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おっちゃん冒険者の千夜一夜  作者: 金暮 銀
バレンキスト編
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第三百六十八夜 おっちゃんと病の悪魔(前編)

 廃村を出て歩いて行くと、不思議な霧が深く立ち込めてきた。

(人を迷わす魔法の霧やな。雨が街を覆う砂を洗い流した、というておった。せやけど、魔法の霧が出て来るところを見ると、ムランキストの街には、なにか知性を持った存在がおるね」


 頭の中にある地図を頼りにムランキストの街を目指す。霧が出ているにも(かか)わらず、おっちゃんの体は心地よく温かかった。

(なんか、ぽかぽかするの。妙な気分や)


 霧が少し晴れてきた。霧の向こうから薄ぼんやりと光る灯に気が付いた。

 用心しながら、先に進む。灰色のローブを着た誰かが丸太に腰掛け、小さな焚火に当っている光だった。

「こんにちは。ちと、ええですか?」


 声を掛けられた人物が、ゆっくりと振り返る。褐色の肌をした、黒い髪を持つ年若い女性だった。

「こんにちは。なんでしょうか?」

「ムランキストの街に行きたいんですが、こっちで合っていますかね?」


 女性が穏やかな顔で勧める。

「さあ、どうでしょう? 私もこの霧の中で道を見失ってしまったものですから。よかったら、焚火に当っていきませんか」


 おっちゃんは女性の向かいに腰掛けた。

 女性が微笑みを湛えて話し掛けてくる。

「ここに来るまで寒かったでしょう」

「いいえ、ぽかぽかとええ気分でしたよ」


 女性が怪訝そうな顔をする。

「そうですか。でも、霧で体が冷えるといけませんから、よく焚火に当っていくといいでしょう」

 焚火に当っていると、これまた気分が爽快になってくる。

(なんや、この焚火? 当っているだけで、疲れが取れて元気になってくるで。魔法の焚火か?)


 女性が怪しく微笑む。気分がいいので微笑み返す。

「しかし、なんででしょうね。こんなに霧が出とるのに、春の陽気のように暖かい。それに、この焚火、ちょろちょろとしか燃えてないのに、当っていると疲れが取れていくようやわ」


 女性の顔が僅かに歪む。その後、気を取り直したような顔で、飲み物の入ったカップを差し出した。

「生姜湯です。冷たくなった体には、これが一番です」

「心配ご無用ですわ。焚火だけでもたいそう癒されます」


「そういわずに」と喋ると女性の瞳が怪しく赤く光る。

(あ、この女は、人間やないな)


 おっちゃんは、警戒感を持った。だが、手は自然と、女性が差し出したカップを受け取る。

 すると、おっちゃんの意志に反して、体が勝手に動いて、カップの中の液体を口にした。

「毒か!」と思ったが、違った。カップの中身は生姜湯ではなかった。だが、極上の蒸留酒のような味がした。


(これ、滅茶苦茶に美味い酒やん。いや、でも、飲んだらまずいとちゃうんか?)

 飲んではまずいと頭では思った。けれども、意に反して、おっちゃんはカップの液体を飲み干した。


 体に異変が起きた。体から倦怠感が抜け、疲労感が飛んだ。体温はちょうどよく気分もよい。肩、腰、膝が楽になり、喉や鼻がすーっとする。

 呼吸をするたびに胸に爽かな空気を感じる。胃が適度に温まるって食後のような充実感を覚える。

(なんや、毒を盛られたと思うとったけど、すごく体調が充実している。高級薬膳を喰うて、秘湯に入る。その後に希少な薬酒を飲んで、昼寝して目覚めた感じや)


 女性が何かを期待した顔でおっちゃんを見ていた。

 体調がすこぶる良くなったので、おっちゃんは正直にお礼を述べた。

「いや、凄いですね。生姜湯の力これ、普通の生姜やないですやろう。肥料に(こだわ)って栽培したとか、霊山の麓とかに生えているやつですかね?」


 おっちゃんの元気で陽気な声を聞くと、女性の顔が露骨に歪んだ。

 おっちゃんは気分が良く陽気になったので、言葉を続ける。

「年のせいで体力がなくなってきたんやけど、一気に充実した感じですわ。ほんまもう、十歳くらい、若返った気分です。これどこの薬師が調合した生姜湯ですかね。高くてもいいから買いたいわ」


 女性が表情も険しく尋ねる。

「調子がいいなんて、嘘ですよね? 我慢しているだけですよね?」

「いやいやいや、嘘なんか、()いていません。もう、無意味に走り出したいくらい元気になりました。ほら、手を見てください。肌なんか、すべすべになった気分や」


 手袋を外すと、本当に肌が化粧用のクリームを塗ったように艶々になっていた。

 おっちゃんの手を見ると、女性が眉間に皺を寄せて手を確認する。おっちゃんは爽快で気が大きくなっていた。

「いやあ、ほんまに悪いですな。貴重な生姜湯もろうて。何か、お礼がしたいんやけど、何がええですか」


 女性が怖い顔で切れた。

「要らないわよ。お礼なんて。貴方、変よ。人間じゃないわ!」


 女性も人間ではないと思ったので、正直に答える。

「人間やないですよ。いわゆる、モンスターですわ」


「えっ」と女性の顔が歪み、おっちゃんを上から下までじろじろみる。

「わいは、おっちゃん。『シェイプ・シフター』ですねん」


 女性が表情を歪めて、きつい調子で発言する。

「『シェイプ・シフター』なのはいいけど。なんで、病気にならないのよ? 普通のモンスターなら病に罹って、とっくに立っていられないはずよ」

「バトルエルはんの弟に、ウィンケルはんておりますやろう?」


 女性が面喰らった顔で訊く。

「いるわよ。それが、どう関係があるの?」


「おっちゃんは、ウィンケルはんが治めるダンジョンの『狂王の城』で働いておったんですわ。その時にウィンケルはんに気に入られて、病気にならん体にしてもらいました」

 半分は嘘だが、女性の気を惹くために本当のように話した。


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