第三百七十一夜 おっちゃんとムランキストの街
朝、食事の時間に起こされる。朝食に行くとハビエルと僧侶たちが待っていた。
全員で揃って朝食を頂く。寺院の朝食は餡掛け蕎麦だった。
「ほお、これまた、なかなか美味しいですな」
ハビエルが笑顔で応じる。
「当寺院では特別な日を除いて、朝食は蕎麦です。実は寺院では隣の蕎麦屋を経営しているので、検食も兼ねているのです」
「人に出す食事やから、自分たちの目や舌で確かめようというわけやな」
おっちゃんは気が付いたので、訊いた。
「もしかして、バトルエルはんが来ていた時も、蕎麦を喰うてました?」
ハビエルがにこにこした顔で告げる。
「ええ、食べていたと伝え聞いております。時々、蕎麦粉で蒸しパンも作っていたそうですよ」
まさか、原因は寺院やなくて隣の蕎麦屋にあるんやないやろうか?
「すんまへん。営業が終わったらでええんで、蕎麦屋さんも見せてもらってええですか」
「構いませんよ。寺院直営の蕎麦屋は昼過ぎに営業を止め、夕方前には閉めますから」
「そうでっか。ほな、閉店後に店を見学させてください。あと、この付近で猫っていますか?」
ハビエルがきょとんとした顔で答える。
「いいえ、この付近どころか、街に猫はいないですね。鼠なら、まあ、いますが」
おっちゃんは蕎麦屋の営業時間が終わるまで暇になった。
暇になったので街を見て歩く。街の中には幅が四十mある大きな運河が二本、交差して流れていた。
運河には絶えず、荷物を積んだ、長さ八m、幅三mの小舟が行き来していた。小舟は荷揚げを済ませると、木の札を受け取りすぐに河を下って行く。
休んでいる身長百二十㎝ほどの、青い肌をした小鬼の船頭に尋ねる。
「この船って、どこから来て、どこに行くん?」
船頭は穏やかな顔で答える。
「ここの小舟は『浄水の神域』製の特別な舟だよ。東大陸なら、たいていの場所に行ける。大きな水脈が通っている場所なら、ここまで戻ってくる旅も容易さ」
「そうか。凄いな、ムランキストの街」
船頭がしみじみと語る。
「昔は交通の拠点が『浄水の神域』にあった。でも、バトルエル様が出奔して水が涸れると、機能の大半を失った。だから、次の候補として地下に大きな地底湖を持つ、この街が選ばれたのさ」
河の流れを見ると、街の北から南に流れる経路と、東から西に流れる経路があった。
運河の始点に大きな洞窟のような穴があり、小舟が次々に出て来る。終点は地下に下る河になっていて、荷を下ろした小舟は地下に次々と消えていっていた。
昼に、人間のやっている定食屋を覗いてみた。人間のやっている定食屋は、客のほとんどが人間だった。
異種族がやっているピザ屋を見ると、こちらは異種族の客がほとんどだった。
おっちゃんは人間のやっている定食屋に入り、ランチセットを注文する。
酢豚と麦飯のセットが出てきた。味は、まずまずだった。支払いは普通に貨幣が使えたが、価格は少し高めだった。
(街の物流はうまく機能しておるようや。ランチセットが銅貨八十八枚と、やや高めや。せやけど、客層は一般人が多いから、賃金水準も高いんやろう)
ピザ屋の前を通ると、ピザ屋の厨房に人間形態の龍がいる光景が見えた。よく見ると、バレイラだった。
(なんや、バレイラはん。冒険者と戦わないときは、ピザ屋の職人兼店長をやっとるんやな)
店の前のスペースではヤイモンがピザを食べていた。おっちゃんを見付けるとヤイモンが気楽な顔で声を掛けてくる。
「おっちゃん、どう? 調査のほうは、進んでいる?」
「今のところは、ご報告できる情報はありません。でも、きっとなにか見つけますわ」
ヤイモンが軽い調子で勧める。
「そう、よかったら、ピザを食べていく? バレイラの店のピザは美味しいわよ」
「おっちゃん、今そこで酢豚を食べてきたばかりですねん。でも、バレイラはんって厄病龍でっしゃろ。それが、ピザ屋の店長って変わってますな」
ヤイモンが穏やかな顔で、内情を説明してくれた。
「バレイラはダンジョンで働いた時代から、自分で手を動かさないと気が済まない性分だったからね。店のオーナーになっても、厨房に立つわよ」
「でも、厄病龍いうたら、かなり格の高い種族やろう? 他のダンジョンに行けば高給取りになれるやろうに」
ヤイモンが顔を顰めて語る。
「バトルエルがいなくなって、多くの仲間が、去っていった。でもね、ずっと待っている仲間もいるのよ。失業して、ここに住み着いて職を持った種族も多いわ」
「バトルエルはん、慕われておったんやな」
ヤイモンが感傷に浸った顔で述べる。
「そうね。バレイラは、口では『もう、戻ってこない』と愚痴りつつも、こんなところでピザ屋をやっているのがいい証拠ね。そういう私も、食い扶持は薬屋で稼いでいるんだけどね」
「そうでっか。皆さん、色々と苦労があるんやなあ」
ヤイモンが感慨の籠もった顔でしみじみと語る。
「バトルエルは去り、時は移ろう。でも、忘れられない昔もあるのよ」
(これは、責任重大やね。なんとか期待に応えてあげたいな)
街を見て歩くが街は明るく、清潔な長閑な街だった。
(この街はもう人間だけの街やないな。せやけど、ここにヴィルヘルムやフリードリッヒが来たら、街の生活も変わるんやろうな)