第三百三十八夜 おっちゃんと猿人の事情(前編)
夜が明けて、『七日市』の日が来た。
人間側の準備はできている。だが、猿人も蟻人も現れなかった。
昼近くになると、誰かが声を上げる。
「おい、ワイバーンだ。猿人の飛竜商人が来たぞ」
商人たちの顔に希望の色が浮かぶ。だが、やってきた猿人は二人だけだった。
武器の携帯と装備から、片方の猿人が商人で、片方が役人だった。
猿人の商人が商隊長に苦い顔で話し掛ける。
「我々は今後、『七日市』への出展をしばらく見合わせる」
商隊長は驚き、他の商人もざわめいた。商隊長が喰って懸る。
「待ってくれ。理由を教えてくれ。今までだって上手くやってきただろう。なぜ、急に取引を止めるだなんて通達するんだ?」
猿人の商人が厳しい顔で告げる。
「悪いが理由は教えられない。復帰の目処も現在では立っていない」
猿人の商人の言葉に、商隊に動揺が走る。村人も衝撃を受けていた。
(市が立たないのなら、商人は商売にならない。交易所としての村の価値も失われる)
商隊長は大いに困惑して食い下がる。
「金物や革製品がないと、猿人さんかて不便だろう。俺らだって薬草や油がないと困る。せめて、理由だけでも聞かせてくれ。今までだって互いに利益を出していただろう」
猿人の商人が沈んだ顔で話す。
「話は以上だ。今まで世話になったな」
猿人の商人が帰ろうとすると、フェリペが飛び出た。フェリペが切実な表情で頼む。
「待ってくれ。あんたらの持つ薬草が、どうしても必要なんだ。高くてもいい。薬草を売ってくれ」
猿人の商人が黙ってフェリペに背を向ける。猿人の役人が交渉に当たっていた猿人の商人に話し掛ける。
交渉に当たっていた猿人の商人がフェリペに声を掛ける。
「ちょっと待っていてくれ」
猿人同士が人間に訊かれない場所で独自言語でなにかを話し合う。
猿人の商人が傍から見ていてもわかるほど渋い顔をして終始、話をしていた。
(これ、何か、あまりよくない話をしているの。猿人の商人の顔からまるわかりや)
五分ほどで、交渉に当たっていた猿人の商人が戻ってくる。
「交渉再開について話し合う余地ができた。交渉したいなら俺たちと一緒に来い」
猿人の商人の言葉に商隊長が言葉を失う。商人たちも顔を見合わせる。
(無理もない。商人たちにしたら、モンスターの懐に飛び込むようなものや。しかも猿人たちの間でトラブルが起きている事態は確実。下手に飛び込めば帰ってこられん)
フェリペが意を決して申し出る。
「よし、俺が行こう。だから、薬草を売ってほしい」
猿人の商人がムッとした顔で告げる。
「薬草が欲しいのなら売ってやろう。ただし、市に復帰するかどうかは交渉次第だ」
商隊長が弱った顔でフェリペに声を掛ける。
「すまない、フェリペ。危険な交渉役だがやってもらえるか。ここで、市が今後も立たなくなれば、影響が大きい。なんとか、理由だけでも聞き出してくれ」
「やるだけやってみますよ。俺だって今回の商いは失敗できないんだ」
フェリペが真剣な顔で、おっちゃんに声を掛ける。
「そういうわけだ。ちょっと猿人の街まで行ってくる」
「待って。おっちゃんかて、子供の遣いやあらへん。一緒に行くで。それに、薬草の代金として持って行く、塩漬けの鶏かて、一人で持つには辛いやろう」
フェリペはホッとした表情をする。
「一緒に行ってくれるなら、助かる」
おっちゃんとフェリペは塩漬けの鶏を背負う。猿人たちの操る飛竜に乗り、モルモル村を後にした。
飛竜が飛んでいる間、誰も言葉を話さなかった。
