第三百二十八夜 おっちゃんと鶏泥棒
朝起きると、日課になっている『通訳』の魔法を唱える。冒険者ギルド併設の酒場でホウレン草のソースが掛かったオムレツを頼む。
地元ではアルカ風オムレツの名で呼ばれている。アルカキストは養鶏が盛んであり、市場には新鮮な鶏の卵が豊富に供給されていた。
アルカキストでは鶏の肉が一番安く、豚や山羊の肉は高級品である。牛はほとんど飼育されておらず、宗教行事にのみ使用されていた。アルカキストは比較的物価が安く、一日に銀貨が三枚もあれば生きていけた。
日々の情報を仕入れるために、テレサに尋ねる。
「おはよう、テレサはん。何か一人でもできて、日銭が稼げるような仕事、ないかな?」
「ちょうど一件、おあつらえ向きの仕事があるわよ」
「運がいいな、どんな仕事や」
「鶏泥棒の調査よ。養鶏家の小屋が荒らされて困っているんだって。泥棒を捕まえられたら、銀貨十枚よ」
「泥棒の被害って、どれくらいなん」
テレサが穏やかな顔で、すらすらと告げる。
「二日に一回程度で、鶏が一羽いなくなるんですって。もう、これで四羽目、現場に屍骸がないから、野生動物の仕業じゃないわね。悪戯にしては悪質だから養鶏家が困っているのよ」
仕事の内容と報酬の額からいって、誰も引き受けたがらない仕事やな。
(大して危険そうな仕事やない。どこぞの、不良青年の度胸試しやろうか。冒険者が出て行くほどではないが、悪いことは悪いと、教えてやらなあかんな。悪の道は入ると、どこまでも転落する事態もあるからな)
「どうせ暇やからおっちゃんが引き受けても、ええで」
「よかった。引き受け手がいなくて困っていたの。助かるわ」
テレサから養鶏家の家を教えてもらう。養鶏家の家を訪ねる。
「冒険者ギルドから来ました。おっちゃんいう冒険者です」
作業用の茶の質素な服を着た、四十代半ばの太目の女性がでてくる。
(養鶏家の女将さんやな)
養鶏家の女将さんが機嫌よく対応する。
「まあ、確かに、おっちゃんやね。誰かの悪戯だと思うけど、よろしく頼むよ。家の鶏はれっきとした財産だからね」
鶏舎に案内してもらう。鶏舎は縦が二十五m、横が十五mで、五棟が建っていた。
どの鶏舎もしっかりとした造りで、高さ百二十㎝の柵で囲われており、柵には閂がある。
(柵は越えようと思うたら越えられない高さやないな)
柵を開けてもらい、鶏舎の周りを確認する。
鶏舎の壁に穴はなく、地面も掘られた形跡がなかった。鶏がいなくなったのなら獣の仕業とは考え辛かった。
「状況はわかりました。ほな、今夜から見張らせてもらいますわ」
女将さんが頭を下げる。
「よろしく頼むよ」
おっちゃんは昼間に仮眠を摂る。
鶏舎五棟を監視できる場所に納屋があった。夜中に納屋に隠れて、鶏泥棒が来るのを待った。夜も更けてきた頃、鶏舎に向かう一人の人影を見た。
鶏泥棒は隠れているつもりだが、おっちゃんから見ればまるわかりだった。鶏泥棒が鶏舎に入り、鶏を抱えて出てくる。
おっちゃんはすぐには捕まえずに、追跡を開始する。追跡してすぐに、おっちゃんは生ゴミのような悪臭に気がついた。
悪臭は風上にいる鶏泥棒からしていた。
(なんや、不良少年の悪戯かと思うとったが、喰うに困った浮浪者の泥棒か)
人影はそのまま郊外にある廃棄された鶏舎の中に入る。
おっちゃんは鶏舎の入口から中を窺う。鶏泥棒は一人だった。鶏泥棒が鶏を絞めようとしているところだった。
「こら、鶏泥棒、鶏を返さんか!」
おっちゃんの大きな声に鶏泥棒が驚く。おっちゃんが光の魔法を空間に放つと、十二歳くらいのボロを着た子供の姿が浮かび上がった。
周囲に素早く視線を走らせるが、仲間はいなかった。
(なんや、浮浪児かいな。浮浪児かて独りでは生きてはいけん世界や。でも、仲間がおらんで)
