第二百八十五夜 おっちゃんとサレンキストの街(後編)
大きな岩山に高さ五m、幅十mの門が付いてた。また、岩山にはいたるところに岩肌を刳り抜いて作った採光用の窓が付いていた。
入口には兵士の姿があったが、別段、止められはしなかった。
馬車が門の中に入っていく。門の中は幅二十mの大きな通りがあった。岩山の中には街があり、いたるところに強く光る魔法の街灯が立っていたので、暗くはなかった。
大通りを進む。街の中は混雑しておらず空いていた。馬車が通るにもすいすい進めた。
街中には商店がいくつもあったが、半分以上の店が閉じていた。
大きな公園の横も通ったが、公園にも人は疎らだった。
「街が大きい割りに、人が少ないですな。皆さん、どこかにお出かけやろうか?」
マルティンの顔がわずかに曇る。
「今はしかたないさ。街の人間の多くは『幻影体』となって、徴用されているからね。戦える者は兵士に、戦えない者は軍需産業に従事している。儂だって、物資を運ぶ仕事を政府から割り当られている」
(なるほど、それで人が少ないんか。にしても、士気は高いようやな)
「国民が一丸となって働いているんですな。勤勉な国民性なんやな」
マルティンが表情も和らかく語る。
「危機が過ぎれば、また昔のようにのんびりと畑弄りをして暮らせるようになるよ。今だけの辛抱だよ。それに、まだ国王が亡くなって、喪が明けていないから、なおのこと街の雰囲気は暗いんだ」
馬車が進むと、港と造船所が見えてきた。
港は岩山の一部を崩して作られていた。岩山に空いた大きな穴からは海に出られる構造になっていた。港には大きな帆船が十二隻、並んでおり造船所でも船が造られていた。
「立派な帆船ですな。外国との往来ができるようになる未来を見越して、船を造っているんでっか?」
マルティンの顔が浮かない顔をする。
「違うよ。あれは、万一、島の救済計画が失敗したときに、ヤングルマ島から脱出するための船だよ。脱出用といっても、国民全員分の船はないから、その時が来たらどうなることやら」
(サレンキスト政府は万一の事態も考えているんやな。サレンキストの荒野には船の材料となる木はないから、『幻影の森』から伐り出しとるな。木の伐り出しも魔人と軋轢の原因かもしれんの)
「サレンキストって人口は、どれほどいるんでっか?」
マルティンの顔に陰が差す。
「サレンキストの人口は四千人くらいだよ。でも、船には千人も乗れればいいと噂されている。儂のような年寄りはいいが、若い人には酷な話だよ」
「島の危機が回避される結果を望むしかないですな」
馬車は造船所に到達する。マルティンは馬車ごと造船所の役人に預けて書類にサインをする。
マルティンが軽い調子で勧める。
「よかったら、宿屋に案内しようか。知り合いが宿屋をやっているんだ。今なら混雑もしていないだろう」
「それは、ありがたいですな。初めての街やから、どこになにがあるかようわからん。教えてくれると助かりますわ」
マルティンは大通りに面した一軒の宿屋に、おっちゃんを連れて行った。
宿屋に入ると、宿屋のまだ年若い女将さんが挨拶してくる。
マルティンが挨拶を返して、おっちゃんを紹介する。
「アンネさん、お客さんを連れてきたよ。海の向こうの外国から来たお客さんだ。おっちゃんと名乗る旅人だよ」
アンネがおっちゃんに微笑む。
「外国からですか、遠いところから来たのね。サレンキストには船で来たの?」
「船でマレントルクに入って、そこから陸路でサレンキストですわ。ちょっとした冒険旅行ですわ。ヤングルマ島は目新しいものばかりで面白いですな」
アンネは気分よく話す。
「今、サレンキストはゴタゴタしているけど、もうじき落ち着くからゆっくりしていくといいわ」
「このお金って使えますかね?」と、おっちゃんは財布の中から金貨と銀貨を見せる。
マルティンとアンネは金貨と銀貨を興味深げに見る。
マルティンが銀貨を手にして、重さを確かめながら口にする。
「随分と大きな銀貨だね。しかも、丸いね。これが、おっちゃんのいた国では普通に流通しているのかい?」
「そうですわ。マレントルクでも大きいと珍しがられました。せやけど、おっちゃんの国では、それが普通に流通しとりますわ」
アンネも金貨を面白そうに見つめる。
「きっと、島の外では金や銀がたくさん取れるのね。だから、こんなに大きいのよ。でも、こんなに大きい金貨や銀貨だと、街で使うには不便ね。後で両替商を呼んであげるから、両替するといいよ」
おっちゃんはマルティンと別れると、部屋に案内してもらう。
金貨を見せたせいか、おっちゃんの部屋は広めの部屋に案内された。
荷物を置くと、アンネから夕食をどうするか聞かれたので、夕食を頼む。
食堂に下りてゆくと、他の泊まり客なのかホイソベルク人が三人ほどいた。
夕食は山羊の脛肉を煮込んだスープに仙人掌とパンだった。煮込まれた山羊の脛肉は柔らかく、パンも温かかった。温野菜風にした仙人掌も美味しかった。
食器を下げにきた時にアンネに尋ねる。
「マレントルクやと『産岩』でアーヤ国やと『始祖の木』から食糧を出すけど、サレンキストではどうしてるんでっか?」
アンネが軽い調子で答える。
「魚は海で、作物は農場で、肉は牧場で生産するのがほとんどだね。『始祖の木』の栽培にも成功したことは一応したんだけど、まだアーヤ国ほどの収量には達しないからね」
「『始祖の木』って、アーヤ国だけの物かと思うたわ」
アンネは自慢するように答える。
「サレンキストは技術の国さ。『始祖の木』『産岩』『幻影の池』についても、解析が進んで、三つとも再現に成功している。ヤングルマ島の三大奇跡が全てあるのがサレンキストなのさ」
「なんや? サレンキストには三つともあるんか? 凄いな」
アンネが苦笑いする。
「まだ技術解析は進んでいないから、『始祖の木』からは食糧、『産岩』からは鉱物、『幻影の池』からは魚しか取れない。収量も少ない。でも、技術解析が進めば、三つ全てを使えるようになる日は近い。サレンキストの暮らしは、もっと豊かになるわ」
「明るい未来が待っているとは、将来が楽しみですな。外と行き来ができるようなれば、外国船から貿易船かてやって来るやろう」
アンネが穏やかな顔で告げる。
「そうさ。だからこそ、島の危機回避には是非とも成功してもらわないと困るのさ」
(お国自慢なところはあるが、サレンキストの街の人は、悪い人やないのかもしれんな)
食堂にいたホイソベルク人は会話に加わってこなかった。ホイソベルク人は食事が終わると黙って、食堂を後にする。
おっちゃんは食事の後にやってきた両替商に手数料を払って、手持ちの金貨と銀貨をサレンキスト銀貨に交換してもらう。
両替商が帰ったあとに、おっちゃんは一週間分の宿代を前払いした。