第四百六十夜 おっちゃんとバルスベリーの街
曇り空の下、灰色の岩がごろごろと転がる谷があった。その谷を一人の男がうろうろしていた。
男性の身長は百七十㎝。軽装の革鎧を着て革手袋を履いている。背中にはバックパックを背負い、腰には細身の剣を佩いている。
歳は四十六と、行っており、丸顔で無精髭を生やしている。頭頂部が少し薄い。おっちゃんと名乗る冒険者だった。
おっちゃんは茶色の物体が眼に入った。近づくと、錆びた金属鎧だった。
錆びた金属鎧には、淡く光る紫色の茸が生えていた。
「あったで、依頼票にあった毒酒茸や」
おっちゃんは、そっと、根元から茸を採る。茸から酒のような匂いがした。
腰に下げていた小袋に茸を入れる。茸を採取した直後に、そろそろと近づいてくる、蛇が地面を擦る音を察知した。
(まずいで。これは、『死の谷の女主』に気付かれたかもしれん)
おっちゃんのいる場所は、死の谷と現地の人から呼ばれていた理由は、谷に住む全長三mにもなる毒蛇のベムボルトがいるせいである。
中でも、『死の谷の女王』と呼ばれるゼナ・ベムボルトは、全長が十mもある。
ゼナ・ベムボルトの吐く毒液は、金も腐らせると伝えられ、危険で遭ったら生きては帰れないと噂される。
おっちゃんは気付かない振りをして谷を歩きながら、隠れられる場所を探す。
谷の隙間に一mの隙間を見つけた。おっちゃんは谷の隙間に飛び込んだ。だが、隙間は八mで行き止まりだった。
おっちゃんは小さな蛇の姿を念じて、まず小さな蛇になる。おっちゃんは人間ではない。『シェイプ・シフター』と呼ばれる、姿形を変化させられる能力を持ったモンスターだった。
小さな蛇になって服から抜け出ると、腹の膨らんだ全長四mのベムボルトに姿を変えて、装備品を腹の下に隠す。
変身を終えると、谷の隙間から大きな蛇の眼が見えた。
蛇は灰色で眼光が鋭い。顔の大きさからいって『死の谷の女王』だと思った。『死の谷の女王』は顔だけを隙間から覗かせて、おっちゃんをジロジロと見る。
おっちゃんは素知らぬ顔をする。
『死の谷の女王』は、残念そうな顔をして、去っていった。
(ふー助かったで。どうやら、獲物を追い込んだと思ったら、その先に同族がいて獲物を先に喰われたと思い込んでくれたようやな)
おっちゃんはベムボルトに姿を変えたまま、しばらく時間を置く。
頃合いよしと見てから、人間の姿に戻った。装備品を手早く回収し、着替えると、『飛行』の魔法を唱えた。
おっちゃんは魔法が使える。どれほどの腕前かといえば、小さな魔術師ギルドのギルド・マスターが務まるくらいの腕前だった。
空を飛んで死の谷を抜け、安全な山道に戻る。山道を四時間ほど進むと、下り坂になり、眼下に円形になった広大な盆地が出現する。
盆地の中心には石造りのバルスベリーの街があり、街の周囲には、収穫を終えたトウモロコシ畑が広がっていた。
バルスベリーはカルルン山脈に囲まれた盆地の上にある街だった。
人口は一万五千人と街の規模としては小さい。だが、伝説の詩人であるカルメロスが住んでいた街であり、有名だった。
また、街の北側の山には『熱狂詩人ベルポネデス』が住むダンジョン『詩人王の岩窟』がある。バルスベリーもまた、ダンジョン持ちの都市だった。
山道を下っていくと、収穫が終わったあとのトウモロコシ畑が広がっていた。
トウモロコシ畑を抜けると、高さ五m、厚さ五十㎝の城壁がある。
城壁は主に獣避けのもので、戦争を想定していない。城壁の外には、木の柵で囲まれた農家や納屋が立ち並んでいた。
城門はあり、衛兵がいる。だが、通り抜けは、ほぼ自由だった。
南の城門から入ってすぐのところにバルスベリーの冒険者ギルドがある。冒険者ギルドは周囲が百二十mほどで、長方形をした二階建ての石造りの建物だった。
一階が冒険者の酒場になっており、八十席がある。
ギルドの扉を潜り、依頼報告窓口に行く。
「ただいま、戻ったで。収穫があった。確認してや」
