました顔で、平然と述べる。
「きっと、山の中にある海底神殿の中にいますよ」
「海の中にある、海底神殿やなくて?」
アルタがきょとんした顔で、端的に告げる。
「そうです。山の中にある海底神殿で合っていますよ」
(何や、意味不明やな。でも、きっと、それがヒントなんやろうな)
急に日が傾くと、夕暮れになった。
アルタの表情が曇った。
「まずいですね。夜の獣であるモグロドンが近づいています。私は羊になれるから襲われませんが、おっちゃんさんは、もう、ここを離れたほうがいいですよ」
「わかりました。情報、ありがとうございました」
おっちゃんは指輪を外すと、『帰還の扉』を発動させる。魔法は不安定ながら発動したので、おっちゃんは出現したマジック・ポータルに飛び込んだ。
強い光の先には、バルスベリーの街があった。
(以前、セサルはんは、シルカベリーの街の位置を調べると、山の中にあると教えてくれた。アルタはんも、山の中にある海底神殿と示唆しとった。もしかしすると、海底神殿は何らかの事情があって、山の中に転移したのかもしれんな)