浮浪児から唸り声がする。浮浪児の顔がみるみるうちに狼へと変わり、体に体毛が生える。
相手はワー・ウルフの子供だった。ワー・ウルフの子供は敵意を剥き出しにした。
鶏が暴れると、ワー・ウルフの子供は鶏を放す。
ワー・ウルフの子供は、斬れるかどうかわからないほどの粗末な短刀を手にした。ワー・ウルフの子供はある程度の場数を踏んでいるようだったが、おっちゃんから見れば素人同然だった。
おっちゃんは武器を抜かない。
「まだ、子供やないか、大人はどうしたん?」
おっちゃんの言葉にワー・ウルフの子供は唸り声で応えるだけだった。
そこで、おっちゃんは顔だけ狼に変える。
「ほら、これなら、どうや」
ワー・ウルフの子供から唸り声が止んだ。
おっちゃんは呼び掛ける。
「なんぞ、訳ありのようやな? よかったら話してみい。相談に乗るで」
ワー・ウルフの子供は戸惑ってから、武器をしまった。
おっちゃんがワー・ウルフの子供に近づくと、強い悪臭がした。
「なんや、しばらく風呂に入っておらんようやな。飯も、ろくに喰えてもおらんのやろう。よし、待っていろ。今、なんか食い物を持ってきたる。ただ、鶏は回収するで。これは他人のもんやからな」
ワー・ウルフの子供は弱った顔で頷く。
おっちゃんは鶏を回収すると、いちど鶏舎に戻って柵の内側に鶏を入れておく。
冒険者ギルドに戻ると、適当に保存食と温かい料理を買って、ワー・ウルフの子供の許に戻った。
ワー・ウルフの子供に温かい食事を渡すと、ワー・ウルフの子供は勢いよく食べる。
「可哀想に碌に食べてなかったんやな。よし、喰い終わったら、風呂に連れていってやるわ」
ワー・ウルフの子供が悲しそうな顔をする。
「駄目なんだ。この匂いは落ちないんだ。この匂いは呪いなんだ。森で呪われた木の実を食べたから、この匂いは洗っても落ちないんだ」
「そうか。もしかして、その匂いのせいで、仲間の村を追われたんか」
ワー・ウルフの子供が力なく頷く。
「お前がいたら、狩りもできなければ、すぐに人間に気付かれるって、拒絶された」
「そうか。なら、おっちゃんが呪いを解いてやるわ」
「できるの?」とワー・ウルフの子供の顔が、驚きと不安に満ちた。
「本当は秘密にしたいけど、事情が事情や、特別やで」
ワー・ウルフの子供が真剣な顔で頷いた。
おっちゃんが『解呪』の魔法を唱えた。ワー・ウルフ・の子供から悪臭が消えた。
「これで、どうや、仲間の許に帰れそうか」
ワー・ウルフの子供は涙を浮かべて何度も頷いた。
おっちゃんは保存食を差し出した。
「ほら、ここに保存食がある。これを持って仲間の許に帰り。もう、人間の鶏を盗んだらあかんで」
「ありがとう」とワー・ウルフの子供は涙をぽろぽろと流した。
ワー・ウルフの子供と別れると、養鶏家の許に戻った。
朝になったので女将さんに報告に行く。
「すんまへん。昨日、鶏泥棒を捕まえました。せやけど、複雑な事情を持つ家庭の子で、話を聞いたら可哀想で、逃がしてしもうた。もう、やらないと誓ってくれたから、泥棒に来ないと思います。せやけど、逃がしたから依頼は失敗しました」
女将さんは苦い表情のまま黙った。
おっちゃんは懐から銀貨五枚を取り出す。
「これは盗まれた鶏の代金です。これで弁償しますから、今回の件は目を瞑ってください」
女将さんが呆れた顔で告げる。
「おっちゃんと言ったね。その銀貨、子供が払ったものじゃないね。泥棒を逃がした上に、銀貨まで置いていくって、どこまでお人好しなんだい」
おっちゃんは黙って頭を下げた。
女将さんが渋い顔で告げる。
「いいよ。銀貨は要らないよ。でも、泥棒を捕まえられなかったから、報酬はなし。それで。おしまいにするよ。うちもこれ以上の被害が出ないなら諦めるよ」
「すんまへん」と、おっちゃんはもう一度、頭を下げた。