第四百六夜 おっちゃんと肉屋の顧客
翌日、おっちゃんは太い木の棒に縄を巻いて、トロルの姿で出かけた。
ジュミニの研究施設はイルベガンから歩いて東に一時間ほど行った場所にあった。場所は、森の近くの丘陵だった。
ジュミニの研究施設は、煉瓦造りの円柱状の塔だった。塔は直径が二十五mで三階建。塔の横には縦五十m横二十五mほどの簡素な畜舎があった。
畜舎の扉を見ると、扉は内側から破壊されていた。畜舎の入口から中を覗くと、中は空だった。
塔の入口で呼び鈴を鳴らす。玄関の上についていたラッパ状の装置から声がする。
「どなたかな? ちと今、忙しいのだ。物売りの類ならまたにしてくれ」
「モンスター酒場のリンダはんの紹介で、猪を捕獲に来ました」
ジュミニは邪険な感じで話す。
「猪退治の件か。猪は森にいるから、勝手に捕まえて、持っていってくれ、話は以上だ」
ジュミニはそれだけいうと、装置のスイッチを切った。
(なんや、あまり感じよくないな。せやけど、ほんまに忙しいのかもしれんな)
おっちゃんは森に入った。森は手入れされており、それほど暗くはなかった。
二十分ほど歩くと、獣が地面を掘る音が聞こえた。
足音を消して近づくと、百二十㎏ほどありそうな猪がいた。山芋を食べている。
(おったで、猪が。あれくらいなら、楽勝やな。問題は、こっちに向かってくるかどうかやな)
おっちゃんは木の棒を地面に置いて、『強力』の魔法を唱える。おっちゃんの魔法を唱える声が聞こえたのか。猪が食事を止めて、おっちゃんを見る。
猪は敵意のある目でおっちゃんを見つめると、後ろ足で地面を蹴る動作をして、低く構える。
猪が全力でおっちゃんに突っ込んできた。おっちゃんは足を踏ん張る。
次に、大きく右手を振りかぶり、構える。猪を引き付けて、おっちゃんは拳を振り下ろした。
猪の固い頭とおっちゃんの拳が激突する。
「ガツン」と大きな音がする。おっちゃんの拳に震動が伝わってきた。頭を殴られた猪が、おっちゃんの体にぶつかる。猪の体からは力が抜けており、そのまま動かなくなった。
「ふう、一撃で片が付いたの」
おっちゃんは手早く、猪の体を木の棒に括りつける。
勝手に持っていけと命じられていたので、『瞬間移動』で魔都イルベガンに戻った。
おっちゃんは、そのまま棒に括りつけた猪を持って、食肉街に行き、リリンの店に移動する。
「こんにちは、モンスター酒場のリンダはんの紹介できました。猪を買い取ってや」
店の奥から頭が大きい、ずんぐりした体を持つ緑色の肌をした種族が現れる。身長は百五十㎝ほどで、簡素なクリーム色の服にエプロンをしている。肉屋のリリンはウーリン族と呼ばれる種族の女主人だった。
リリンが感心する。
「大きな猪だね。それで、どうするんだい? 全部を買い取りでいいのかい?」
「揚げ物にしたいから、ロースだけ三㎏もらって、ええか? 残りは血と内臓も含めて、全部、買い取って」
「銀貨八十枚で、どうだろう?」
思っていた値段以上の値がついた。
「そんなに高くてええの?」
「いいよ。肉にほとんど傷が付いてないし、まだ息をして新鮮だから、特別価格さ」
「ほな、お願いします」
リリンは店先に猪を吊す。猪の下にバケツを置き、包丁で猪の喉を裂いて血抜きをする。
血抜きが終わると、リリンはバケツに、ざく切りにした野菜を混ぜる。
リリンは解体台の上に肉を移して、鼻歌交じりに肉の解体を始めた。
解体をしていると、人間の体に蚊の頭を持つ種族のモスキルが現れた。モスキルの男性は血で染めたような赤いシャツに、赤いズボンを穿いていた。
モスキルはバケツの中を覗きこみ、リリンに声を掛ける。
「なにやら、いい匂いがしていると思って、来てみたら、新鮮な猪の血ですね。これは、どうするつもりですか?」
「血は内臓と混ぜてソーセージにしようと思っているよ」
モスキルの男は気取った顔で意見する。
「そうですか。それは、美味しそうですな。できれば、内臓抜きで、血とこの血が染みた野菜だけで作ったソーセージのほうが、なお、美味しいと思いますよ」
「いいけど、お宅が買うのかい?」
モスキルの男が機嫌のよい顔で申し出る。
「ええ、新鮮な血のソーセージはあまり出ないから買いたいですな」
「なら売るよ。おい、誰か。お客さんの予約注文だよ」
モスキルの男は、カートンと名乗り、予約注文を出して帰っていった。
内臓の取り出しが終わると、ザルに載せられて、内臓に値札が付けられ、店頭に並ぶ。新鮮な内臓は人気で、店に並べると次から次へと売れて行く。
「なんや、新鮮な内臓は人気やな」
リリンが機嫌よく答える。
「肉屋街の住人は知っているのさ。新鮮な内臓は安くて美味い、ってね」
皮が剥がされ、内臓が外された肉から、骨を外す。
すると、どこからともなく、身長二・五mの、ずんぐりした岩の塊の種族の岩人の男が現れた。
岩人はじっと肉屋の店先で、リリンの動きを見ていた。
リリンが骨を外しながら、機嫌よく岩人に声を掛ける。
「お宅は、なに? 骨が欲しいのかい」
「背骨と首の骨が欲しい。そこがいちばん美味い」
岩人は体をさぐって財布を出すと、中身を確認する。
「銀貨十枚で売ってもらえるか」
「いいよ、その値段で。猪の骨はあんまり売れないからね。全部あげるよ」
岩人は嬉しそうな顔をして、リリンが外すそばからバリバリと骨を食べていく。
おっちゃんは暇なので、岩人に声を掛ける。
「わいは、おっちゃんいう流しでモンスターをやっているものですわ。骨って、美味いんか?」
岩人は満足した顔で、感想を述べる。
「俺はガング、生き物の中で一番美味い部位は新鮮な骨だと思う」
「軟骨は食べるけど、骨は食べないからな。ようわからん」
ガングは表情を曇らせて答える。
「軟骨は柔らかすぎ。あれは、俺に言わせれば、年寄りの食べ物」
「そうか。ガングはんは、肉とか食べんの?」
「筋肉と脛肉は時々食べる。けど、他の部位はあまり食べない。でも、イルベガンの骨は、こうして肉屋の店頭で売りに出るやつ以外は高くて不味い」
「骨って肉屋以外で売ってとるの?」
ガングが穏やかな顔で教えてくれた。
「イルベガンには骨屋がある。鼠から巨人まで、各種の骨を扱っている。でも、骨屋の骨は、一部を除いて、あまり美味くない。美味い骨は高くて買えない」
リリンが陽気な調子でいう。
「イルベガンの骨屋の骨は魔術用だからね、出汁も旨味もないのさ。食べるんなら、やっぱり肉屋で買わないと」
「魔術用は、不味いやろうな」
リリンが満足した顔で告げる。
「お客さんのロースの切り分けができたよ」
「ありがとう」
おっちゃんは銀貨とロース肉を貰ってモンスター酒場に帰った。




