第三百六十九夜 おっちゃんと病の悪魔(中篇)
女性はおっちゃんの言葉を訊いて、数秒考えていたがやがて表情を和らげる。
「おっちゃんは西大陸から来たの? でも、なにしに、こんなところに来たのよ」
「今、休業中なんですわ。それで、観光といいましょうか。冒険といいましょうか。そんな感じで、ムランキストにあるボンドガル寺院に行ってみようかと思って、旅行に来ました」
女性が半信半疑な顔をする。
「疑わしいわね。けど、その体はダンジョンで強化されたようだから、信用するわ」
「それで、ムランキストの街って、今どんな感じですかね?」
女性が険の取れた顔で砕けた調子で語る
「私の名は、ヤイモン。病を操る種族よ。街は今、『浄水の神域』が閉鎖され職にあぶれたモンスターが暮らす街になっているわね。元からいた人間も、普通にくらしているけどね」
(ほお、人間と共存ね。廃墟やないんやな。どういう事情やろう? 興味あるわ)
「人間と共存しているんでっか? 珍しい街ですな」
ヤイモンが難しい面をして述べる。
「私たちには住む場所が必要だった。人間たちには水が必要だった。そこで、取引したのよ。街の支配権を渡せば、こっちは水を渡す、ってね」
「人間は奴隷でっか?」
ヤイモンがむっとした顔で否定する。
「違うわよ。街の人間は市民よ。街から出る決断は自由。ただ、街から出たら、入る権利はない。出入りの自由がないだけで、あとは自由に生活しているわ」
出入りの自由を禁じた判断は理解できる。機密保持のためと、外敵から身を守るための措置だった。
おっちゃんは当然の疑問を尋ねる。
「でも、街から出られないなら、食糧はどうしていますの?」
「私たちは人間が取引に応じた時点で街の水脈を復活させた。ついでに、水脈を利用したダンジョン製の地下水路も、引いたのよ。食糧は別の場所で生産され、水路で運び込んでいるわ」
「なるほどのう。それなら、街の人間は餓えないわけや。街の人間は商人や職人になって食い扶持を稼いでいるんでっか?」
「そうね、学校を建てて識字率を上げたから、事務員や役人をやっている人間もいるわよ。ただ、念のために、人間は軍人にはさせず、武器は与えていないけどね」
「でも、よく、街を治めておりますね。感心しますわ」
ヤイモンがモンスター側の事情を、さばさばした顔で語る。
「バトルエルがいなくなり、『浄水の神域』が封鎖されてから、私たちの歴史は苦難の連続だったわ。ここまで来る道のりは大変だったのよ。人間たちも大変だったでしょうけど」
「そうでっか。でも、なんで、バトルエルはんは、ダンジョン・マスターを辞めたんでしょうね?」
ヤイモンの表情が暗くなる。
「バトルエルは、ある日、冒険者と戦う日々に疑問を持ったのよ。それで、ダンジョン・コアの向こう側にいる唯一なる存在に、辞職を申し出た」
「そんな理由があったんでっか」
ヤイモンが暗い顔のまま、当時を語る。
「すぐに辞職は認めらなかった。でも、唯一なる存在は、次のダンジョン・マスター候補を探すまでの間だけ『浄水の神域』の閉鎖を認めた」
「そんで、新たなダンジョン・マスターは見つかったんですか?」
ヤイモンがやりきれないといった顔で告げる。
「いいえ。今も選定中よ。唯一なる存在にとって、百年単位なんて、短い時間なのかもしれない。けれども、人間にとって滅びに向かうには充分な時間なのよ。水を断たれて次々と人間の街は砂の中に消えたわ」
「それは、厳しい状況ですな」
「全くよ。バトルエルは『大剣アンガムサル』を持って姿を消した。そのまま、行方は誰も知らないわ。このままバトルエルが戻らないと、砂漠化の害は海岸部まで進行するわ」
おっちゃんはそれとなく知っている情報を滲ませる。
「あれ? おっちゃん、旅の途中でバトルエルはんと会ったで」
ヤイモンが目を剥いて尋ねる。
「どこで会ったのよ」
「人間の街で、普通に移動販売のパン屋をやっていた」
ヤイモンが厳しい表情で問い詰める。
「どこよ。どこの街のパン屋よ?」
「ちょっと落ち着いてくださいよ。今の話を聞いたら、普通に戻ってくれと頼んでも断られて、また逃げられるで。そしたら、また行方がわからんようになるよ」
ヤイモンが険しい表情で訊く。
「なら、どうしろって言いたいのよ!」
「バトルエルはんが辞職を願い出た理由って、なにかわからんかな? なんか、辞職を願い出る前に変った行動とか、なかった?」
ヤイモンが思案してから、思い出した表情で語る。
「そういえば、バトルエルが辞職を願い出る前に、ボンドガル寺院に何度も足を運んでいたわね」
(全ての謎を解く鍵は、ボンドガル寺院にあるんやな。ボンドガル寺院に、なにがあるんやろう?)
「ダンジョン・マスターが寺院通いとはおかしいな。よし、おっちゃんが行って、バトルエルはん失踪の謎に挑戦してみるよ。そんで、謎が解けたら、バトルエルはんを迎えに行こうか」
ヤイモンは神妙な顔で了承した。
「わかったわ。街での生活に順応した種族も多い。だけど、まだダンジョン暮らしに戻りたい者も大勢いる。是非とも頼むわ。成功したら、報酬も払う」
「ほな、成功したら、『星の宝玉』って貰えますか?」
ヤイモンが意外そうな顔をする。
「え、あんな、用途が限られただけの、ゴミみたいな物が欲しいの?」
「『王の宝玉』は支配する力を、『星の宝玉』は鎮める力を持っているんやないの?」
「そんな大した力は、ないわよ。『王の宝玉』が支配できる対象は人間だけ。『星の宝玉』が鎮められるのは、天候だけよ」
(おかしいな。ヤイモンはんの言葉通りなら『太古の憎悪』に対抗する力にはならんな。別のお宝があるんやろうか?)
「あれ、なんか思っていたのと違うな。ほな、ボンドガル寺院に眠る秘宝って、なに?」
ヤイモンが考え込みながら、発言する。
「許す心、かしら?」
「他者を許す心は確かに大切やけど、そんな抽象的なものなん、宝って?」
ヤイモンが「当然よ」の顔で話す。
「そうよ。ボンドガル寺院の僧侶が得意げに語っていたわ。だから、バトルエルを説得できたら、もっといい物を上げるわ。なんなら、街にあるものだったら、何を持っていってもいいわ」
(なんやろう? おっちゃんは、パンドラ・ボックスはんに騙されたんやろうか。でも、まだ、わからんか。人間も異種族も知らん、本当の宝があるかもしれん)
「そうか。なら、バトルエルはんを連れ戻すことができたら、ええものちょうだい」
おっちゃんはヤイモンに連れられて、ムランキストの街に向かった。