第四百五夜 おっちゃんと魔都イルベガンの人々
口止め料で貰った銀貨があるので、三日ほどぶらぶらと過ごす。魔都イルベガンには大勢の種族がおり、人口も多い。
ここなら、もしやと思うて、おっちゃんは失踪した奥さんのキヨコの影を探した。だが、キヨコは、ここでも見つからなかった。
リンダにも訊いてみる。が、リンダは暗い表情で首を横に振るだけだった。
「そうか、ここにもおらんか。いないものは、しゃあない。街を楽しもうか」
街は多種族により活気付いており、商いも盛んだった。ダンジョン・マスターへの屋敷へと続く大通りからは、午前中は荷を載せた荷車が頻繁に行き来する。
モンスターと物の流れを眺めていると、わかった。勢いのあるダンジョンや名門のダンジョンの屋敷にはモンスターの出入りも多く、雰囲気が明るい。
巷で落ち目といわれるダンジョンの屋敷には、それほどモンスターも物の出入りがなかった。
「皆、見ているところは、見ているんやな。こうも露骨に違いが出るとはのう」
宿に帰って、その日は休む。次の日から、報酬は安くてもいいからダンジョンが構える屋敷に出入りする仕事を探して、受けた。
思ったとおり、『迷宮図書館』や『火龍山大迷宮』の名門ダンジョンには人が多く出入りしており、商人も筋がよさそうなモンスターが出入りしていた。
対照的に、落ち目の噂がある『イヤマンテ鉱山』は人の出入りも多くなく、商人も一癖ありそうな輩が出入りしていた。
おっちゃんは、その日は管理者を出している『冥府洞窟』の屋敷で庭師の手伝いをしていた。犬の顔を持ち、身長百五十㎝ほどの庭師が庭木を手入れする。
おっちゃんは、庭師が落とした落ち葉や枝を拾い麻の袋に入れる単純作業が仕事だった。
仕事の最終日の昼過ぎの出来事だった。庭師が手を止めて、廊下に向かって一礼をする。わけがわからないが、おっちゃんも倣って一礼をする。
廊下を一人の女性が歩いて行く。年の頃は二十前後、青い髪に白い肌をしており、赤い目をしていた。
女性は派手な赤い柄の半袖に半ズボンだったので、手足が見えた。手足は、人間の骨のような形状の青い金属が付いていた。
女性が通り過ぎたので、庭師に尋ねる。
「今、廊下をお通りになったお方は誰ですか?」
庭師が機嫌よく教えてくれる。
「初めて見るかい。今の通られたのが、このイルベガンの管理者の骸様だよ」
(外見は若そうやけど、人間やないからな。でも、屋敷と街の管理を任されとるのなら、それなりにできる方なんやろうな)
仕事を終えて手間賃を払ってもらい、モンスター酒場に行く。
リンダが明るい顔で声を掛けてくる。
「お仕事、ご苦労様。注文は、エールでいいかしら?」
「エールに大盛りのオムレツを頼むわ。そうそう、今日お屋敷で骸様を見たで。まだ若いのに街の管理者って、すごいな」
リンダが苦笑いをする。
「ここだけの話。骸様って評判が、あまりよくないのよ」
「え、そうなんか? 悪人には見えなかったけどな」
おっちゃんは赤ワインを注文して、リンダの前に置く。
「ありがとう」と口にして、リンダはワインを飲みながら話す。
「賄賂を取ったり、横暴な振る舞いをしたり、一族のみ優遇したりは、しないわ。でも、ちょっと行政手腕に難ありなのよ。段取りが悪くて、気が隅々まで廻らないとか」
「そうなんか。でも、十万人もいる都市やからな。やりくりも大変なんやろう」
リンダが気さくな顔で、軽い調子で述べる。
「そうね、イルベガンは管理者が替わると、役人の上層部もがらりと変わるわ。交替の度に混乱があるわ。でも、そろそろ落ち着いても良い頃なのに、落ち着かないのよ」
「それは街の人間としては困るな」
リンダは少しだけ困った顔で、やんわりと告げる。
「でも、私たち市民は管理者を替えて、なんて頼めないしね」
「市井の人間としては、悪事を働かないだけええ、と思うしかないか」
リンダが一枚の紙をそっと差し出した。
「おっちゃん、猪退治の依頼が出ているわよ。倒して肉屋に持っていけば、猪の肉が手に入るわ。要らなければ、そのまま売っても金になるわ」
依頼票を見ながら聞く。
「猪退治ね。これ、普通の猪なん?」
リンダが楽しそうな顔をして、面白そうに語る。
「わけありの猪よ。依頼人のジュミニは豚の気性を穏やかにして飼い易くする魔法を研究しているのよ。それで、試しに猪に掛けたら、凶暴化して手が付けられなくなったんだって」
「なんや、研究失敗か。でも、性格が変わっただけなら、喰えるんやろうな」
「味はどうか知らないけど、食べて腹を壊すような事態にはならないって、ジュミニには断言しているわ」
「喰えると保証するなら、捕まえて喰うたらええのに」
「他の研究が山場で捕まえる手間が惜しいそうよ。でも、猪が暴れ放題に暴れて敷地を荒らすんで、困っているんだって」
(凶暴いうても、猪は猪やろう。トロルの体なら問題ない)
「狩るほうとしては、逃げ回られるより、向かってくるほうが狩りやすいな」
リンダが機嫌の良い顔で勧める。
「猪の体重は百㎏超えだから、体の小さい種族では危険なの。その点、おっちゃんなら、大丈夫でしょう」
「百㎏程度なら問題ない。報酬はあるの?」
リンダが肩を竦める。
「猪の肉だけよ。だから、やり手もいないのよ」
「なんや、ケチ臭いな」
「でも、付き合いがあるから、やってくれる人を探しているのよ」
(猪狩りなら、数人でやったら利益はない。でも、わいが一人でやるなら、ちょいとした稼ぎになるやろう。引き受けたろう)
「ええで。猪を狩って、肉屋に届けたるわ」
「それで、なんだけど、猪を狩ったら、肉屋のリリンに。売りに行ってくれないかしら、なんでも腸詰めを作って得意先に納めたいんだけど、肝心の腸が高くて困っているのよ」
「なら、明日にでも猪を狩って、リリンに売って来るわ」




