第二百九十九夜 おっちゃんと追加褒賞
暗がりの中、一匹の黒猫が暗い遺跡の通路を歩いている。黒猫の耳の裏には小型の魔道具が着いていた。
黒猫はある扉の前まで来ると、立ち止まり辺りを確認する。黒猫はそっと扉を押し開けた。
部屋の中には籠に入った赤ん坊ほどある大きな紫色のボールがあった。黒猫は辺りを警戒しつつボールに近づく。黒猫の姿が歪むと一人の裸の男性に変化した。
男性の身長は百七十㎝。歳は四十四と行っており、丸顔で無精髭を生やしている。頭頂部が少し薄い。おっちゃんと名乗る冒険者だった。おっちゃんはボールをそっと抱える。
おっちゃんは『シェイプ・シフター』と呼ばれる姿形を変化させられる能力を持ったモンスターだった。
天井からさらさらと砂が降ってきた。おっちゃんは危険を感じて、ボールを抱えて飛び退く。
おっちゃんのいた場所に大量の砂が一気に落ちてきた。
「まずい、見つかったか」
おっちゃんはボールを手にドアを開けて廊下に飛び出た。背後をちらりと見ると、砂の塊が雪崩のような形状でおっちゃんを追ってきていた。
相手は砂状の体を持つ魔物だった。砂状の魔物はおっちゃんが狭い通路に入っても変化できる形状を活かし、波のようにおっちゃんを追っていた。
通路が上り坂に来たところで、おっちゃんの耳の後ろにつけた小型の魔道具から女性の声がする。
「そこを真っ直ぐ行った場所に窓があります。窓からボールを持って跳んでください」
「了解や。アイヌルはん、場所を間違わんといてや」
おっちゃんは後から追ってくる砂の塊に追いつかれないように走る。
通路の先に日の光が差し込む場所が見えた。光りは直系一mの円形の窓から差し込んでいた。
窓の遙か下には地面があった。されど、おっちゃんは迷うことなく窓から、ボールを持って飛んだ。
おっちゃんの体が地面に向って落下する。半分ほど落下したところで、おっちゃんの体は不自然に減速する。最後には羽毛が落下するようなゆっくりとしたスピードで、地面に到達した。
地面に降り立つと、黒髪で褐色の肌をした二十代後半の女性のアイヌルが近寄ってくる。
おっちゃんは、すぐにアイヌルにボールを手渡した。
「アイヌルはん、このボールの中に、村人の魂が入っとる」
アイヌルは真剣な顔で頷く。アイヌルはすぐにボールを持って、現場から駆けてゆく。
ドサッと何かが背後に降って来る音がした。
振り返ると、砂の小山があった。砂の小山は身長四mの巨人の姿を採ろうとする。
「ほんま、しつこいやっちゃな。セバルはん、頼むで」
おっちゃんの合図で、魔法で岩山に偽装した地形が解除される。三十人からなる武装した冒険者の一団が姿を現す。三十人を指揮する人間は青い髪と黄色の眼を持つ青年のセバルだった。
「聖油投擲開始」
セバルの掛け声で、三十人の武装集団が聖油の入った壺を砂の巨人に投げつける。
油壺は次々と砂の巨人の体に命中し、砂の巨人は聖油まみれになる。砂の巨人は砂嵐に形状を変えて逃げようとするが、時既に遅し。聖油を含んだ体は砂同士がくっつき、容易に崩れない。
おっちゃんは『着火』の魔法を唱える。おっちゃんは魔法が使えた。どれくらい使えるかといえば、小さな魔術師ギルドのギルド・マスターと同じくらいに使える。
砂の巨人に火が着く。砂の巨人は体を中途半端な人型に変化させたまま、のたうつ。
セバルたち冒険者の一団はなおも執拗に燃え盛る砂の山に聖油の壺を投げ込んでいく。
砂の巨人はそのまま、炎の塊になると絶叫した。燃え盛る砂の山から、砂に憑依していた亡霊が現れる。亡霊は日の光を浴びると、燃え尽きるように消えた。
後には燃える砂の山が残り、冒険者一団から歓声が上がる。
おっちゃんは威勢よく声を上げる。
「よっしゃ、ハガンの亡霊を退治した。村人の魂も戻ってきた。これで一件落着や。村に戻って祝勝会をやるで」
おっちゃんは下着を着用して、通気性の良い長袖の服と革鎧を着る。手袋をして革靴を履き、腰には細身の剣を佩く。いつもの姿に戻ると、セバルたちと一緒にニコルテ村に帰還した。
ニコルテ村は砂の街バサラカンドから徒歩で四時間ほど行ったところにある大きな村である。
人口は七百人ほど。木乃伊が二百人に人間が四百人で、あとは異種族が暮らしている。石材業や霊園業が有名で、特産品としてバサラ・ラヴェンダーの線香がある。
ニコルテ村は裕福な村だった。石造りの家は三十軒を超え、村には集会場もあった。
