第二百八十夜 おっちゃんと『変化の滴り』
朝食を摂り、保存食を補給して『瞬間移動』でホイソベルクに戻った。
ゲタの許に戻るとお客がいた。客はサレンキストの王子のシャイロックだった。
シャイロックはおっちゃんが戻ってくると、話を不自然に切り上げた。
「こんにちは、シャイロックはん。またお会いしましたな」
シャイロックが気軽に応じる。
「今はホイソベルクに滞在中だったんですか。お元気そうでなによりです」
「一つ、聞きたい話があったんよ。サレンキストで、吹き付けると、体から意識が抜け出して実体を持つ薬って、あるやろう? あれって『クスクス』が原料なん?」
シャイロックが簡単に認めた。
「そうですよ。『クスクス』の内臓から成分を抽出しています。製法は秘密ですけどね」
(サリーマがヤスミナに使うたのは間違いない。サレンキストは、すでにヤスミナかサリーマが継承者やと知っていおるんやろうか? いや、決め付けるのはまだ早いで)
「そうなんか。秘密の薬ね。その薬はマレントルクに持ち込んだりした?」
シャイロックが穏やかな顔で話す。
「『魂抜けの薬』は軍事機密も同然の品。他国に持ち込む時は大きな作戦がある場合だけですよ。それで、おっちゃん、よかったら向こうで少し話をしませんか。互いに利益になる話です」
「ええよ」と答えて、ゲタから離れた場所に行く。
シャイロックが真剣な顔で依頼してきた。
「一つ、仕事をお願いしたい。ホイソベルク人が持つ『変化の滴り』を入手して欲しい。報酬はサレンキスト金貨十枚で如何でしょうか? こういってはなんですが破格の報酬です」
「仕事の内容はわかった。報酬も申し分ない。でも、一つ教えて。なんで『変化の滴り』が欲しいの? 使い方によっては協力できん選択もあるで」
シャイロックが穏やかな顔で告げる。
「詳しくは申し上げられません。ですが、島のためになる仕事だと答えておきましょう」
「島のためねえ。サレンキストはんが島を救おうとしている態度は本当やろう。だけど、どうも、やりかたが強引過ぎる気がしてしかたないんよ」
シャイロックが気分を害した顔をする。
「他国の人間からすれば、やり過ぎに見えるかもしれません。ですが、そうでもしないとヤングルマ島では物事が進まない。問題が島の存続に関わるとなれば、こちらも真剣にならざるを得ない」
「わかった。探してみるよ。せやけど、『変化の滴り』なら、ゲタはんが持っていそうな気もするんやけどな。ゲタはんには、断られたの?」
シャイロックが表情を曇らせて答える
「賢人ゲタは『変化の滴り』を持っているのでしょう。ですが、賢人ゲタはあまりサレンキストを心よく思っていないようで、はぐらかされました」
「わかった。なら、おっちゃんからも頼んでみるわ」
「お願いします。『変化の滴り』が手に入ったら、釣具屋のハイレに渡してください」
シャイロックが去ったので、おっちゃんはゲタの許に戻った。
「ゲタはん、お願いがある。わかっていると思うけど、『変化の滴り』が欲しいんよ。どうしたら手に入るん?」
ゲタがいたって普通に答える。
「『変化の滴り』なら『幻影の池』で釣りをしていたら、時折ふっと釣れるな」
「やっぱり釣りなんやな」
「狙って釣れる物ではないがね。この場所は時を釣るに最高だ。だが、『変化の滴り』を狙うなら、他の『幻影の池』のほうが釣れる確率は高いよ」
「ところで、『変化の滴り』ってどんな物なん? 知っていたら、もうちょっと詳しく教えてくれるか」
ゲタが気軽に構えて教える。
「『変化の滴り』は、ほんの数滴、振り掛けるだけで人の姿を他のものに変えられる魔法薬だ。効果時間は振り掛ける量によって決まる。『幻影の池』では稀に釣れてガラスの小瓶に入っている」
何かが掛かったのかゲタが竿を上げる。針の先には靴が片方だけ付いていた。
