第二百九十七夜 おっちゃんと巨人の夢
視界が暗くなり、次いで体がどこかに落下する感覚が訪れた。
(まるで冥府へと続く穴の中を進んでいるようや、巨人の見る夢の世界ってどんな場所やろう)
どこまでも落ちていく感覚の果てに、体が減速して光る世界に落ちる。
おっちゃんの前には百mを超える巨大な『願いの木』があった。『願いの木』には、実がついていた。
木の実が落ちると地面に吸い込まれるように消える。木の実は次から次へと稔り地面に落下してゆく。
地面を調べる。地面は柔らかで、それでいて暖かかった。
『願いの木』の実が地面に吸い込まれて消えるたびに、どこからか小さな声で「ありがとう」の声が聞こえていた。
木の根元に白い服を着た誰かがいた。おっちゃんは白い服の人物に近づく。そこには安らかな顔で眠っている老婆がいた。
「そのお方がユーリア様じゃよ」
背後で声がした。後ろを振り返ると、小さな木のテーブルと椅子が二脚あった。
椅子の一つには魔人のベルポが腰掛けていた。
「あれ、ベルポはん? なんで、ここにおるん?」
ベルポが、しれっとした顔で告げる。
「儂は最強の魔人じゃぞ。六つの試練を潜り抜けるなど、造作もない仕事よ」
「そういえば、ベルポはんは島の外から赤髭はんと一緒にやって来たというたな。でも、ベルポはんが巨人の夢に入る資格を持っていたとは、赤髭はんは教えてくれんかったで」
ベルポが事も無げに発言する。
「知らないはずじゃよ。儂が資格を取った時には赤髭船長は既に島を去っていたからな」
「でも、ベルポはん。魔人の中では死んだ、いう話になっとったで」
ベルポは気楽な顔で軽い調子で発言する。
「そうじゃよ。儂は死んだ。だが、死ぬ前に『クスクス』を使って、肉体と精神を切り離した。巨人の夢の中なら、精神体だけでも、しばらくは存在できるからな」
「前に会った時には既にお亡くなりになっていたんでっか」
ベルポが神妙な顔で告げる。
「その通りじゃ。だが、『幻影の森』は夢と現世が交わる場所。エルチャの夢に潜入して、おっちゃんを導いた。おっちゃんに夢を見させ記憶を改竄するために、頭痛をこしらえたりもした。ゲタの夢にも介入した」
「ベルポはんは、ベルポはんで色々苦労していたんやな」
ベルポは悲しげな視線をユーリアに向ける。
「全ては死してもなお、島の行く末を案じたユーリアを思っての決断じゃった」
「そうでっか。そんでな、今、赤髭はんが、ユーリアはんの亡骸を引き取って弔いたいと、外に来ているんよ。ユーリアはんの亡骸を外に連れ出してええやろうか?」
ベルポは悲しそうな顔で告げる。
「やめておけ。ユーリアの体は巨人の夢の中だから原形を留めている。だが、外に出れば一気に巨人の夢の力で留めた時間が押し寄せる。すぐに、ボロボロになるじゃろう」
「ほな、赤髭はんにユーリアはんを会わせるには、どうしたらええの?」
ベルポが神妙な面持ちで告げる。
「儂もここから出れば精神体を保てないじゃろう。精神体を保ちつつ、巨人の夢を管理する仕事は難しい。うまくいかず、地震の発生を許した過去もある。赤髭船長におっちゃんの持つ資格を譲渡するしかない」
「そうか。なら、ちょっと外に戻るわ。すぐに、赤髭はんを寄越すから待っていてな」
「待て、おっちゃんよ。ユーリアが口にしていた。おっちゃんさえ良ければおっちゃんが巨人に夢を託していい、と。このまま赤髭船長に資格を渡さねば、おっちゃんはヤングルマ島の神になれるのだぞ」
「おっちゃんは、しがない、しょぼくれ中年冒険者や。神様にならんくてよろしい。分相応に生きてられたらそれでええ」
ベルポが優しい顔で告げる。
「欲のない奴だな。ならば、行くがよい」
空間にドアが出現した。おっちゃんがドアを潜ると、溢れる暖かい光に包まれた。
気が付くと、おっちゃんは、座禅を組む巨人の足元にいた。
赤髭が落ち着きのない顔で尋ねる。
