第三百三十六夜 おっちゃんと水の味
アルカキストは海に面した街だが、漁業は発達していない。アルカキストはアルカ湾と呼ばれる大きな湾を持つが、湾内では塩分濃度が高く、魚がほとんど生息していない。
代わりに塩田が多くある。塩はアルカキストの主要な生産物であると同時に、主要輸出品の鶏の塩漬けの原料でもあった。
塩田のアルバイトは冒険者ギルドにいつもある。喰うに困った冒険者や、たまたま一日仕事がない冒険者が日雇いで働きに出る。
塩田の仕事は浜から塩分を多く含んだ海水を浜に撒く。日中の天気で水分を飛ばし、塩が湧いたものを集める。
海水で砂を落として鹹水を作る。鹹水をカマで煮詰めて塩を作る。なかなかの重労働だが、賃金は半日で銀貨八枚も貰える。日雇いの仕事は鹹水を大鍋に入れるまでが仕事だった。
汗だくになって他の冒険者と一緒に塩田で働く。休憩時間におっちゃんはそれとなくムランキストの街の情報を探る。
だが、誰も知らなかった。人々が不安気な顔で話す。
「鳥の塩漬けの売り上げは好調なのに、養鶏業者も塩業者も値下げを打診されている」
「最近、アルカキストの水が不味くなったな」
「北にある海賊都市の動きが活発だ」
休憩時間の話題も、暗いものばかりだった。
塩田の仕事が昼過ぎに終わったので風呂に入って、冒険者ギルドに行く。
「テレサはん、なんか最近、街の話題が暗いな。なんか、明るい話はない?」
テレサが柔和な笑みを浮かべて語る。
「魔術師ギルドにアルカキスト薬学院があるんだけど、そこが、もうじき開校百周年なんだって」
「百周年かなんぞ記念行事でもありそうやね」
「そう、そこが、百周年を記念して『賢者の調合書』を公開しているわよ」
「『賢者の調合書』ねえ。どんな薬の調合書なんやろう?」
テレサが表情も明るく教えてくれた。
「『賢者の調合書』は四百種類に及ぶ薬の調合方法が記載されている幻の調合書よ。なんでも、若返りの薬まで調合法が載っているんだって」
「それは、凄いな。金を払えば、誰でも見られるの?」
テレサの顔が少しばかり暗くなる。
「うん、解呪組合に入っている魔法使いなら」
「ここでも解呪組合か。もう、ほんと、どこに行っても、解呪組合が出てくるの」
おっちゃんは席に戻る。
いつぞやの、解呪組合を批判している聖職者であるヤーゴが冒険者ギルドにやってきた。
ヤーゴは険しい顔でテレサと話す。テレサは困った顔をする。
おっちゃんは気になったので、声を掛ける。
「なんや? なんぞ厄介なトラブルが起きたんか?」
ヤーゴは真剣な顔で告げる。
「仕事の依頼です。解呪組合の不正を暴きたいので、力を貸してほしい」
(解呪組合の不正を暴くね。嘘だとしても本当だとしても、冒険者ギルドとしては関わり合いになりたくない仕事やな)
「ヤーゴはん、解呪組合がしている不正って、なんや?」
ヤーゴは厳しい顔で告げる。
「解呪組合は汚染された地下水を廃棄して、街の飲み水を汚している。このままでは、アルカキストの水は飲めなくなる危険性があります」
「テレサはん、アルカキストって最近、水の味って変わった?」
テレサが冴えない表情で告げる。
「冒険者ギルドは井戸水を使っているけど、特段に味が変わったとか、ないわね」
「ヤーゴはん、解呪組合が水の汚染に関与している証拠ってあるの?」
ヤーゴが憤然とした顔で告げる。
「解呪組合のある建物を中心に、付近の植物が枯れる事案が発生しています。原因は不明ですが、きっと解呪組合の中で何か悪い事件が起きているに違いありません」
(これは、危ういで。相手はこの街の権力機構や。ヤーゴはんは植物が枯れた原因は不明やと口にしとる。もっと確実な証拠を掴まんと、しっぺ返しを喰らう)
「あんな、ヤーゴはん。解呪組合が横暴なのは、理解しとる。おっちゃんかて解呪組合は好かん」
「だったら、協力をしてください。一緒に解呪組合と戦いましょう」
「でもなあ、大した証拠もなしに相手が悪いと決め付ける判断は危険やで」
ヤーゴは憤然とした顔で告げる。
「でも、やつらがよからぬ計画を企てている態度は本当なんだ。だから、それを確かめるために、解呪組合に潜入する仕事を依頼したい」
(なるほど、テレサが渋るわけや。冒険者は白黒の判断がつかん仕事もする。だが、ヤーゴはんの依頼は完全に黒や。犯罪や)
「あんな、ヤーゴはん。冒険者かて、できない仕事はあるんやで。ヤーゴはんの見立てが正しいなら、ええ。せやけど、違った時は犯罪や。そんな一か八かの仕事は冒険者ギルドかて、受任できん。ギルド・マスターもやれと指図せんやろう」
ヤーゴは、いきり立った。
「でも、解呪組合の陰謀を潰せなかったら、アルカキストの街は潰れる。俺は町が駄目になる未来を黙っては見過ごせない」
「仕事を請ける側の人間から、言わせてもらうで。解呪組合が街の敵やと証明せん限り、冒険者ギルドは動かんし、動けん。それが、世の道理や」
ヤーゴがテレサを厳しい視線で見、テレサは弱った顔で謝る。
「おっちゃんの話す通りよ。私も街をよくしたい願望はある。だけど、ヤーゴさんの話は受けられないわ」
「わかった。もういい!」とヤーゴは憤然とした顔で背を向け、立ち去った。
「ヤーゴはん、大丈夫かな。地道に証拠を集めるならいいんやけど。なんか危ういな」
「でも、受けられない仕事なのは事実だから、仕方ないわ」
三日後、冒険者の間で噂が流れる。冒険者が浮かない顔で噂する。
「聞いたか? 『賢者の調合書』に載っている薬が効かないらしいぞ」
「聞いたよ。でも、原因は調合に使ったアルカキストの水にあるって話だ」
おっちゃんは噂の出所が気になったので調べた。噂の出所は反解呪組合の有志一同だった。
(ヤーゴはん、まずいで。おっちゃんが調べただけで、すぐに情報元が割れるなら、解呪組合は黙っておらんやろう。全面対決する気かもしれんが、時期尚早や)
おっちゃんの心配した翌日、アルカキスト薬学院が声明を出した。
「賢者の調合書に載っている抗疲労薬を作成して格安で販売します。薬が効くか効かないか、試してください」
アルカキスト薬学院は公開された広場で薬を作る。その場で市民に薬を販売し、市民に効果を体感してもらうイベントを発表した。
反解呪組合有志も、それならばと、同じ製法で水だけを変えて作って抗疲労薬を造って売ると発表。
アルカキスト薬学院対反解呪組合有志による戦は街の人間の手に委ねられた。
(アルカキスト薬学院の後ろに解呪組合がいる現実は眼に見えとる。解呪組合が負ける戦いをするとは思えん。ヤーゴはん、大丈夫やろうか?)




