第二百八十九夜 おっちゃんと『幻影兵』
翌日、おっちゃんは港を見に行った。
港も少なからず被害を受けていた。船が陸に打ち上げられ、衝突した船同士が大きく破損していた。残骸や打ち上げられたゴミが港に溢れていた。
魚屋に行ってみると、魚屋も片付けの真っ最中だった。
「えらい災難でしたな」
魚屋の主人が渋い顔をして答える。
「せっかく魚が戻ってきたと思ったら、昨日の地震だよ。見ての通り今日は休業だ」
おっちゃんが背を向けると、魚屋の主人は誰に愚痴るでもなく、言葉を出す。
「でも、俺は諦めないよ。親子六代やってきた魚屋だ。俺の代で潰して堪るかってんだ」
宿屋に戻ると、グリエルモが戻ってきていた。
「グリエルモはん、無事でなによりや。津波の被害が港だけで済んでおったけど、あれはグリエルモはんの働きか」
グリエルモが「当然だ」といった顔で語る。
「地震が来た後、津波が来ると予想した。潮流を操る魔法でできるだけ潮位を下げておいた」
「ご苦労やったな。そんで、魔道具のほうはどうや? 解明できそうか?」
「造りは単純だったよ。長くて一週間もあれば解明できそうだ」
「そうか。なら、引き続き魔道具の解析を頼むわ」
おっちゃんはグリエルモと別れると、街でやっている商店がないか探しに行く。
街ではすでに兵隊が復興作業をやっていた。
おっちゃんは最初「なかなか規律の採れた軍隊だ」と思った。ところが、しばらくすると異様な点に気がついた。
作業に当っている兵士の間にほとんどいって会話がなかった。ただ、上長の指示の許で黙々と作業をしていた。
試しに「精が出ますな」とか「大変ですな」とか声を掛けても、兵士からは答が返ってこなかった。
おっちゃんが不思議に思って近づくと上長が抗議する。
「おい、『幻影兵』の邪魔をするな。襲われても知らんぞ」
(なんや、『幻影兵』って? 知らん言葉や)
『幻影兵』について聞きたかったが、怒られたばかりなので、現場を後にする。
他の現場でも同じような感じだったので『幻影兵』を観察する。『幻影兵』は姿容も皆、同じで、顔も同じだった。
(これ、ちょっと、気味が悪いで)
結局、開いている商店は見つからなかった。おっちゃんはシャイロックに会いに館へ行く。
館は大勢の人で混雑していた。シャイロックが次々と兵士や士官から報告を受けて、命令を飛ばしていた。
(これは、話し掛けられる雰囲気やないね)
おっちゃんが帰ろうとすると、話し掛けてくる人物がいた。議員のベルンハルトだった。
「ガレリアのオウル殿でしたか。どうやら、ご無事のようですな」
ベルンハルトはシャイロックと違い暇そうだったので、話し相手になってもらう。
「おかげさまで。それにしても、このたびはとんだ災難でしたな」
ベルンハルトは沈んだ顔で答える。
「全くです。開通が間近だった巨人の夢へと至る大門への道は塞がり、港の船の半分以上が使えなくなりました。街への被害も甚大です。死者は百人以上になるでしょう」
「けっこうな被害ですな。ガレリアが近ければ救援の手を差し伸べられることもできますが、どんなに急いでも往復で一月は掛かりますからな」
ベルンハルトは毅然とした顔で発言した。
「援助は無用。これも、島に危機が訪れれば起きる事態と認識しておりました。ただ、やはり起きてしまうと痛手ですが」
「そういえば、サレンキストでは『幻影兵』と呼ばれる者を使こうとるらしいですな。街で見ましたが。あれはなんですか?」
ベルンハルトが自慢気に語る。
「ご覧になりました『幻影兵』は、魔物の一種です。魔物とはいっても、作成と制御に成功した管理された魔物です。我がサレンキストの精鋭よりは弱いですが、数がいます。有事に立派な戦力になります」
(サレンキストが保持する軍事的なカードやな。ガレリアが侵攻してきても戦えると意思表示したいわけか。こんなときに自慢せんくても、ええやろう)
おっちゃんが黙ると、ベルンハルトが鼻高々に語る。
「『幻影兵』はいくらでも出現させられます。『幻影体』と『幻影兵』が組み合わされば我がサレンキストは損失を出さず、戦争の遂行が可能なのです。ここに、巨人の夢が加われば、いかに敵が巨大だろうと負けません」
おっちゃんはベルンハルトの心の内が読めた。
(ベルンハルトはガレリアと対等な関係を望んでおるのか。それで軍事力を誇示したいわけやな。でも、裏を返せばガレリアを怖れている証拠やな。国が危ない時だからこそ、軍事力を誇示して争いを避けたいわけやな。小さいやっちゃな)