集会場での祝勝会を終えると、おっちゃんは村長宅であるアイヌルの家に向かった。
家に着くと、アイヌルがラヴェンダー茶を入れてくれる。
「気が利くな、ありがとう。それにしても、たった一年、見ないだけで村はずいぶんと立派になったな」
アイヌルが明るい顔で告げる。
「そうですよ。一年の間に村人も増えて家も建ちました。バサラカンドの景気は停滞気味ですが、村は順風満帆です」
「そうか、ほな、おっちゃんもそろそろ家を建てようかな」
アイヌルが寂しそうな顔で訊く。
「でも、ニコルテ村でいいんですか? おっちゃんは、その、国王になるんでしょう?」
「セバルはんの話やと、まだ金貨が貯まってないらしいから、あと二年くらいは国王の話は、なしや。それに国王に長く留まるつもりもない。おっちゃんは冒険者やからな。またきっと冒険をしたくなる」
アイヌルがしんみりした顔で告げる。
「そうですか。なら、冒険が終わったら帰ってくる場所があっても、いいかもしれませんね」
一夜が明けて朝になると、村が騒々しくなった、なにがあったと思って外を見る。
護衛を引き連れた王家の馬車が止まっていた。
村長の家のドアをノックされたので開ける。
護衛の騎士を連れたヒエロニムス国王が立っていた。
国王が軽い調子で挨拶をする。
「サドン村で会談があった帰りなのだ。顔が見たくなったので寄らしてもらった。上がってもいいかな?」
ヒエロニムス国王の訪問にいい気はしなかった。だが、断るのもなんなので、声を掛ける。
「ええですけど、狭い家ですよ」
国王はしれっとした顔で気軽に発言する。
「気にするな、すぐに帰る」
国王は三名の騎士だけを連れて家に上がってきた。
突然の来客にアイヌルが驚く。
国王は出されたラヴェンダー茶を飲みながら、リラックスした様子で会話を始める。
「時に、おっちゃん。ヤングルマ島の探索ご苦労だったな。島には一年のうち春しか行けないそうだが、問題はない。小さくとも貿易港となりそうなオウルカンドの足懸かりを築いてくれたのも、嬉しい誤算だ」
「キャンプ地を整備して港にするんでっか? 確かに、あの辺りならマレントルクと貿易するのに有利やろうな」
「いずれは、サレンキスト国の港も開港してもらえるよう要請する。ヤングルマ島とガレリアとの貿易は活発になるだろう。そうすれば、国内に充分な金が落ちる。で、そこでだ」
おっちゃんは国王の言葉に身構えた。
国王が笑って発言する。
「そう、身構えるな。別に厄介な仕事を押し付けようとしたりはしない。むしろ、思ったよりよく働いてくれたので、追加の褒美を取らせようと思う」
(怪しいの。ほんまに褒美か? また厄介な仕事を押し付けよう、いう魂胆やないやろうか?)
「褒美でっか。中身は、なんですか?」
「西大陸と東大陸の間にあるイデア海にあるポルタカンド島を我がガレリアは所有している。ここは貿易港にはなっていないが、穴場の観光地だ。おっちゃんには、ポルタカンド島への旅行をプレゼントしよう」
「褒美として、観光旅行でっか? 悪い話ではありませんね」
(普通なら褒賞として貰っておいてもええけど、どうもヒエロニムス国王の話やから、なんか裏がありそうな気がするの。でも、国王からの褒美を断る名目はないのが、辛いところやな)
ヒエロニムス国王は柔和な顔で訊いてくる。
「なんだ、あまり嬉しそうではないな。なにか不満があるのか? 路銀も滞在費も、きちんと王国で出すぞ。遠慮なく羽を伸ばすといい」
おっちゃんは渋った。
「不満は、ありませんけど。でも、旅から帰ってきたばかりやからなあ……」
「そうか。なら、すぐにも出発したほうがいいだろう。あまり、長く村に滞在すると、動くのが億劫になる。ポルタカンド島はいい場所だ。きっと気に入るだろう」
ヒエロニムス国王は後ろの騎士に声を掛ける。
「おい、おっちゃんをマサルカンドまで護衛してやれ。マサルカンドからは定期便が出ているから、それに乗るまでくれぐれも目を離すではないぞ」
「了解しました」と騎士が畏まって応じる。
おっちゃんは展開の早さに驚いた。
「今から、でっか?」
「出立は早いほうがいい。マサルカンド行きの馬車も貸そう。では、バカンスを充分に楽しんで来るといい」
ヒエロニムス国王は言いたい内容を話すと、騎士を残して帰っていった。
かくして、おっちゃんは、その日の内にニコルテ村を出て、強行軍でマサルカンドまで運ばれた。その後、ポルタカンド島行きの船に乗せられた。