第四百十六夜 おっちゃんと豚骨不足
お師匠さんが剣の道を諦めた明後日の朝、自炊用の厨房から美味そうな臭いがした。
行ってみると、お師匠さんが鍋で何かを煮ていた。
「お師匠さん、何を煮ているんでっか?」
「猪の骨じゃ。本当は豚のゲンコツが欲しかったが、手に入らなかった」
おっちゃんは、昔の記憶を思い出す。
「もしかして、豚骨白玉を作ろうとしとりますか?」
お師匠さんは驚いた。
「なんじゃ、知っておるのか?」
「へえ、お師匠さんは生前によく作って皆に振舞っていました」
お師匠さんが不安そうな顔で訊く。
「そうなのか? 味はどうだった?」
「それは、美味かったですわ」
「そうか。できたら教えるから、食べに来い」
十二時間を掛けて猪の骨を煮込んでスープを作る。
できたスープに白玉と根菜と白髪葱を加えて、豚骨白玉は完成した。夕食におっちゃんは、豚骨白玉を食べる。
濃厚な出汁と白玉がマッチしたアツアツの料理を頂く。
「そうそう、これこれ、この味や」
リンダにも豚骨白玉が振舞われる。
「臭いがきついけど、癖になる味ね」
お師匠さんは腕組みをして、リンダに尋ねる。
「これ、売れると思うかね?」
リンダが困った顔をする。
「美味しいし、他にこの料理を出す店がないから当るかもしれないわ。だけど、食べ物屋は、やってみないとわからないところがあるから」
おっちゃんは意気込んだ。
「やりましょう。豚骨白玉。なんなら、わいが出資しますわ」
「そうか。なら、屋台を引いて商売するか。屋台の分だけ貸してもらえるか?」
おっちゃんは翌日に、屋台を造っている職人に注文を出した。
お師匠さんの豚骨白玉は当たった。
五日目には、人を雇ってスープを売らせるほどに売れた。
おっちゃんは、お師匠さんに追加融資を決めた。
お師匠さんはすぐに厨房となる店舗を借りて拠点を移す。スープの量産態勢ができると、問題が起きた。
お師匠さんが非常に苦い顔をして告げる。
「おっちゃん、困ったぞ。猪の入荷が止まった。スープができない」
「事業に出資している以上は他人事やあらへん。ちと、豚骨を探してきますわ」
骨のことなら、とゲンゲの店を訪ねた。
「ゲンゲはん。すまん。ちと相談に乗って」
「相談は骨に関することか?」
「豚骨が欲しいんやけど、どこかで大量に手に入らんかな?」
ゲンゲが渋い顔をして告げる。
「骨のことなら『冥府洞窟』の言葉がある。だが、大量の豚骨なんて、どうするんだ?」
「煮込んでスープを取る」
ゲンゲは渋い顔をする。
「それなら、『冥府洞窟』の骨は不向きかもしれないな。でも、大量に欲しいのなら、『冥府洞窟』しかない」
「そうか。イルベガンでは豚はあまり食べられないからな」
おっちゃんは『冥府洞窟』の屋敷に、商売の話を持って行く。
「すんまへん。『冥府洞窟』って、豚骨を売るほどありますか?」
対応に出た骸骨が答える。
「商売担当のザンカと申します。豚骨はあります。だけど、うちは売るなら荷馬車単位になるけど、いいかい?」
「荷馬車買いになる状況はええけど、ちと見本品を、いくつか貰えますか?」
「いいよ、ほら、持っていきな」
係の骸骨から豚骨を貰ったので、店に帰る。
豚骨を吟味したお師匠さんが、暗い顔で告げる。
「駄目だ。これでは質が低すぎる。味が変わってしまう」
「そうかー、品質が悪いなら、いくらあっても、駄目やな」
お師匠さんが難しい顔で語る。
「豚は畜産家と契約して生産してもらうとする。豚を輸入しても、繁殖から成長までは一年は掛かるだろう。この一年間の間、豚骨を輸入する手段が必要だ」
「一年分の豚骨か。難題やな」
おっちゃんは部屋で考える。
(ダンジョンで大量に豚を飼っているダンジョンはない。ダンジョン周りの食糧事情は地産地消が基本や。保存の利きづらい豚骨だけ大量に持っているところは、『冥府洞窟』くらいのもんや)
「とすると、人間から買うしかないか」
豚は西大陸のどこでも飼われているわけではない。人間側でよく豚を食べる地域はリッツカンド、ミストカンド、エルドラカンド、サバルカンドだった。
(サバルカンドのダンジョン・マスターは、冒険者ギルドのギルド・マスターと同一や。伝を辿って、豚骨が手に入るかもしれん。『サバルカンド迷宮』なら、イルベガンに屋敷も構えておる。屋敷があるなら、物流用マジック・ポータルかてある)
おっちゃんは、サバルカンド迷宮が所有する屋敷に行った。
「すんまへん。わいは、おっちゃんいうものですけど、ちとご相談があって来まして。ザサンはんと連絡を取りたいんやけど、お願いできますか?」
しばらく玄関先で待たされた。
すると、身長三mの半透明な男がやってきた。男の上半身は筋骨逞しい男性だったが、下半身は逆巻く風だった。
男は辮髪を後ろで縛って纏めおり、長い顎髭を生やしていた。サバルカンド・ダンジョンのナンバー二の、ザサンだった。
ザサンが明るい顔で話す。
「おう、おっちゃんか。久しいな。元気にしていたか?」
「ザサンはん。こちらにいらしてんですか?」
ザサンが威厳のある顔で答える。
「うむ。ダンジョン・サミットが行われるので、事前準備のためにやって来ていた」
「それは、好都合や。ちと、助けて欲しい」
ザサンは気のよい顔で話す。
「おっちゃんと儂の仲だ、なんでも相談してみろ」
「代金を金貨で払いますから、豚骨を一年間、サバルカンドから輸入できませんやろうか?」
ザサンが笑って答える。
「また、変った悩み事を抱えているな」
「へえ。恩人が豚骨白玉の店を出したんやけど、豚骨の供給が不安定で困っているんですわ」
ザサンが顎に手をやり、思案する。
「サバルカンドでは豚を喰うから、豚骨は市場に溢れている。でも、人間から集めて纏める仕事を考えると、手間だな」
「そこをなんとか、お願いできませんやろうか」
ザサンが気のよい顔で応じる。
「本来なら断りたいところだが、おっちゃんにはターシャ様の件で世話になった。いいだろう。豚骨の供給は『サバルカンド大迷宮』が担ってやろう」
「ほんま、助かるわー。この借りは、しっかりと覚えて起きます。またなにかあったら、言ってください。喜んで引き受けますわ」
かくして良質な豚骨は供給され、お師匠さんの豚骨白玉屋は人気となった。
お師匠さんは剣の道を捨てて、豚骨白玉屋の社長として第二の人生を歩む次第になった。