フードがついたクリーム色のワンピースを着た女性がやってくる。
女性の髪は短く青い。肌は健康そうな薄いオレンジ色をしている。眼は黄色みがかっていた。年齢は二十二歳。女性の名はローサ、バルスベリーのギルドの受付嬢である。
ローサは明るい顔で、元気よく声を掛けてくる。
「お帰りなさい。おっちゃん、今日の収穫はどうだった?」
「まずまずかな。なんか、淡く光る紫色の茸が採れたで。でも、転んで潰してしもうた」
毒酒茸だと告げずに、ぼかして発言する
おっちゃんは、ぺしゃんこになった小さな袋を見せる。
ローサは手袋とマスクをして、そっと袋の口を開けて中を見る。
「うわあ、見事に潰れているわね。でも、これは毒酒茸ね。採取依頼が出ているはずだわ」
依頼が出ている事実は知っていたがが、あえて知らないふりをする。
「ほんまか。なら、買い取ってもらえるんか?」
ローサが得意げな顔で説明する。
「知らないで採ってきたのね。これは毒酒茸っていって、そのままだと、強力な毒キノコなのよ」
「毒茸かあ、なら大して使い道がないな」
「でも、お酒に少量を混ぜると、強力な睡眠薬になるのよ」
ローサのした説明は既に知っていたが、ローサをおだてる。
「そうなんか。ローサはんは物知りやのう」
ローサが気を良くした態度で発言する。
「潰れているから、価格は低くなるけど、今すぐ量って、金額を出すわね」
ローサは瓶に毒酒茸を移して、重量を計算する。
「六十五gだから、銀貨三百九十枚。でも、形が崩れているから値引いて銀貨三百十二枚ね」
「そんなになるんか。薬になるっていっても、小さな茸やで」
「毒酒茸ってべムボルトの好物で、この付近だと死の谷を除いて、滅多に生えていないのよ。それに、茸一本でも薬が三十回分できるから、高値が付くのよ」
おっちゃんは死の谷から採ってきた事実を伏せる。
「そうか。それは、そこら辺で見つけたんやけど、ラッキーやったな」
おっちゃんは財布に金貨と銀貨を仕舞って、酒場に行く。
酒場の隅には、ガラスケースに入った年代物のリュートが飾ってあった。
給仕の男性に尋ねる。
「なんや、あのリュート? なんかの記念品か?」
給仕の男性が誇らしげな顔で堂々と語る。
「あれは、伝説の詩人カルメロスが使ったリュートですよ」
「なるほどのう。伝説のリュートか。うん? 待てよ。わいの泊まっている宿屋にもカルメロスのリュートが飾ってあったな」
「カルメロスのリュートは、街でお城に公認にされているものだけでも、七つありますね。非公認を加えると、カルメロスのリュートは街に五十あるといわれています」
「なんや。伝説の品だらけなんやな。どれが本物やろう」
給仕が苦笑いして教えてくれた。
「街では公認非公認と違いがありますが、古いリュートを手に、『これが、カリメロスのリュートである』と誰かが発言すると、否定しないのがマナーです。ですから、みんな本物と思って暮らしていますよ」
「なるほどのう。そのほうが争いが起きんくて、いいかもしれんな」
バルスベリーではトウモロコシから作られる酒のチチャが一般的である。「バルスベリーでは蛇や蛙までチチャを飲む」と言われるほど有名だった。また、バルスベリーではバルス鼠と呼ばれる鼠が、よく食べられる。
バルス鼠の多くはトウモロコシの収穫季節になると、よく畑にやってきて、トウモロコシ畑を荒らす。
だが、百姓にとってはこの時季は罠を仕掛けてバルス鼠を獲ることで、貴重な蛋白源と金銭収入を得ていた。なので、バルス鼠は単なる害獣ではなかった。
おっちゃんはチチャを飲みながら、バルス鼠から骨を外して肉を食べる。
バルスベリーでは、肉や魚は高い。でも、主食であるトウモロコシ・パンは安い。
肉や魚を食べなければ、日に銀貨二枚もあれば暮らせる。だが、肉好きのおっちゃんとしては、日に一度は肉を食べたかったので、一日の生活費は銀貨三枚だった。