(猿人はんは緊張感が滲んでいて話し掛ける雰囲気やない。フェリパはんも不安なんやろう、無口になった。ここで、おっちゃんだけ話すのも気が引けるな)
九十分ほど飛ぶ。大きな山が見えてきた。
山を背に地面が隆起してできた広大な高原があった。高原は密林から高さ五十mの絶壁により、隔絶されていた。
高原の上には大きな湖があり、湖の周りには猿人の村と思われる木の家が無数に建っていた。
(ちょっとした街やな。三千人くらいは住んでおるようやな)
飛竜が街の広場に下りる。猿人が奇妙なものを見るような眼でおっちゃんたちを見る。
猿人たちは粗末な革の服を着ていた。猿人の商人がムスッとした顔で告げる。
「商品はここに置いていってくれ、あとで薬草と換える。まず、こっちに来てくれ」
おっちゃんたちが歩くと、猿人たちがおっちゃんたちを避ける。猿人の子供がいたが、すぐに母親に連れられて隠される。
おっちゃんたちを囲むように、棍棒や短槍で武装した猿人が周りを囲んでの移動となった。
フェリペが不安な顔をして小声で話し掛けてくる。
「俺たち、明らかに歓迎されていないな」
「そうやね。なんか怖いものでも見るかのような視線や」
猿人に連れられていった先には、格子戸が付いた小さな筒状の木の家があった。
猿人の役人がおっちゃんとフェリペを交互に見る。
(なにか、迷っているみたいやね)
猿人の役人が「こっちだ」とばかりにフェリペを指差す。
猿人の商人が苦々しく告げる。
「そっちの商人はこの建物の中で待ってもらう」
フェリペが抗議の声を上げる。
「おい、どういう了見だ。交渉するんじゃないのか?」
周りを囲む猿人が武器を構える。
おっちゃんはすぐにフェリペを宥める。
「待ってください。フェリペはん。ここで逆らっても、問題がややこしくなるだけや。おっちゃんが代わりに交渉してきます。こう見えても、交渉事は得意ですから」
フェリペは辺りを見回すが、猿人に囲まれている状況に諦めた。
フェリペが小屋に入ると、小屋に南京錠が掛けられた。
(これ、完全な人質やな。フェリペはんが人質に取られた以上、おかしな真似はできんな)
「従いてこい」と猿人の商人が不機嫌に告げる。
街外れに、おっちゃんは連れて行かれた。猿人の商人が怖い顔で告げる。
「男は預かった。返して欲しければ、腕の良い呪術師を連れて来い」
「え、なに、どういう意味?」
猿人の商人が伝える。
「酋長が病気になったのだ。薬師が薬を捧げても、呪術師が祈祷を捧げても、よくならない。きっとこれは、人間が密林に持ち込んだ何か悪いもののせいだ。だから、人間の呪術師に治させる」
「情報がそれだけやと、困る。もっと、具体的に状態を教えてくれ。そうしないと、判断に困る」
猿人の商人が忌々しそうに伝える。
「族長は急に怠け者になった。その後、食べるのも億劫になり、寝てばかりになったのだ。あの、勇ましい族長が、だ。それだけではない、他の戦士たちにも同じような症状が出ている」
(なんや、アロソンの象と症状が同じやな)
「それは、大変やな。なにか切っ掛けとか、ないの?」
「原因はわからない。だが、前回の『七日市』の辺りからおかしくなった。原因は『七日市』だ。市が災いを運んできた」
(なるほど。『七日市』が原因で街の猿人がおかしくなった。だから、人間と付き合うのを止めよう、となったんか。事情はわかった)
おっちゃんには酋長の症状に心当たりがあったので申し出る。
「実はおっちゃんな呪術の心得があるんよ。治せるかもしれん」
猿人の商人は露骨に疑った。
「本当か? 嘘を吐いたら生きて帰れんぞ」
「ええから、怠け者になった族長と戦士に会わせて。治したる」