第三百十一夜 おっちゃんと巨大な物体
『嵐鳥』は七日間でだいぶ回復した。されど、『嵐鳥』はレストランの料理を気に入ったのか、島から出ていかなかった。
ひとたび怒って鳥の姿になれば大嵐を呼ぶので、無理に出ていけとも命令できない。
(なんか、島に大きな爆弾を抱えさせるような事態になってしもうたな)
かくして、『嵐鳥』は、おっちゃんの金で宿に泊まり、おっちゃんの金で飲み食いをする。
奇抜な格好で目に付く『嵐鳥』は街ではいつしか、おっちゃんの愛人のストームさんとして噂される状態になった。
『嵐鳥』には小遣い程度の銀貨を渡して、おっちゃんは放っておいた。
冒険者の店で椰子酒を飲んでいると、アルティが確認するかのように話し掛けてくる。
「おっちゃんって、ストームさんみたいな女の人が好みなんですか」
(完全な誤解なんやけどな。真実を話すわけにいかんからな)
「ちゃうよ。ストームはんは兄貴の娘。おっちゃんからしたら姪や」
「ふーん」とアルティは口にするが、顔にはありありと疑いの色が出ていた。
冒険者ギルドの扉が開き、ターシャが機嫌よく入ってきて、おっちゃんの横の席に着く。
「論文を、サバルカンドのギルドに送ったわ。『嵐鳥』に関する論文が認められれば、弟子の面目躍如よ」
「そうでっか。認められるとええですな。お師匠さんも、どこかで見ているかもしれへん」
ターシャはにこにこしながら話した。
「でも、北方賢者の弟子として立ち止まってはいられないわ。次は『島魚』の生態調査をするわ」
「もう次の論文に懸かるんでっか? 少し休んでもええんとちゃいますか?」
ターシャがにこやかな顔で命じる。
「情熱が消えないうちに行動するのが成功の秘訣よ。論文は書けるときに書いておかないと。というわけで、明日の昼に浜辺に集合ね。海中に行くから泳ぎ易い格好で来て」
翌日、おっちゃんは海水パンツを穿いてベルトポーチを着け、パーカーを羽織って行った。
ターシャもビキニ型の水着を着て、パレオを腰に巻いて、上からパーカーを羽織っていた。
二人で島の人が来ない場所に移動する。ターシャは海面に近づくとなにやら呪文を唱えた。
海中から上部に突起がある、全長五mの大きな樽のような物体が浮上した。
「なんですの? この、けったいな物体は?」
「海中を探索するための潜水艇よ。ここから入るのよ」
潜水艇の突起からターシャが内部に入る。
おっちゃんもターシャに続いて中に入った。中には前後で座席が二つあり、前面にはいくつかの計器が付いていた。
内部を見て思い当たる品があった。
(これは、あれや。ダンジョン通販のカタログにあった奴や。ダンジョン製のむっちゃ高価な乗り物やん。こんなの、一介の魔術師がそう簡単に所有できる物やないで、ターシャはん何者なんや?)
おっちゃんの心中をよそに、ターシャが元気よく発言する。
「さ、出発するわよ。いざ、行かん。海底の神秘へ」
ターシャがペダルを踏むと、潜水艇は前に進み出し、ゆっくりと海中に潜行を開始した。
数mも潜行すると艇体の上半分が透明になった。また艇体には六箇所の魔法の灯が点いているので、海中を見渡せた。
「半端なく金が掛かっとる」が、おっちゃんの感想だった。
おっちゃんは初めて乗る潜水艇にいい気がしなかった。
「ターシャはん。こんな乗り物を使わんでも、ターシャさんなら人魚になれますやろう。おっちゃんも魔法で魚人に変身しますから、泳いでいかへん?」
ターシャはおっちゃんの言葉を軽い調子で否定する。
「泳いで行くより、潜水艇のほうがずっと速いし楽よ」
潜水艇が海中を進むこと二時間。ターシャが嬉しそうな顔をする。
「探知機に反応があったわ。かなり大きな物体が、海中を移動中よ。『島魚』よ。これより接近するわ」
「いきなり近づいて、危なないの?」
ターシャが気楽に答える。
「大丈夫よ。『島魚』からすれば、全長五mの物体なんて、少し大きな魚みたいなものよ」
ターシャはハンドルとペダルを操作して進行方向を変える。
近づくと、相手は山ほどの大きさがある岩のような塊だった。
「これが、島魚かー。随分とでかいのお。まるで海中を移動する山のようや」
艇内に甲高い警告音が鳴り響いた。艇体が突如として衝撃を受けて大きく揺れた。魔法の灯が消えて、艇内に赤い光りが灯る。
「なんや、どうしたんや」
ターシャが焦った声を出す。
「魔法による攻撃よ。潜水艇が攻撃を受けたわ。あれは『島魚』ではないわ。あれは、巨大な建造物よ」
(『海洋宮』がやって来たんか。ダンジョンならまずいで。オープンしとらんなら、向こうはなんでもありや)
ターシャが潜水艇のペダルを目一杯に踏み込んでハンドルを操作する。
再び警告音の後に潜水艇が大きく揺れた。壁に亀裂ができて海水が潜水艇内に入ってくる。
ヒビの入った透明の壁には、こちらに向かってくる半魚人の集団が見えた。
「半魚人が追ってきとる。このままやと、追いつかれる」
潜水艇は半魚人に背を向けて逃げ出すが、半魚人は追って来ていた。
浸水しながらも前に進む潜水艇を半魚人が狙ってくる。潜水艇内に警告音が鳴り響く。
「海流に乗って引き離すわ」
ターシャの発言と共に艇体が加速する。
振り切れるかと思ったところで、ターシャの緊迫した声が響いた。
「だめ! 艇体が破壊される」
すさまじい衝撃を受けて艇体がバラバラになった。おっちゃんはターシャの傍に行こうとした。
速い海流に乗っていたために、身動きがままならない。ターシャと離される。
おっちゃんは魚人に変身して全速でターシャを追おうとした。されど、数秒で引き離され、ターシャを見失った。
「これは、まずい事態になったで」
おっちゃんは『物品感知』の魔法を唱えて、対象に水着を指定する。けれども、ターシャの物と思しき反応がなかった。
「ターシャはんが着ている水着は特殊な魔法が掛かった水着か。これ、見つけられんぞ」
それでも、おっちゃんは探せる範囲を目視で探した。
暗くなるまで捜索したが、ついにターシャを見つけられなかった。念のために半魚人の村に顔を出す。人を捕えておく檻の近くまで行く。
檻の近くには見張りはおらず、檻の中も空だった。
ターシャは魔術師だ。もしかしたら、潜水艇が破損した際に魔法を使って、水中で呼吸できる魔法を使っていたかもしれない。
こればかりはターシャの実力がものを言う。だが、ターシャの実力は不明なので淡い期待でしかなかった。
おっちゃんは暗い気持ちで、朝焼けのポルタカンドに戻った。