「そうですか。それは中々に勇ましいですな。なら、街の復旧や大門までの道の再整備にも、それほど時間は掛からないでしょうな」
ベルンハルトが胸を張って答える。
「当然です。サレンキストが全てを救い島の頂点に立つ。それこそが正しい姿なのです」
おっちゃんはベルンハルトの態度に胡散臭いものを感じた。
(そんな都合よくは、いかんやろう。『幻影体』にも欠点があった。『幻影兵』にも欠点があるはず。いくらでもできる量産できる便利な兵やない)
おっちゃんが疑問を持つと、議長が横を通り過ぎる。
ベルンハルトが議長に用事があったのか「失礼」と気取って口にして、議長の後を追ってなにかを話し掛ける。
宿屋に戻ると夜遅くにシャイロックが訪ねてきた。
シャイロックは疲れた顔で切り出した。
「おっちゃん。手を貸して欲しい」
「おっちゃんの手を借りたいのか? それとも、ガレリアの手を借りたいのか? どっちや?」
シャイロックは投げやりに話した。
「問題が解決できるなら、どちらでもいい。島の救済計画が、破綻寸前だ。このままでは島は救えない」
「包み隠さずに話してくれたら協力はする。なにが問題なん?」
シャイロックは暗い顔で打ち明けた。
「巨人の夢へと至る、大門への道が地震で崩れた」
「それなら、『幻影兵』とやらを大量に投入して、復旧させたらええやないか。ベルンハルト議員が夢のような内容を語っていったで」
シャイロックが険しい顔で告げる。
「『幻影兵』の繰り出せる数には限度がある。街の復興と大門への道の復旧は同時にはできない。議員たちは道の復旧を急ぐように五月蝿く言うが、地震で受けた被害が多すぎる。犠牲者は五百人規模になる」
「おっちゃんが聞いた数の五倍やな」
シャイロックが辛そうに語る。
「被害が大きく市民生活に多大な影響が明日にも出る。今までも市民にはかなり無理をさせてきた。これ以上の不便を強いれば、反発が必至だ。反発する市民を軍で抑えれば、最悪、紛争に発展する」
「そんで、おっちゃんに何をして欲しいんや?」
シャイロックが忌々しそうに告げる。
「今日、最も懸念していた事件が起きた。『幻影兵』を街の復興に使ったために、せっかく制圧していた『幻影の森』を魔人たちに奪い返された」
「なるほど。大門へと続く道は『幻影の森』の中を通っておる。森を奪還されたら道は使えないし、復旧もできん。木も伐り出せん」
シャイロックが真摯な顔で頼む。
「そうだ。そこで、お願いしたい仕事は、『幻影の森』の奪還だ。魔人の数は五十人もいない。だが、一人一人が、とても強い。厳しい内容になるが、やってもらえないだろうか」
(安易に頼られても困る。それに、他国に隷属を迫るサレンキスト主導の計画は受け入れ難い)
おっちゃんは素っ気ない態度を採った。
「ええけど、高く付くよ」
シャイロックがムッとした顔で訊く。
「なにが望みだ」
おっちゃんは態度を偽って話した。
「実はなおっちゃんたちも、巨人の夢を狙っとるんや。シャイロックはんたちが巨人の夢を取れんかった時は、巨人の夢を渡してもらうで」
シャイロックが怖い顔で、断固とした口調で拒絶した。
「高すぎる。それに、大門への道を切り開いた人間は我らサレンキストだ。後から出てきて、全てを持っていこうとする態度は虫が良すぎる」
「知っているよ。サレンキストは『大門の鍵』を持っておらん。だから、道が復旧しても、大門より先には、進めんやろう。でも、おっちゃんたちは違う。すでに『大門の鍵』を入手しとるんよ」
シャイロックの顔が驚きに変わった。おっちゃんは言葉を続ける。
「つまり、門までの道のりはシャイロックはんが進める。せやけど、門から先の道はおっちゃんが進める状態なんよ。極論すれば、突貫作業でおっちゃんも大門まで連れて行ってくれたら、おっちゃんが島を救える状態なんやで」
シャイロックが険しい顔で尋ねる。
「『大門の鍵』を売る気は、ないのか?」
「この島の全てが手に入るかもしれんのに、安売りする気はないの。だから、高く付く言うたんや」
シャイロックの顔に苦悩の色が浮かぶ。
「なんてことだ。そんな事態になっていたとは」
「そういうこっちゃ。ええ返事を期待するで」
(冷たいようやけど、今のシャイロックはんの考えでは、ヤングルマ島は救えても先がない)
シャイロックは足取りも重く宿屋を後にした。