ゲタが横にあった箱に靴をしまう。
「そういえば、ゲタはん、外道が釣れた時は別の箱に入れておったけど、釣った物を分けて収納しているの?」
ゲタが機嫌よい顔で教えてくれた。
「魚とそうでない物は分けて収納しているよ。魚は魚用の箱。物は魔法の収納箱だな。色々な物が釣れる『幻影の池』だが、不要な物が多く釣れる。そういうときは、たくさん入る魔法の収納箱に入れておいて、あとで街の共用倉庫に入れに行く」
「ゲタはんが前に共用の倉庫に品物を納めに行ったのはいつ?」
ゲタが考え込む顔をする。
「私の魔法の収納箱はかなり大きい。だから、三年は倉庫に納めに行ってないな。いや、もっと前かな?」
「三年って、かなり長いな。もしかして、その間に『変化の滴り』を釣った過去はないの?」
ゲタが表情を微かに曇らせて答える。
「あるような、ないような気がする。あっても、箱の中から探し当てるのは一苦労だよ」
「なら、おっちゃんが収納箱の中に入って探してみて、ええ? 『変化の滴り』があったら、貰ってもええかな」
ゲタが「お勧めしないよ」の顔で忠告する
「できるものならいいよ。ただし、収納箱の中で迷子になって出られなくなっても知らないよ」
「なら、リールと糸を貸してくれるか」
リールと糸を借りると、おっちゃんは裸になる。そのまま、海亀の姿を念じる。
体長三十㎝ほどの海亀になって、魔法の収納箱の中を覗く。
魔法の収納箱の中は、広い異空間になっていた。異空間は薄ぼんやりと光っているが、視界はあまり良くなかった。
ゲタが柔らかな表情で申し出る。
「糸と脚を結んであげよう。合図してくれたら、私が糸を巻いて引き上げてあげる。これも、一種の釣りだ。失敗はしないだろう」
「協力、感謝します」
おっちゃんは魔法の収納箱の中に入った。収納箱は粘性がある空気で満たされていた。
入っても呼吸ができるが、泳ぐようにしないと、前に進めない。海亀になったおっちゃんは『物品感知』の魔法でガラス瓶を指定して、魔法の空間を泳いでいく。
収納箱の中にはそれこそガラクタとしか思えない物が多数、浮いていた。刃物や障害物に注意しながら、魔法の空間の中を泳いでいく。
さっそく、ガラス瓶があった。だが、以前にマーカスが持っていたものと中の液体の色が違ったので、通り過ぎる。
(なんや? 似たようなガラス瓶や薬はあるけど、これや、いうものがないの)
一時間ほど魔法の空間を探し回ると、やっとそれらしいガラスの小瓶があった。
ガラスの小瓶を口に咥えて糸を引いて合図を送ると、糸が巻かれ、おっちゃんの体は引っ張られながら戻っていく。
魔法の収納箱から出て、人間の姿を念じて人に戻る。
「これ、見つけたんやけど、『変化の滴り』で合っているかな?」
ゲタが小瓶をしげしげと見ながら発言する
「よく、見つけたね。合っているよ」
「あんな。これ、サレンキストに渡るかもしれないけど、本当に貰ってええかな?」
ゲタは軽い調子で発言した。
「あげると約束したんだ。おっちゃんが好きにしたらいいよ」
おっちゃんは釣具屋のハイレを訪ねた。
「ハイレはん。シャイロックはんに頼まれていた『変化の滴り』を、取ってきたで。渡してやってや」
ハイレが、ぎこちない笑顔で応じる。
「わかった。シャイロックさんには、渡しておくよ。それと、今日は家に泊まっていかないか? 歓迎するよ」
(今まで一度も泊まっていけなんて話た過去がないのに、今日に限って申し出てくるとは怪しいな。何か企んでいるようやけど、企みに乗ったろう。危険を冒さねば宝は手に入らずや)
おっちゃんはニコニコ顔を作って応じる。
「そうか。たまには屋根のある場所で眠るのもええな。泊まらせてもらうわ」
おっちゃんは、その日、ハイレの店にある、二階の客間に泊まった。