「誰がいたんだ? ユーリアはどうした?」
「ユーリアはんの傍におった人物は魔人のベルポはんの精神体やった。ほんで、ユーリアはんは、巨人の夢の中でしか体を保てない状態や。ベルポはんは、まだ綺麗なうちのユーリアを赤髭はんに見て欲しいらしい」
赤髭が安堵した顔で告げる。
「そうか、ベルポが守っていたのか。あいつは、ユーリアに人一倍、懐いていたからな」
おっちゃんは、紋章の入った左の掌を差し出す。
「そんで資格の譲渡って、どうやるん?」
「選ばれし者同士の間での資格の譲渡なら、簡単だ。俺の左掌に、おっちゃんの掌を重ねて、譲渡を願えば、資格は移動する」
言われた通りにすると、おっちゃんの掌の紋章が赤髭の掌に移った。
赤髭は掌の紋章を確認すると、気軽に発言する。
「それじゃあ、ユーリアの許に行ってくる」
赤髭が巨人の手までするすると上がると、光る球体の中へと消えた。
おっちゃんは台所から綺麗なグラスを持って来ると、テーブルの上に余っているワインボトルからワインを注いで飲む。
サリーマやヤスミナの前にグラスがないので尋ねる。
「ワインは嫌いか、サリーマはん、ヤスミナはん?」
サリーマもヤスミナも、ワインを拒絶するように暗い顔で首を横に振った。
「そうか。言っておくが、おっちゃんは赤髭はんが帰ってきても、巨人の夢を継ごうとは思わん。もちろん、おっちゃんが嫌な仕事は人にも強要せん。二人は、どうするつもりや?」
二人とも目を合わせず、無言になった。
(無理もないか。巨人の夢を引き継げば、この島の神になれる。せやけど、神になれば、孤独な時間が訪れる。かといって、どちらも手を挙げないなら島は崩壊する)
おっちゃんは最後の手段として、資格を赤髭から返してもらった後に、セバルたちに話を持って行く案を検討し出していた。
(国を欲しがる呪われた民なら、神になって失われた故郷を再現しようとする人間が現れるかもしれん。それまで、ヤスミナかサリーマに継いでもらって、候補を探すしかないな。島の環境は大きく変わるかもしれんが、崩壊よりはええやろう)
おっちゃんは船に乗ってきた人間の顔を浮かべながら、誰なら話を任せられそうか考える。
「私がユーリア様の夢を引き継ぐわ」
暗い顔で俯いていたヤスミナが、ポツリと喋った。
「ほんまに、ええんか? 巨人の夢を託している間は巨人の夢からは出られないんやで」
ヤスミナは、寂しげに微笑む。
「でも、ヤングルマ島が崩壊するよりは、いいです。私が夢を継いで、今日と変わらぬ明日を皆に迎えさせる。マレントルクは私にとって大切な街だもの」
「そうか、ヤスミナはんが引き受けるなら止めはせん」
ヤスミナが硬い表情で頷いた。
(ヤスミナはんが決心を決めたか。なら、無粋な言葉は無用やな。ヤングルマ島の未来は島の人間が決めたらええ)
しばらくすると、赤髭が出てきた。赤髭は何も言わずにソファーに腰掛ける。
「最後にユーリアを抱きしめてやることができた。おっちゃん、礼を言うぞ」
「そうか。それはよかったの」
赤髭が決心した顔で告げる。
「それで、この島の今後だが、しばらくは、俺が神に返り咲こうと思う」
「なんやて? 赤髭はん、ほんまにそれでええのか?」
赤髭が照れたような顔をして、軽く両膝を叩く。
「ああ、柄にもなく、ユーリアの最後の願いにほだされた。しばらくはこの島は俺が守る。それでどうだろう?」
「お願いします」とヤスミナが泣きそうな顔で申し出た。サリーマが安堵した顔で息を吐いた。
「なんとか、うまく納まったようやな」
(赤髭はんの性格なら、やはり、また島を出たくなる時が来るやろうな。だが、赤髭はんが去る時は、ずっと後や。その頃には、サリーマやヤスミナがどうなっているか、わからん。未来はその時に島にいる人間で決めればええ)
巨人が眠る場所に神は戻った。かくして、ヤングルマ島の歴史は続く。