第四百八夜 おっちゃんと謎の肉(後編)
おっちゃんは、リリンの肉屋に移動した。肉屋はまだ昼前だったので空いていた。
「こんにちは、リリンはん。ちょっと肉を仕入れたんで、見てほしい」
リリンが解体台の上に肉を載せて吟味する。
「部位はサーロインにヒレかい。いいところを持って来たね。でも、なんの肉だい? 猪でも、山羊でも、羊でもないようだね」
「なんか、わからん、二足歩行する恐竜の肉や」
リリンは表情を曇らせた。
「おっちゃん、その竜に翼はあったかい。翼がある竜の肉だと厄介だよ」
「翼はなかったのう。空も飛んでなかったし、走っていたで」
リリンが肉をじろじろと見ながら語る。
「そうか。なら、問題ないだろう」
「空を飛んでいたらなにが問題なん?」
「この街では、翼がある竜の肉はお上の許可を貰った専門店しか解体してはいけないんだよ。龍の肉に関しては、専門店でも解体してはいけない決まりがあるんだよ」
「そんな、決まりがあるんやな。でも、売ってはいけないじゃなくて、解体してはいけないって、妙な決まりやな」
「『火龍山大迷宮』が管理者の時にできた法律さ。でも、成立までには、いろいろの思惑が絡まって、売買ではなく解体に関する決まりになったんだよ。もっとも、こいつはすでに解体した肉だから問題ないんだろうけどね」
リリンが肉の一切れを切り取って口に放り込む。リリンが怪訝な顔をする。
「なんや? 不味いんか、この肉?」
リリンが明るい顔で告げる。
「不味いなんてことはないよ。いい肉だ。これは普通に焼いて食べるより、軽くスモークして食べたほうが旨いだろう。手間賃を貰えるなら、店頭で火を熾してスモークしてやるけど、どうする?」
「そうか、ステーキで食べてもうまい部位をスモークするのか。ちと贅沢やけど、そっちのほうが旨いならスモークしてもらうわ」
リリンの店先でスモークが始まる。おっちゃんが店先に座っていると、肉屋街の住人たちが見学にやってくる。
(なんや、食肉街で肉を燻すなんて珍しくもないやろう。なんで集まってくるんやろう?)
老いたウーリン族がおっちゃんに声を掛ける。
「店員さん、ちょっとその肉を試食できるかな」
「店員やないけど、少しでいいなら、あげますわ」
おっちゃんが肉屋でナイフを借りて、スモークしている肉を削ぎおとす。
ウーリン族の老人は顔を歪めて「美味い」と発言する。老人の「美味い」の発言を聞くと、見ていたウーリン族が一斉に「試食、試食」と騒ぎ出す。
(なんか、えらい事態になってきたで)
仕方なく、おっちゃんはスモークされた肉を削ぎ落とし、少しずつ住民に上げていく。
おっちゃんの肉の前に列が形成されていく。列は長く、規律のとれたものだった。ウーリン族はたとえ一切れの肉でも非常にうまそうにおっちゃんの持って来た肉を食べた。
(一切れの肉に仰山の人が群がる。これそんなに美味い肉なんかな?)
おっちゃんは気になったので、ヒレ肉の部分を切って口に入れる。肉はきめ細かく、味がしっかりしていた。それでいて、臭みがなく、力強い味がした。
(想像と違って、美味いことは美味いな。でも、よく肥えた牛や豚のほうが、美味い気がする。行列してまで食べたい味やろうか?)
おっちゃんはもう肉を諦めるつもりで、「試食」「試食」と騒ぐウーリン族に肉を切り分けていた。
すると、通りの向こうから、二足歩行する、鰐に似た種族のクロコ族の武人の男が歩いて来た。
クロコ族の武人は身長が二・三mで体重が二百五十㎏はありそうだった。胸当てに革のズボンを穿き、背中に鋸のような武器を背負っていた。
クロコ族の武人は、おっちゃんの横に来ると、ぴたりと足を止める。
ウーリン族が、潮が引くように散っていた。
クロコ族の武人が、スモークされている肉を見る。
「美味そうな肉だな。五㎏ほど売ってもらえるか」
「これは、売り物やないんですけど」
クロコ族の武人が憤然とした顔をする。
「おかしな言葉を言うな。ここは肉屋で、店頭でさっきウーリン族に試食させていただろう。なんで俺には売れないんだ」
「わいは肉屋の店員やなくて、肉を持ち込んだ者ですわ。軽くスモークしたら美味しいと教えられて、スモークしてもらっていたとこです。そしたら、食肉街の住民が試食、試食いうて集まってきて、しかたなく、肉を配ってました」
クロコ族がギロリと目を剥いて確認する。
「そうか、売っていたわけではないんだな」
「へえ、そうなりますね。でも、ほしいならお分けしましょうか? もちろん、有料ですが」
クロコ族の武人は、むすっとした顔で訊く。
「いくらだ?」
おっちゃんは価格がわからないので訊こうとリリンを探す。だが、いつのまにかリリンはいなくなっていた。
(なんや、トラブルの予感やな)
「肉はたくさんあるんで、五㎏なら、言い値でいいですわ」
ヒレの部分を切ろうとすると、クロコ族の武人は慌てた顔で口を出す。
「おっと、どうせ喰うなら、サーロインの部分がいいな。ヒレ肉は俺には柔らかすぎる」
おっちゃんはサーロインの部分を五㎏ほど切り分けて渡す。
クロコ族の武人は数分と掛からずに、五㎏の肉の塊を平らげ、ふふっと笑う。
「やはりな、これは若いが龍の肉だな。スモークして誤魔化そうとしても俺にはわかる」
「ちゃいますよ。翼のない、恐竜の肉ですわ。走っていましたからね」
クロコ族がにやりと笑い、五十銀貨貨幣を一枚差し出す。
「なら、そういう話にしておくか。だが、親切心から忠告する。この肉は悪くなりやすいから、早々に食べてしまったほうがいいぞ。そのほうが問題にならないだろう」
(なんや、リリンはんはっきり言わなかったけど、これはご禁制の肉なのかもしれんな。早いとこ始末したほうが、面倒にならなくていいかもしれん)
「そうでっか、足が早い食材いうことですか。なら、もう、五㎏いかがですか? これはサービスですわ」
クロコ族の武人は気をよくして、肉を受け取った。もう五㎏の肉を平らげると気分よく発言した。
「タダでこんな美味い肉を喰わせてもらっては悪いな。俺の名はガイルだ。モンスター酒場にいるから、何かあったら尋ねてくるがいい、ことによっては相談に乗る」
ガイルが気分よく帰っていった。ガイルがいなくなると、またウーリン族が「試食」「試食」と寄ってくるので、厚めに肉を切って配った。おっちゃん自身も肉を喰った。
肉はその日の内に、食肉街の住人の腹の中に収まった。




