第三百六十四夜 おっちゃんと『大剣アンガムサル』(前編)
翌日、指定された時刻に法王庁に出向くと、三十畳ほどの石畳の部屋に案内された。部屋には椅子と机のみがあり、九人の特認冒険者が既に待っていた。
九人の中にはビアンカの姿もあった。十人が揃うと、箱を持った侍従三人と侍従長、それに二名の聖騎士を伴ってアレキサンダーが部屋に入って来る。
アレキサンダーは体調が悪そうで、顔色もよくなかった。
全員が起立してアレキサンダーを迎える。
アレキサンダーは厳かな顔で告げる。
「アーベラはかってない国難に直面している。だが、これを『太古の憎悪』の力で切り抜けようとしる態度は非常に危険である。よって、法王庁はその権威を持って『太古の憎悪』を封印する手段を手にすると決めた」
アレキサンダーが神妙な面持ちで侍従に顔を向ける。
「ムランキストの街に入るための『病避けの護符』をここへ」
侍従が進み出て、特認冒険者に箱を渡す。
箱には蝋で封印がしてあった。封印を解いて箱を開けると、中は空だった。
(あれ、なんも入っておらんで?)
不思議に思って他の特認冒険者を見ると、九人は首から『病避けの護符』を下げていた。おっちゃんは手を挙げて声を出す。
「すんまへん、おっちゃんの箱だけ空やで」
『病避けの護符』を配っていた侍従がやってきて箱の中を確認する。全員の視線が空の箱に集まる。侍従が困った顔で告げる。
「そんな、馬鹿な。昨日、確認した段階では、きちんと『病避けの護符』が十個ありました。全ての箱に一つずつ、『病避けの護符』を入れ蝋で封をしました」
おっちゃんは首を傾げる。
「箱に封はされていたで。せやけど、中には何も入っておらんかったで」
アレキサンダーが眉を顰めて、ビアンカに向き直る。
「すまない。ビアンカ。『病避けの護符』が一つ足りなくなった。今回の任務を、辞退してくれないだろうか」
ビアンカがきっとした顔でアレキサンダーを睨んで答える。
「嫌です。猊下、私は特認冒険者として、任務を全うしとうございます」
ビアンカの言い方は丁寧だが、頑として拒絶する意思があった。
おっちゃんは他の特認冒険者の顔を見る。
誰一人として、おっちゃんに『病避けの護符』を譲ろうとする人間はいなかった。
隊長格の冒険者が渋い顔をして、ビアンカに告げる。
「ビアンカ、ここは猊下の指示に従って、『病避けの護符』を新入りに譲れ」
ビアンカが険しい表情で言い返す。
「断固拒否します。なぜ、私ではなく、新入りが任務に就くんですか。どうしてもと仰るなら、おっちゃんと勝負させてください。勝負に負けたら技量が足りなかった事実を認め辞退します」
ビアンカの腕前は見ていないが、本気になれば勝てそうだった。
だが、本気で戦えばビアンカに怪我をさせる恐れがあった。
(なんか、面倒な事態になったのう)
「わかりました。ほな、おっちゃんが辞退しますわ。ここでビアンカはんと勝負して両方怪我して任務に旅立てなくなったなら、えらい損失や」
「どうします。猊下?」と、隊長格の冒険者が困った顔でアレキサンダーを見る。
アレキサンダーは痛ましい顔をしてから、諦めた顔で告げる。
「ビアンカには辞退してほしかったが、止むを得まい。こんなところで時間を潰す態度はどうかと思う、レアンドロ隊長。すまないが九人で行ってくれるか」
レアンドロが、やむなしの顔で告げる。
「猊下の言葉とあれば是非もなし。いっておくが、ビアンカ、我儘は今回だけだからな」
ビアンカが真剣な顔で頷く。
かくして、おっちゃん以外はムランキストの街に旅立った。おっちゃんは、やる仕事がなくなったので、冒険者の宿に戻った。
三日後、おっちゃんはアレキサンダーの執務室に呼ばれた。アレキサンダーに会いに行くと、アレキサンダーが申し訳なさそうな顔で出迎える。
「まさか、旅立ちで躓くとは思わなかった。せっかく、契約してくれたのに、すまない」
「でも、『病避けの護符』どこにいったんやろう、頻繁に使うものでもないやろうし」
「旅立ちのあと、僧侶たちに『病避けの護符』を探させたが、見つからなかった」
「なくなった物を悔やんでもしかたありません。せやけど、ムランキスト行きは諦めたくはありません。なんぞ、『病避けの護符』なしでムランキストの街に入る方法は、ないでっしゃろうか?」
アレキサンダーが青白い顔で答える。
「残念ながら、ないだろう」
「そうやろうか? 法王庁なら、なにかある気がするんやけど。法王庁が所有する魔道具の目録を見せてもらえんやろうか?」
侍従長が睨みつける顔でおっちゃんを見る。
アレキサンダーは咳き込みながらも、侍従長に指示する。
「気が済むようにするといい。法王庁が所持する魔道具の目録を、ここへ」
侍従長が渋い顔をして一度下がって、目録を持って来た。
おっちゃんが目録を確認すると、目録に『大剣アンガムサル』があった。思わず声を上げる。
「『大剣アンガムサル』が、法王庁にありますのん? え、でも、これって、国王が持っている国宝やないの?」
アレキサンダーが笑って答える。
「『大剣アンガムサル』は二本ある」
「そうなんでっか、これは驚きやわ」
「王国で所持している剣と、法王庁が所持している剣だ。どっちが本物かは、わからない。案外、両方とも偽物の可能性もある」
「ちょっと『大剣アンガムサル』を見せてもらって、ええ?」
侍従長がこれ以上にない険しい顔をする。だが、アレキサンダーは微笑んでいた。
「いいだろう。一緒に見に行こうか。実は私も、まだ『大剣アンガムサル』を見た経験がないのだ。冥土の土産になるだろう」
おっちゃんはアレキサンダーの言葉に面喰らった。
「冥土の土産って、猊下のお体は、そこまで悪いんでっか」
アレキサンダーは寂しげに笑う。
「これは勘だが、私は、あと一週間と保たないだろう。残念ながら、生きて特認冒険者の仕事の成果を見ることができない」
「ビアンカはんは、猊下の容態を知っておられるんですか?」
アレキサンダーは首を黙って横に振った。
(まさか、病避けの護符が一つ足らんかった原因は、ビアンカはんを行かせんためだったのか。だとしたら、悪い申し出をした。おっちゃんがもっと頑張ればよかった)
アレキサンダーは侍従長に付き添われ、ふらふらしながら歩き出した。